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喜びを受け入れるために

街のはずれから2回左折するだけなのに、車で20分はかかる。低い山々と田んぼにかこまれて、喫茶店はある。5台ほど停められる砂利の駐車場、青々と茂る木々、煉瓦を積んだ門。庭の先には山小屋のような店がたたずむ。絵本の世界だ。

風雨に耐え続けたであろう古い小屋は見るからに手づくりである。ぎぃと鳴る扉を引くと中はとても狭くて薄暗く、いくつものランプが赤く灯っている。10席ほどだろうか。カウンターの向こうから女性が笑顔で迎えてくれる。いらっしゃいませ。

女性はスタッフで、耳の聴こえない店主はほとんど厨房にいる。私は窓際の席に座ってブレンドコーヒーを注文するとそっと立ち上がり、ほんの2、3歩で小さな本棚の前に立つ。

来店した人が感想を書き残したノートが10冊ほど。古い月刊誌、小説の単行本。そこに白っぽい背表紙の小さな本が一冊、挟まれている。いつもそこにある。抜きとって席に戻る。

ブレンドコーヒーが来るとひとくち含み、小さな本を開く。ゆっくり読んでも30分かからない。吊るされたランプの光では心もとなく、窓際に寄せて木漏れ日をあてると文字が浮かび上がる。

はじめて店に入ったのは数年前、その佇まいに車ごと吸い込まれたからだった。なにげなく一冊の本を選び、開き、読み終わり、本棚に戻して店を後にした。

自己啓発の類いはそもそも苦手なのだが、そのときは一節に虚をつかれ、そうかもしれないと感じたのだった。迷路の出口を自ら固めて閉じてしまったのかもしれないと。怒りや虚しさに囚われ、幸せまでをも拒んでいるのかもしれないと。

ただ私にはまっただけである。それから思い出すと喫茶店を訪れる。半年ぶりのこともあれば、1年ぶりのこともある。

一冊購入して手元に置くつもりはない。ときどき一節を読むために喫茶店へ行くのであり、店主が店を閉めればもう読むことはないのだろう。

選曲された5、6曲がいつも静かにループで流れていて、そのうちの2曲はジプシー・キングスである。店を出ると緑豊かな森と石畳、まばゆい光が降り注ぐ。

私は2回右折して街に戻る。

受いれる
たっぷり喜んで生きる人は
悲しみや怒りを
受いれる
たっぷりと生きる人は
死を受いれる
受いれない癖のついた人は
喜びも受いれなくなる

加島祥造「受いれる」より


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