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まずは主演の山田杏奈さん、彼女がほんと素晴らしくて、もう、これにつきるんじゃないかってくらいなんですが。父親の転勤によって、田舎の街に越して来た15歳の少女がイジメにあい、ある事件をキッカケにその相手に復讐をしていくっていう陰鬱な話で。かなりエグいシーンもあるんですけど、彼女だけはどんなに悲惨な状況に追い込まれても、血だらけになっても最後まで印象が変わらないんですよね。(これ、もちろん監督の手腕もあると思うんですが、)そこに彼女の持ってるポテンシャルの高さを感じるんです。存在感だけで主人公の春花(ハルカ)の持ってるいろいろが伝わってくるというか。言ってしまえば、彼女がなぜイジメられるのかにまで納得してしまうくらいに。凄くいい子で、芯が強くて、何にも屈しなさそうだからこそイジメたくなると言いますか。周りの子達は彼女の圧倒的な正しさや儚さに自分を否定された様に感じるんだろうなって思うんです。(で、それが物語上の設定でというよりも山田杏奈さんがもともと持ってる存在感によるところが大きいと思うんです。)山田杏奈さんが春花を演じたことで成立してる部分がそうとうあってですね。(「この娘には敵わない。」っていうのが、この話の中で主人公以外の登場人物を動かす唯一の原動力になってるんですけど、そういうところに俄然説得力が出て来るんですよね。)で、そこに、タテさんのあの曲ですよ。だから、予告を観た時点では、残酷だからこそ美しいっていう耽美的な映画なんだと思ってたんです。

なんですけど、いい意味で裏切られたと言いますか。あの、他の人のレビュー見てもあんまり触れられてないので、これはもしかしたら僕だけが受け取ってしまった感覚なのかもしれないんですけど、確かに残酷で美しくて混沌としていて、それゆえに神々しくもある映画なんですが、これ、絶対わざとだと思うんですけど、(というか、原作読んでないので確信はありませんが、たぶん、原作では、もっとイジメから復讐へと切り替わるところはシームレスだと思うんです。漫画のキャラクターとしてならこの変化はあまり違和感ないと思うので。でも、映画では)ある時点から明らかにB級スプラッターへと映画のジャンルが変化して行くんです。(そこが良かったんですけどね。残酷ゆえに美しいで終わらせなかったのが、この映画を今の映画にしているなと思いました。)春花が復讐に転じるところから急に切り替わるんですけど、スプラッターになるのは分かるんです。復讐劇なので。ただ、意図してB級感を出してるというか。これはグロシーンのCGのショボさとかそういう話をしてるんではなくて。(むしろ、そういうところはかなりリアルに出来てました。)例えば、春花を始め主演の中学生たちはとてもリアルな演技をするのに対して、親や先生なんかの大人はみんな素人演技なんですよ。(特にいじめっ子たちの親なんか完全にわざと演技出来ない人使ってたり。)あと、殺害シーンはかなりエグく描かれるんですけど、さすがにそんなに簡単に人死なないだろっていうか、明らかに暴力のリアリティーよりも観てるこっちが残酷だと感じることに重心が置かれていて、ちょっと笑えてきちゃうんですね。(ボーガンと改造銃の二人組なんかは完全に笑わせ要員で出て来てましたしね。)それと、除雪車のシーン、絵的に強烈な印象を残すシーンなんですけど、あの異常な状況の中で平然と運転している運転手が映っちゃってて。つまり、撮りたい絵があるんだけど、そうするとリアリティーがなくなってしまう。それなら、リアリティーよりも撮りたい絵を選ぶっていうB級魂みたいのを感じるんです。で、これはわざとだと思うんです。だって映画前半はキャラクターたちそれぞれのちょっとした心の動きまでを丁寧に汲み取って、もの凄くリアルにエピソードを重ねて来てたわけなんで。作り上げてきたリアルな世界を監督自らが壊しにかかってる様に見えるんですね。で、その急に映画のジャンルが変わったような春花が覚醒するシーン、そこから春花が何を考えているのか分からなくなるんです。これってつまり、この場面から映画の視点が変わったってことなんじゃないかと思うんですよ。

壮絶なイジメをテーマにしていて、それをとてもリアルに描いていた(それこそ、タテタカコさんの曲を主題歌にしていた)「誰も知らない」の様な、現実の中にある狂気を抉り出す様な映画だと思って観てたら、途中から完全に春花っていうダークヒロインが誕生する話になっていて、(もしくは、「鬼畜大宴会」の様な実話をファンタジーとして描いた様な映画に。)つまり、これって、春花が覚醒するまでは春花の視点から見ていた世界を、覚醒後は春花以外から見た世界に視点変更してるってことなんじゃないかと思ったんですね。あの、僕、この映画観てて唯一納得いかなかったところが、春花がどこで覚醒したのかが描かれていなかったとこだったんです。あの火事のシーンでなのか、イジメっ子から犯罪を告白されたところだったのか。春花が復讐を誓って準備していたのか、衝動的に復讐マシーンに変貌したのかでだいぶ映画の見方が変わってくると思うんですよ。でも、春花自身が見ていた世界という視点から、誰かが春花を含む世界を見ているってことに視点変更したのだとしたら、それは、もともと周りから春花はそういう風に見えていたってことなので、春花の覚醒の瞬間が描かれてなくても納得出来るんです。

で、ここで映画が終わっていたら割と最近観られる、スプラッターなのに構成や展開が緻密でキャラ立ちしてる(「ホステル」とか「グリーン・インフェルノ」のイーライ・ロス作品。)、または、アート映画かと思ってたら暴力シーンの破壊力がハンパない(最近だと「RAW〜少女のめざめ〜」がそうでした。)部類の映画ってことで分かりやすく納得してたと思うんです。でも、この映画にはこのあとの展開があって、(じつは、そこが肝の映画でもあるんですよね。)その3幕目がどうなるのかは完全なネタバレになるので書きませんけど、この最終章の為に2幕目をやり過ぎな位のスプラッターにしたとも言えると思うんです。なぜなら、ここでまた世界の見方が変わって、より狂気がエスカレートして行くからなんです。(このエスカレートした狂気を飲み込めるのって2幕目での過剰なスプラッター描写と急に非日常化するB級表現があったからだと思うんですよね。)

個人的には2幕目から断然面白くなったし、3幕目でそれが更にエスカレートして行くのに興奮したんですが、その中でやっぱり一番凄かったのは、激変して行く世界の中で春花の印象がほとんど変わらなかったってことなんです。それって、もともと春花が持っていた虚無感が世界が過剰になればなるほど浮かび上がって見えたってことなんじゃないかと思っていて。つまり、春花はもともとああいうことをする様な子で、それが最初から周りの友達には分かっていたということなんじゃないかと。(そう考えると、狂気の世界に放り込まれた可憐な少女って世界が完全に反転して、誰のせいでみんなが狂っていったのかって話になるんですよ。そうなるとそうとう面白いし、怖い話ですよね。)

観ながら、こういうダーク・ヒーローを描いた映画知ってるなと思ってたんですけど、あれでした、サム・ライミの「ダークマン」。あの映画もB級センスを極めた虚無な主人公が世界に復讐していく切ない話でしたね。(あと、楳図かずお先生の「おろち」。山田杏奈さんが演る「おろち」観てみたいです。)

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