芸術家は変人であるべきだ(自分が芸術家だと1ミリでも思ったことがある人は読まないでください)

タイトルにも入れましたが、自分は芸術家だと思ったことがある人は読まないでください。
これは芸術家宛ての文章ではないです。
むしろ怒られる気しかしない。

これ以降を読んでいるあなたは「芸術家ではない」ものとして話を進めます。
それでは本題。


あなたには生き方を尊敬できる芸術家はいますか?

私には好きな芸術家はたくさんいますが、その誰もが「普通の」生活をしていませんでした(或いはしていません)。
だから誰一人として生き方を尊敬してはいないし、出会えたとしても友達にはなりたくないです(ファンとして話がしたいとは思うかもしれませんが)
三島由紀夫は好きだけど彼のように割腹自殺したくはないし、モーツァルトも好きだけど彼のような浪費グセのあるギャンブラーとは関わりたくもない。(人となりが好きな人ごめんなさい)

「芸術家には変人が多い」とよく言いますが、私は「芸術家は変人であるべきだ」と思います。

その理由を説明したいのですが、そのためにはまずは芸術の定義から始めなくてはなりません。

私が思うに、芸術というのは
普通の人には創れないものを創り、普通の人からの共感を得る」
ことです。
そして、それができる人のことを「芸術家」と言います。
ここでは、「世間一般の人・多くの人の最大公約数」を「普通」と呼ぶことにします。

芸術家でない人は、普通の人に受け入れられる普通のものを作ろうとします。それが一番楽だからです。
芸術家でない人が、普通の人が創らないようなものを創ってみたとしても、それは大抵認められずガラクタ同然にみなされたりします。
つまり、「普通ではない」ものでありながら「普通の人」に認められるのは物凄いことだという訳です。

彼らはなぜそんなものを作ることができるのか。
それは、世界の捉え方のセンスがあるからです。

「センスのあるものの見方」なしに芸術家にはなれません。
技術がどんなに優れていたとしても、この世界の捉え方にセンスがないと「芸術」としての質は低くなってしまいます。逆に、独創的な視点や感覚を持っていれば、技術が高くなくとも「前途有望な芸術家」とみなされたりします。
いわゆる「技術屋」と「芸術家」を残酷に二分しているのはここです。

さて、そんな芸術を生業としている芸術家が「普通の」生活を送っていると思いますか?
およそ普通の人にはできないことができる人たちなのだから、普通の人とは生活の仕方も違うはず。
むしろ芸術家には、「一般的には社会不適合者だけど、芸術家ゆえに許される」という状態を求めてしまいます。
なぜなら、芸術には「生みの苦しみ」が存在するからです。

「生みの苦しみ」は芸術をしていく上で避けては通れません。新しいものを生み出す苦しみは、芸術家でない人の想像をはるかに超える威力を持っていることでしょう。
私などnoteにつらつらと文章を書くだけで、完成までにそれなりの苦しみを味わうというのに、もっと大きな影響力のあるものをもっとエネルギーを込めて創り上げる時の苦しみが小さいはずがない。
しかも、芸術家として生きていく限り、「生みの苦しみ」は基本的に終わりがありません。
彼ら芸術家は私たちにはない「生みの苦しみ」を絶えず味わい続けながら生きているのです。

私の個人的な感覚ではありますが、この「生みの苦しみ」に匹敵しうる苦しみは「出来ない適合を求められる苦しみ」しかないと思っています。
芸術家たちは、「社会に不適合でもそれで良い」生き方を選ぶ代わりに「生みの苦しみ」を味わっているのだと。
だから、もし私が芸術家に「芸術家をしなくてもサラリーマンになって普通に生きていけると思う」などと言われたら、即座に芸術家をやめることを進めます。
「生みの苦しみ」は社会に適合できる人が負うべき苦しみじゃないと思うから。
一方で、ごく稀にですが
「普通に社会に合わせて生活できる、特に変な性格でもない、でも芸術を仕事に選びたくて選んで芸術家として大成した」
という人もいます。
しかし私からすればその人たちだって、普通の人と何の変わりもない生活を送りながら普通の人には生み出せないものを生み出せる時点で、かなり物の見方が違う人だと思います。
その点でその人たちも芸術家です。

私が言いたいのは、
「芸術家」を分母に取った時に、いわゆる「変人」が極めて多いのは然るべき現象である
ということです。

基本的に芸術家は「物の見方が一般的ではなくて」「社会に適合しづらい」人が代わりに「産みの苦しみ」を負った状態なのだから、「普通の人としての感性」「普通の生き方」「常識」は多少欠落していても何の不思議もない
ということです。

素晴らしい芸術家がギャンブルに明け暮れようが罪を犯そうが(もちろんこれらは責められるべきことではありますが)、普通の人がそれをした時ほど驚く必要はないのではないかと思います。
アーティスティックな人にやたら不倫が多いのも、自明の理なんじゃないかと私なんかは思ってしまうのです。

芸術家は「変人」じゃないとなれない存在なのだから。

(もしここまで読んでしまった芸術家の方がいらっしゃったら本当にすみません)

「芸術家に変人って多くない?」という意見は「人間に食事する奴多くない?」と言っているくらい至極当然の事です。

彼らにとって「変わっている」ことは芸術における食事や呼吸のようなものだからです。



はあー長かった。お付き合い頂きありがとうございました!!
と、言いたいのですが。
実はこれ、ある議論の前座でして。
これに基づいた議論も近日中に投稿する予定なので見てくださったら嬉しいです。

(こちらになります
https://note.mu/eruru/n/n763ac9040786)

それでは!

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