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いつまでも剥がれ落ちる垢

梁石日ヤンソギル氏の著作に「子宮の中の子守歌」という自伝的小説がある。大阪を出奔して仙台に流れ着き、無軌道の果てに破れ、東京に出て無一文となる。

代表作「血と骨」は、本作より前の大阪での生い立ち、家族、父子、暴力、破綻を、筆舌に尽くしがたい年月を、フィクションとして描いている。

注目に値するのは「子宮の中の子守歌」が「血と骨」よりも先に著されたことである。自伝的小説に手をつけたことにより、あの凄まじい家族の物語「血と骨」を書く覚悟へと否応いやおうなくにじり寄ったのではないだろうか。

氏には「修羅を生きる」という半生記があり、当時私は講談社現代新書で読んだ。小説は経験に基づいて書かれている。

「血と骨」は直木賞の候補作となったが落選した。選考委員の渡辺淳一は「全面、厚塗りの油絵を見るよう」と評した。そうかもしれない。しかし、その分厚さこそが私には衝撃だったのである。受賞作は、車谷長吉「赤目四十八瀧心中未遂」だった。

「子宮の中の子守歌」は、男が無一文になってベンチに座ると足元に新聞が吹かれてまとわり、タクシー運転手の求人広告を見つけて立ち上がる。そこで小説は終わる。実際に氏はそうしてタクシー運転手となり、作家となった。

私は小説を読むにあたり共感を求めていない。しかし、本作の身に迫る実感は身に覚えがあるゆえに忘れ難い。私も無一文となりホームレスを覚悟したときがあった。ぎりぎりのところでアルバイトに噛り付いた。最後の生命力は、心ではなく体が持っているのだと思う。

アルバイトはリンゴ農家の摘花作業だった。季節労働で春にしか仕事はない。私も含めてヤバい奴らが集まってくる。その中に30代と思しき怪しいカップルがいた。私と同様に給料を前借りし、農家の別棟に居候していた。

リンゴの木に脚立を立てて摘花する。いつもラジオが流れている。CMでお母さんが息子に「朝ごはんですよ」と言い「はい」と息子が答える。続いておじさんの太い声で「朝ごはんですよ」と言い「あなた、誰?」と息子が答える。見えないラジオならではのこのくだりが流れるたびに、カップルの女性が腹をよじって笑い転げるのである。毎日である。

リンゴ農家には30代の後継ぎがいた。結婚して息子が生まれたが、離婚して嫁は赤子を連れて出て行った。再婚した女性とのあいだに息子が生まれた。前妻に連れていかれた息子に瓜二つだった。そんな話を後継ぎの母親は事細かに話すのである。

昨年、摘花に来たアルバイト男性がどうも顔を隠して見せない。確認すると一昨年にも来ていた男だった。当時刑務所を出て働きに来て、前借りしたまま雲隠れしていた。なのに1年後に働きに来たのである。そんな話を仕事の合間にこそこそと話すのだった。

ホームレスを免れた私は1年ぶりにビールを飲んだ。そして近くの入浴施設に行った。塩素臭が鼻を突く。洗い場でガリガリに瘦せ細った体をタオルで擦るが、どれだけ擦っても捩れた垢が出てくる。何度タオルをゆすいでも洗面器の水は茶色く濁り垢が浮いている。やがて怖くなってくる。

しかし、生き延びたという、脱出したという実感がふつふつと湧いて来るのだった。おそらく内臓を深くやられていたのだろう、湯に浸かると頬骨に紅潮したベルト地帯が半月状に浮き上がり、1ヵ月たっても消えなかった。

摘花作業が終わるころ、1年以上前に打診していた会社から一緒に働かないかという電話が入り、私は身支度をして旅立った。

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