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笑った量があなたの幸せの量

中学生に講演をしてくれませんか。思わぬ依頼が舞い込んで、私は戸惑った。そこは私が移住した小さな村だった。

講演はマンスリー企画で、さまざまな人が招かれて自分の仕事について語っていた。おまわりさん、パティシエ、経営者。私に語るに足ることなどあるだろうか。それでも迷った末に承諾したのは、大人ではなく中学生が対象であるからだった。私は仕事については語りません。私が伝えたいことを語らせてください。そう担当者に言った。

押し入れの段ボール箱から汚れてすり切れた分厚いノート3冊を引きずり出した。いつか焼却炉に放り込まなくてはと思い続けて引っ越しのたびに捨てられなかった20年前の日記だった。そこには私の海外生活の記録と思索がびっしりと書き込まれ、再読するのも恐ろしい劇薬だった。私は意を決して20年ぶりにページをめくり、付箋をつけていった。当時撮った写真はフィルムだったので、ポジをスキャンしてパワーポイント数十枚にまとめた。

講演当日、30人ほどの中学生が集まった。その中に馴染みのある女子生徒がいることに気付いた。

彼女の父親は私と職場が同じだったのだが、数か月前に自ら命を絶っていた。以前担当していた業務の不正疑惑を追及された末の死で、メディアでも大きく報道され、小さな村では一大スキャンダルとなり、遺族は肩身も狭くひっそりと暮らしていた。毎日が針のむしろだった。

彼が自死する前後、村では相次いで私の親しい知人が二人自死していた。いずれも同世代の男性であり、今もって私には思い当たる節もなく、突然だった。私は地域の自殺率の統計を調べた。人口当たり全国平均の2倍であり、その傾向は数十年さかのぼっても変わらない。原因はわからなくても、原因はある。

私は演台に立ち、一枚目のパワーポイントを表示した。「ここではないどこかへ」。白地に黒字で一行、そう書いた。

出なければわからない。外に向かおう。脱出しよう。自分を解放しよう。

危険なメッセージだった。村の大人は子どもに郷土愛を教えていた。それは間違いではない。郷土には私から見ても素晴らしいことがいっぱいある。でも、私には子どもたちを地域に繋ぎ止めるための教育とも映っていた。地域に残っている大人たちにも紆余曲折があり、家を継ぐために泣く泣く残った人は多い。筋金入りの郷土愛を持つ大人は時に原理主義者に映った。彼らにとって「ここではないどこかへ」というメッセージは異物であり、PTAから苦情が出るかもしれなかった。

外を目指して何が悪いのか。外でいろいろな経験を積み、帰ってこない子どももいれば帰ってくる子どももいる。それでいいではないか。

私は遠い外国で撮った写真を見せながら付箋をつけた日記のページをそのまま朗読する。金を無心されて断る。高熱で死にかける。死体を焼いて河に流す。

終盤、私は東京の通勤電車の写真を映した。スマホに見入る表情を失った大人たち。友人のインド人は同乗して周りを見渡し、ひとこと私に言った。No Smile。次にインドの満員の鉄道を映した。それは祭りに向かう列車で、車両の上にも人が乗り、窓からも人ははみ出し、何百人という人々が笑っていた。

中学生は30人ぐらいいるのだが、どうしても心の中では左奥の末席に座る女子生徒に語りかけていた。最後のスライドで、私は「笑った量=幸せの量」とだけ書いた。こんな私がこんなことを言っていいのだろうか。でも、まがりなりにも大人になるまで生き延びた私がこれからの中学生に伝える言葉はこうだった。

幸せの尺度はたくさんあるでしょう。私は、一生で笑った量がその人の幸せの量だと思うのです。

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