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幼稚園教諭と相席する

電車に乗って街に出て、ミニシアターで『コンパートメントNo.6』を観てから図書館に行き、時間をつぶした。18時半、雑居ビルに入るとスナックに囲まれてその店はあった。ドアの前には自転車が一台停めてある。おそるおそる開けたが電気が付いているものの誰もいない。「すいませーん」と呼ぶと、奥の厨房から割烹着の小さなお母さんが顔を出した。

カウンターが6席ほどに小上がりに机がふたつ。数坪の小さな小料理屋で、初めて訪れる私は予約の電話を入れていた。カウンターの一番端の席に案内される。すぐに女性客がひとり来店し、「あとふたり来ます」と告げてカウンターに座った。

結局、客は私と女性3人だけだった。料理は注文しなくても順番に出てくる。そういうシステムなのだ。旬の野菜や魚を使った家庭料理をまずは生ビールでいただく。ひとつひとつが丁寧かつ滋味豊かで、美味い。隠れた名店との噂にも頷ける。

女性客はいずれも50歳前後で、3人とも常連の幼稚園教諭だった。この日は金曜日で、心置きなく飲めるのであろう、酒も会話もハイペースだった。この店は地酒のラインナップが充実していて私も女性もすぐに日本酒に移った。

席も近く、会話のところどころで話しかけられて私は相槌を打ったりするのだが、ほとんどは介入不可能な世界だった。歴代仮面ライダーとその俳優、男性アイドルのコンサート情報、韓流ドラマ、同居する義父母、幼稚園の保護者と同僚の悪口、卒園生のその後。夫への罵詈雑言でヒートアップして、くるっと向き直り「勉強になるでしょー」と私に微笑む。努めて苦い微笑みとともに「せいぜい吐き出してスッキリしてください」などと物分かりの良い男を装ってみる。私は何をやっているのか。

帰りの電車の都合で2時間ほどで帰る予定だったのだが、お母さんが予定している料理は10品近くあり、それぞれに調理の段取りがあって、時間内にはとても収まらない。電車を遅らせてゆっくり味わい飲むことに決めた。

それにしても、幼稚園教諭ってこんな感じだったっけ?聖職者とは言わないが、俗臭の薄い人たちだと勝手に想像していた私が悪い。ひとりがリーダー格で、おとなしいふたりが触発されて飲み込まれていく。驚いたのは、彼女たちの顔の広さである。何十年も幼稚園で働いていると、園児と保護者を通じてとてつもない人脈が出来上がるようなのだ。

電車で30分以上かかる私が住む街にも話題が移り、次々に知っている人の名前が出てくる。私は名前が挙がった人たちと深い付き合いがあり、知り過ぎてしまっている。ここで不用意に発言すると足元を掬われて厄介なことになるので、努めて相槌を打つだけにする。どうもヒトとして成り下がった気分で、調子が出ない。

リーダー格が「あの人がジソウに行ったのは許せない」と言うと、ふたりが「そうそう、あんな人にジソウを務めて欲しくない」と同調する。ジソウは児童相談所の略称だとすぐにわかった。ということは、この3人は公務員か。幼稚園から児童相談所に移ることがあるようだ。

私のこころは鋭く反応した。大人になってから「子どもの頃、誰に相談すればよかったのだろう」と考えたとき、頭に浮かんだのが児童相談所だった。でも、お役所仕事だから適当にあしらわれて親を呼んで家に帰らされたのだろうと思ってきた。そうか、ろくでもない職員の転勤先であれば相談しなくてよかったのだ。

おいおい、この店を訪れたのはこんな会話に巻き込まれるためではない、美味しい酒と肴で店のお母さんと話をしたかったのだ。幸い客も少ないので、私はカウンターのお母さんを独占して、開店の経緯や修業時代、郷土の食材や料理について話を聞いた。彼女たちはさらに紅潮して何かを叫んでいた。

帰りの電車にはぎりぎり間に合った。酔客が靴を脱いでずり落ちそうなほどだらしなく座っている。私にもそんな時代があった。彼女たちのような時代があった。すっかりひとり静かに飲むようになったが、あの熱量はこの世の中を渡り切るために必要なのかもしれない。人間は所詮、人間の社会を生きているのだから。

古ぼけた車両は軋んで眠気を誘い、気がつくと街の灯は疎らだった。


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