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受け継がれゆくもの

最近良く考えるのは「伝統」について。
前回書いた、新しく立ち上げているENUのサービスのことを考えていると、やはり避けて通れないのは、「伝統」というものをどうサービスに落とし込んでいくのか。

単純に「伝統」をサービスに組み込むのであれば、伝統的な何かを扱うというのが一番わかり易いと思う。
ただ、そうすると本質的な意味での「伝統」を取り込むことができない気もしていた。

とりあえず、「伝統」という言葉について調べてみた。

伝統とは、古くからのしきたり・様式・傾向、血筋などの有形あるいは無形の系統を受け伝えること、民族や社会・団体が長い歴史を通じて培い伝えて来た、信仰、風習、制度、思想、学問、芸術、あるいはそれらの中心をなす精神的あり方などのことをいう。          
                          〜wikipediaより〜
あるものを他に伝える,または与えることで,一般に思想,芸術,社会的慣習,技術などの人類の文化の様式や態度のうちで,歴史を通じて後代に伝えられ,受継がれていくものをいう。またある個人または集団,時代などの特性が受継がれていく場合をいうこともある。しかし形式のみが伝えられる場合は伝承と呼び,伝統とは区別して考えられることが多い。この意味から M.シェーラーは様式化された伝統を死んだ伝統とし,様式化せずに精神的態度のなかに流れているものを真の伝統と呼んだ。
              〜ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典〜

と、これ以外にも書かれていることは多数あるが、ざっくり要約すると「古くからあるものを伝え受け継がれただけでなく、精神的支柱となっているもの」となるだろうか。

話は少し変わるが、自分がなぜこの「伝統」とかの分野に興味を持ったのか。元々伝統工芸とかモノづくりには興味はあった。
が、自分の経歴や美的センスを考えると苦手意識を持っていたというのも正直ある。
だけど一番自分とリンクしたのは、「伝統」とともに「伝承」「承継」ということもある。

愛知県のとある地方都市で生まれて、何の変哲もない一般的なサラリーマン家庭で高校まで過ごし、勉強したいことを学べる学校がなかったので東京に出てきた自分に何がそう思わせたのかというのもあるし、この10年くらい忘れていた思いがあったことに気づいた。それは

人から人へ受け継いでいくコトが喪失されることの危機感

であった。

それを最初に強く感じたのは明治の終わりに生まれた祖父が亡くなった20年以上前のことだった。小さい頃は一緒に過ごしていたのであまり気にもとめていなかったが、自分が成長するにつれて、祖父が生活の中で行っていた知恵、知識、振る舞いについて、もっと聞いておくべきこと、学んでおくべきこと、一緒にやりたかったことが多かったことに気づき、それがもう失われてしまったことに対して、もったいないという思いと残念な気持ち、そして当然祖父を失った悲しみと様々な想いが交錯していたことを今でもはっきり覚えている。

確かに祖父のそういった知恵や知識の多くは失われてしまい、一部は父や自分にも受け継がれているものはある。ただ、その父も高齢となり、また他のどうしようも抗えない理由により、またその一端も近い将来失われてしまう可能性が非常に高い。

また10年ほど前に亡くなった母に対しても同様の想いは持っていた。息子として受け取っていたものは数多くあるが、その母が行っていたことが再現できるかと言うとそれはそれで結構難しいことも多い。

そういった想いもあって、時代を経るに従って受け継がれてきた様々なモノ、コトを失うことは、世の中にとっても大きな損失ではないかという想いは感じており、それを少しなりとも解消させることができるのが、このENUというプラットフォームの本質の1つではないかと思っている。

そうはいっても個人の慈善事業としてやっているわけではなく、永続的にそういうことをサポートするためのプラットフォームとしてビジネスとして行うため、自社の事業との関連性や限られたリソースをどうコントロールするかと考え、まずは日本の伝統工芸やモノづくりにフォーカスを絞って事業を展開していこうとしている。

これが今後、どのようなことになるかは全く想像ができない面もあるが、自分自身としては、そのようなバックグラウンドを改めて認識して、自分のライフワークの1つのやるべきこととして取り組んでいきたいと考えている。

続く、、、

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