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ブラックパンサー

MCUの最新作であり、ライアン・クーグラー監督の新作でもある「ブラック・パンサー」です。しかし、マーベルのプロデュース能力と言いますか、イベントとしてアガる(しかも、実力もちゃんと見抜いた上での)人選の仕方、ほんとうまいですね。「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」に「スーパー!」のジェームズ・ガン。「アントマン」に「ショーン・オブ・ザ・デッド」(最近では「ベイビー・ドライバー」)のエドガー・ライト(監督は途中で降板して脚本のみの参加になってます。監督は「チアーズ!」や「イエスマン」のペイトン・リードに交代してますね。)。「スパイダーマン : ホームカミング」に「コップ・カー」のジョン・ワッツとか。その作品のストーリーに合わせて監督を選んでるのか、選んだ監督の好きに作らせてるのかは分かりませんが、大体どの作品も各監督のフィルモグラフィーのひとつとして観たときに「なるほど」と思える作品になってるんですよね。で、その流れの最新版としての「クリード」で有名になったライアン・クーグラー監督の「ブラックパンサー」というわけです。

「クリード」と言えば、名作「ロッキー」のスピンオフとして作られて大ヒットした映画ですが。かつてロッキーと闘ったボクサー、アポロの隠し子のアドニスが主人公で、そのアドニスがロッキーに教えを請いながらボクシングを通して自らのルーツと生まれて来た意味を探っていくという話なんですが、この世代交代というシチュエーションに絡めて自らのアイデンティティーを探りながら親の世代の遺恨も解消していくっていうの、正に今回の「ブラックパンサー」と同じ話なんですよね。で、その中でなんとなく黒人として生きることへの生きづらさみたいなものが浮かび上がってくるっていうバランスになっていて。あの、ライアン・クーグラー監督自身が黒人であり、主人公も黒人で、(「ブラックパンサー」に至っては、そのルーツであるアフリカの歴史をパラレルワールド的に見せるっていう構造にもなってるんですけど。) それでも、ことさらに差別されてる側っていう視点で描いてないとこが好きというか良いなと感じていて。「クリード」の場合は、妾の子っていうアドニス個人の境遇が、世界の中で置かれた黒人の立場のメタファーになってると思うんですけど。アドニスが感じている"自分は間違いで産まれて来てしまったんじゃないか"というトラウマを、父親と同じ道に進むことで自分の存在は間違いではなかったと証明していく様に、現実世界の黒人たちの存在も決して差別されるものではないということにリンクしていると思うんです。で、今回の「ブラックパンサー」では、現実社会とは違う発展の仕方をして来たアフリカの土地があったらっていうシチュエーションを作ることで、他の誰かと比べたり競わせるんではなく、黒人という種族のポテンシャルの高さを別の歴史の流れになぞらえたら全く違った未来があったはずだと言っている感じがするんですね。その主張の仕方が凄くスマートで、差別してるされてるという関係ではないとこでストーリーが進んで行くのでエンターテイメントとしてノイズなく観られる上に、大枠ではそういう黒人としてのアイデンティティーみたいなとこもきちんと描かれているという。つまり、(黒人だけど)っていう技枕詞がつかずにプラックパンサー、及びティ・チャラ(ブラックパンサーの中の人です。)カッコイイって感じて、その世界観や生き方に憧れられる様になってると思うんです。これって、黒人が黒人として(何かに置き換えるんではなく)憧れの存在になってるっていうことだから、であればこそ、他人種から見ても希望の存在として見えるんだと思うんですね。それって、一番差別的じゃない描き方だと思うんですよ。最近のハリウッドのお約束になっている"差別の問題を盛り込むべし"(ここんとこ、どの映画観てもこれ出てくるので、このこと自体がノイズになって来てるとこありますよね。)みたいなのにも最もクレバーな対処の仕方なんじゃないかなと思って。ライアン・クーグラー監督凄く頭のいい人なんだろうなと思います。

だから、最近のMCUの中では最もヒーロー然としているヒーローで、イケメンで頭も良くて性格もいいし、架空の国ワカンダの国王なので育ちもいいのに、そこに根源的な悲しさというか悲哀みたいなものも背負っているっていう、ちょっとほんとにヒーローとしては完璧じゃないかなっていうヒーローなんです。なんですけど、こうなってくると戦う相手がいないんですよ。ヒーローとしても国としても完璧だから。で、完璧でありながら、ワカンダという国は他の国へ干渉せずに発展して来てしまったから。(つまり、鎖国状態だったわけです。これ、ワカンダがもの凄く住みやすそうで。平和だし。これなら外交しないで鎖国っていうのもアリじゃないかなって思いますよ。観てると。なんですが、)では、誰と戦うことになるのかというと同国人のキルモンガーという人なんですね。えーと、ワカンダには、ここでしか採れないヴィブラニウムという鉱石があって、(このヴィブラニウムがなんでもアリのもの凄い物質なんですが。)それを盗もうとする輩が現れるという設定になるんですけど、アメリカにワカンダからのスパイとして送り込まれていたのがキルモンガーの父親のウンジョブという人で、この人がアメリカで虐げられている同国出身の黒人たちと出会い、そのことに憤って過激派になり、ワカンダからヴィブラニウムを盗み出そうとするんですね。(それを使ってテロを起こそうってことだと思うんですが。)それがティ・チャラの父親で、(その時の)国王だったティ・チャカに見つかりウンジョヴは殺されるんです。で、ウンジョヴはティ・チャカの弟なんです。つまり、国王のティ・チャカは国の秘密を守る為に自分の弟を殺してしまったということになるんです。(だから、ティ・チャラとキルモンガーも従兄弟同士なんですね。)そして、幼いままキルモンガーはひとりでアメリカに取り残されるんですね。(だから、キルモンガーにはワカンダを恨む理由があるということなんですよ。)こういう現実の世界にある問題との話の絡ませ方なんかの設定が緻密で、しかも、単純に他国との争いというものにせずに、争わないでいることの問題点の方を描いていくってとこなんかも斬新で、まず、そこのところが凄く面白いなと思ったんですよね。

で、そういう緻密さが人間関係だけではなく、ワカンダの国の成り立ちにも反映されてるんですね。独自の発展を遂げて来たワカンダはそうとうな化学技術を持っているんですけど、表向きは自然があって動物たちがいてっていうのどかな暮らしをしているんです。こののどかに見える風景の裏には超未来的で最先端な物が隠されているっていう。昔の日本のロボットアニメみたいな、山の中にある科学研究所みたいな、ああいうワクワク感あるじゃないですか。そういうマンガっぽさみたいなところと、さっきあげた作り込みの緻密さみたいなリアルなところが共存してるのがワカンダって国なんですけど。じつは、それって、この「ブラックパンサー」って映画そのものの作りと同じなんですよね。(荒唐無稽さとリアルさのバランスみたいなものが)で、それが単なる憧れの未来とか、想像の中の良きものとして描かれてないのが良くてですね。マンガっぽい荒唐無稽さも"ありえたかもしれない未来"として信じてみたくなるっていうバランスになっているんです。だから、どうしようもない現実もちゃんと折り込まれてるのに見終わった後に虚しくならないんですよね。(この辺のバランス感がライアン・クーグラー節だと思います。)しかも、それが、行ってみたくなる様なSF的舞台設定、個性的なキャラクター(親衛隊長のオコエとか、ゴリラ神を信仰している部族のエムバクとかいいですよね。)、ド派手なアクションなんかと一緒になって、一見したら超エンターテイメントとして描かれるわけですから、そりゃ、まぁ、面白くないわけないんですよ。

http://marvel.disney.co.jp/movie/blackpanther.html

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