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警察官の息子(後編)

結果的に自分は、警察官の父の転勤で中学校こそ1つでしたが、小学校は3つ通う事になりました。仲の良かった友達や先生との度重なる別れも、その当時は寂しい気持ちの半面、幼心に父の仕事だから仕方ないという諦めのような気持ちで割り切っていました。

しかし、自分が社会人になると、この事が意外な程、自分の人生に影を落としている事に気づきました。社会人になり親元を離れると、多分、皆さんも会社の同僚や上司などと、なにげない会話で故郷について語り合う事は少なくないと思いますが、自分はそんな時、いつも自分には故郷がないと痛感したのです。

幼い頃の友達やご近所さんは、数年おきの父親の転勤の毎に、当然のように疎遠になり、転勤の直後は多少の連絡をとりあっていても、いつしか会うことは勿論、お互い連絡さえもなくなっていきます。小学校6年生の春からお世話になった小学校は、卒業に合わせてたった1年で転勤が決まり、卒業証書を受け取ると同時に引っ越しになりました。記念に埋めたタイムカプセルのその後は勿論、同窓会のお呼びも掛かったことがありません。そもそも、1年だけ同じクラスにいた同級生の存在自体、すっかり忘れられていない方が不思議です。

更に自分が社会人になり、親元を離れた時も父親は現役の警察官でした。ですから、その後も両親は数年おきに転勤を繰り返しており、たまに正月等、里心がついて親元に帰ったりすると、そこは自分の見知らぬ土地であり駐在所なのです。心が休まる訳もありません。父が警察官を退職した現在に至っては、自分が子供のころを過ごした全ての駐在所や学校、地域とも繋がりはない為、まさに故郷がありません。いつしか、故郷談義は自分の中でタブーになっていました。

自分は警察官という仕事を、子供のころから見てきたので、それがいかに大変で社会に貢献する仕事なのかを理解しています。しかし、その陰で、警察官本人だけでなく、その家族にも大きな負担や苦労がついてまわる事を、少しでも多くの人に理解して欲しいと切に願っております。

全国の駐在所で日々地域を守るおまわりさんと、それを支えるご家族の皆様を陰ながら応援しております。


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