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【映画感想】『ザ・ビートルズ:Get Back』

はい、今回はイレギュラーですが、劇場で観た映画ではなくディズニープラスで配信されているビートルズのドキュメンタリー『ザ・ビートルズ:Get Back』で感想を書いてみようと思います。年末になってちょっと忙しくなってきてなかなか劇場に行くことが出来なくなったのと、この作品が映画としてそうとう面白かったというのが理由です。

まず最初に、’70年に公開された『Let It Be』というビートルズの最後のアルバム制作現場を記録した映画があるんですけど、その映画は既にビートルズの解散が決まってから公開されたので、解散に向かうバンドの空気みたいなものが色濃く映されていて、ちょっと観ていて辛くなるような沈鬱な作品だったんです。例えば、強烈に憶えているのだと、ジョージのギターフレーズが気にいらないポールがこうやって弾いてくれと注文を出すと、うんざりした様な表情でジョージが「全部君の言った通りに弾くよ。」と言うみたいな(その後ジョージはバンドを離脱。)。アルバム制作と同時に進んでいたテレビ特番の制作も途中で中止になったり、その代わりにアップル・スタジオの屋上でゲリラライブをやったりと、子供の頃に観たので、いわゆるロック・スターと言われる(しかも、ビートルズなんていう世界最高の)天才たちのエゴのぶつかり合い(つまり、神々のご乱心)を見せられてる様な映画だったんです。で、今回、その時に撮られた映像素材が57時間以上もあると。未発表の音源素材も150時間以上もある。大部分が使われてなく誰も観ていないということで、それを『ロード・オブ・ザ・リング』(もしくは『バッド・テイスト』)のピーター・ジャクソン監督が3部作計7時間48分の大長編ドキュメンタリー映画にしたというのが今回の『ザ・ビートルズ:Get Back』なんですね。

えー、で、つまり、既に『Let It Be』という映画になってるものをなんでまた作り直したのかって話なんですが、まぁ、観たら分かるんですけど、これ、全然違うんですよ。『Let It Be』とは。『Let It Be』の時は、スタジオでのセッションとテレビの特別番組を記録するということから始まってそのつもりで撮影していたんです。それが途中でポシャるわ、そのうちにバンドの存続自体がヤバくなって来るわで、その部分、ビートルズが解散へと向かう部分をピックアップして語らざるを得なくなったんだと思うんです。つまり、世紀のバンド・ビートルズがなぜ解散せねばならなかったのかというのがドキュメントとして映像に残っているわけで。事実として『Let It Be』が最後のアルバムということで世に出ていることもあり、そこに着地した方が説得力があるわけですよね。作品として。なんですが、どうも、その残された57時間の映像素材を観て行くと、その後のビートルズの解散~各々のソロ活動を見て行くことで定着してしまったザ・ビートルズ解散の真実とされていたものがちょっと違うニュアンスを持って見えて来たんだと思うんです。だから、言ってみればその微妙なニュアンスの部分を長ーい時間掛けて丁寧に抽出した様な映画なんですね。人間の一筋縄ではいかなさというか、4人の10代半ばの頃からの関係性とか、今、各々が置かれている立場とか、それぞれが持った家族とバンドのバランスとか。言えば、バンドという非常に曖昧な生態を持った謎の職業のお仕事映画なんですけど、それが世界的に有名な曲が生み出される瞬間を捉えた貴重なドキュメンタリーでもありながら、その制作現場が現存するほとんどのバンドと同じようなことをしながら楽曲を制作していた(アマチュアバンドが「よーし、曲作るぞ!」と意気込んでスタジオに入って時間のほとんどを既存曲のセッションに費やしてしまうとか、曲を持って来たメンバーのイメージにアレンジを近づける為に何十回と反復させられて他のメンバーうんざりみたいなことをですね。やってるんですよ。ビートルズも。個人的にはこういうの観れただけでも価値のある映画だったんですけどね。)という真実の記録でもあるんです。つまり、神々の人間化であり、そこが非常に魅力的なんですよね。映画として(期せずしてMCU最新作の『エターナルズ』も同じ話ですよね。ブライアン・エプスタイン⦅=『エターナルズ』ではエイジャック⦆の死によってグループが解体するのも一緒。)。

で、その人間化の部分をピーター・ジャクソン監督がどうやってるかというとですね。とにかく、ひたすらセッションを見せるんです。この映画ふたつの軸があると思っていて、ひとつは、さっき書いたようにビートルズ(=神々)の人間化で、もうひとつは、(『Let It Be』の時もクライマックスになっていた)アップル・スタジオ屋上でのルーフトップ・コンサートにいかにして行き着いたのかっていう、その道程を見せるってことですね(ここも、「やるの?やらないの?」っていうサスペンスになっていて面白いんですけどね。)。で、それが延々と続く楽曲制作セッションとバンドの今後をどうするかっていう話し合いの中でシームレスに出て来るので、とにかくそれを見せるしかないと(それであの長さになってると思うんですけどね。)。バンドの今後のことを話し合ってる時のシリアスさからそのままスタジオに入って、昔の曲をセッションして遊んだり、新曲を繰り返し演奏してエゴをぶつけ合いながら曲の骨格を掴んで行ったりしてる中でメンバーそれぞれの人間としての多面性が見えて来るんです。面白いのは、メンバーそれぞれの印象は『Let It Be』の時と同じで、ポールはエゴが強くて、ジョージは頑固、ジョンは偏屈で、リンゴは何も考えてない。みたいに見えるんですが、そのニュアンスみたいなものがちょっと変わって見えて来るんですよ。ポールのエゴの強さは責任感から来るものだし、ジョージの頑固さは誠実さでもあるし、ジョンの偏屈さは人懐っこさとセットで存在しているし、リンゴの何も考えてない感じっていうのは、4人の中で俯瞰で物を見る為にあえて中に入りきらない役回りをしてるって風に(昔からジョンやポールがリンゴの重要さをインタビューなどで語っていましたが、これを観て初めてその意味が分かった気がしました。ルーフトップ・コンサートをやるかどうかってことでポールとジョージが「うーん…」ってなってるところで、「僕はやりたいけどね。」ってさらっと言えちゃう凄さ。あの役割の人絶対グループに必要ですよね。まず、リンゴが言ってからジョンが「僕もやりたい。」って言うのとか、あー、そういう関係性だったんだって思いますしね。リンゴは割と自分はこうしたいとか、映画の撮影があるから何日からは抜けるからみたいなこと気兼ねなく言えちゃう立ち位置にいたんだなって。あと、午後から用事があるから明日は何時に集まって何時までやろうみたいなとこ、集中力が切れるからスタジオに籠ってみたいなよく言われているアーティスティックなやり方じゃなくてもっと日常生活の一部にバンドがあるみたいな。それも意外というか、そりゃそうだよなって思って、思ったよりも全然ストイックじゃないのが良かったんですよね。それよりも楽しいからやってるって感じが。)。僕は幸運にもバンドを解散するという経験をまだしたことはないんですが、少なくともこのセッションがビートルズ解散の直接の引き金ではなかったことは分かりました。あの感じでバンドって何年も続いて行ったりするんですよね(たぶん、ポールのあの情熱⦅=エゴ⦆、あれが切れた時に解散てなったんじゃないかなと思います。)。だから、この映画の一番興味深いところってバンドっていう凄く特殊な人の繋がりを詳細に見せてくれるところで。バンド物のドキュメンタリーって沢山ありますけど、僕がこれまで観た中では最もバンドっていう生き物の謎に迫った映画なんじゃないかなと思うんです(あと、バンドやってる側からするとそうとうなバンドあるある映画なのでそういうディテールの部分とか、PODCASTの『映画雑談』の方でなんかのタイミングで出来たらなと思っています。ちなみに僕は、バンドでの立ち位置のせいだと思うんですけどポールに一番感情移入して観ました。)。

あ、あと、もう一つ。なんだかんだ言って最後のルーフトップ・コンサートでみんな楽しそうに解放されてるのがやっぱりバンドなんだなって感じがして感動的でした。通りを歩いてる人たちのインタビューと警官が止めに来るのも含めて裏方のスタッフたちとの共犯関係とも良かった(あと、この『Let It Be』と『Abbey Road』という名作アルバムを2枚同時に作ってる段階でみんな28〜25才なんですよね。恐ろしい。)。


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