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鶏手羽元とサイコロ野菜のスープ

午前中の火葬場は人もまばらで、待合室も静かだった。ホットコーヒーを4つ盆にのせて、私はテーブルに置いた。父を焼いているあいだに続々と霊柩車と遺族を乗せた車が列をなして押しかけ、窓から見えるスロープは渋滞した。年々死者の数は増えている。加えて、冬は人が多く死ぬ。

葬祭業者が私たちを呼びに来た。一室に入ると、台の上の父は崩れて骨と灰になっていた。業者が、これはどこの骨である、と考古学者のように説明をする。白い壺に骨上げし、私たちは寒風を駐車場まで歩いた。

ご臨終です。青白くまだ研修中のような医師が告げると声を上げて泣き崩れた母も、火葬では涙を見せなかった。

昼過ぎには実家に着き、すべては終了した。親類も来ず、弔問も断り、僧侶も呼ばず、ただ病院から実家に遺体を運び、安置し、出棺し、火葬するだけ。

実家はとても寒くて冷たかった。家のつくりがそうなのだろう。今日の晩飯をつくります。私はそう宣言した。手元には、NHKテキスト『きょうの料理』があった。

危篤となり、眼を見開いたまま息だけをする父はしぶとく逝かなかった。病室にいた妹は階下の売店で『きょうの料理』を買い、ベッド脇で読んでいた。交代して病室に入った私も父の呼吸を聞きながらページをぱらぱらとめくる。このスープ、美味しそうだな。そう思った。

人は生きているあいだ、野菜をサイコロ状に切ることはほとんどない。ダイコン、ニンジン、シイタケを刻む。ニンニクと生姜を刻む。炒めて手羽元を入れるだけ。極めてシンプルだ。

母はこたつで寝ていた。病院で何日も付きっきりだったので疲れたのだろう。滅多に見ない姿だった。と言っても、私が実家に帰ったのは5、6年ぶり、この20年でも3回目だったので、最近の母の老化と行動様式など何ひとつ知らなかった。

弟と妹に会うこともなく、冠婚葬祭ぐらいである。この4人が揃って顔を合わせたのは叔父の葬儀以来で、すでに15年が経過していた。

陽が落ち、私はこたつにスープを運ぶ。母、私、弟、妹が、まるで雀卓を囲むように座る。やさしい味だった。コンソメや鶏ガラを入れていない。味付けは塩と胡椒だけなので、オリーブオイルと生姜の香りが爽やかに引き立つ。父を燃やしてから半日、私たちは温かいスープを啜った。

母は、新興宗教の筋金入りの信者である。私は、物心ついたころから信仰を強制されたが信じたことなどなく、家を離れるとともにフェードアウトした。弟は、今なお信者である。妹は、20歳頃に信仰から抜けたと私宛てに手紙が来た。

父に対する憎しみは、弟も妹も持ってはいるものの、私がダントツに強い。臨終に際してなぜ母が泣くのか、わからなかったぐらいである。母に対する憎しみは、弟と妹にほとんどない。私がダントツに強い。

人間とバナナの遺伝子は、50%が同じであるらしい。であれば、人間とサルはほとんど同じであり、この4人は同じホモ・サピエンスの一家族であれば、もう同じ遺伝子を持つ4個体と言っても過言ではない。しかも、ひとつ屋根の下で同じ釜の飯を食っていたのである。なのに、思うことはそれぞれ違い、人生は枝分かれしていく。

前夜、私と弟と妹の3人は、家中に残された酒がなくなるまで痛飲した。最後は奄美の黒糖焼酎だった。弟と妹によれば、私が最初にすべてを経験しなければならなかったからだと言う。でも、順番だけだろうか。持って生まれた性質。ひとつかふたつの偶然。それによって、私たちは枝分かれしたのではないだろうか。

4人はばらばらに散らばって暮らしている。父の死により集まり、また散り、疎遠になる。前日、母も年老いたので誰かが面倒見なくては、と弟と妹が棺を前に言った。私は言った。母から帰って来て欲しいと言われたが、断ったと。

みんなスープをたいらげた。母が弟の器を指して言う。見て、あんなにきれいに食べて。弟の器には、しゃぶりつくされて白い光沢を放つ手羽元の骨があった。

それ、骨壺に入れよう。私は言った。
弟は声を殺して、くつくつと笑った。

悩みつづけた日々が
まるで嘘のように
忘れられる時が
来るまで心を閉じたまま
暮らしてゆこう
遠くで汽笛を聞きながら
何もいいことがなかったこの街で

『遠くで汽笛を聞きながら』
作詞:谷村新司
作曲:堀内孝雄



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