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クリスティーナの世界

昼夜逆転した私は飽き足らぬ焦燥を抱え、起き上がると部屋を出て車のエンジンをかけた。夜中の3時。24時間営業のファミレスまでは20分以上かかる。その年の梅雨はたびたび豪雨に見舞われたが、その夜は降らず、静かだった。

コンビニを右折して片側一車線の名ばかりの国道に入り、ハイビームを下げた。ガソリンスタンド、数軒の民家を過ぎると田植えを終えたばかりの田んぼが続く。街灯はない。左にカーブして右カーブの立ち上がり、正面の闇に何かが浮かび上がった。ヘッドライトで照らされたのは、うずくまる老婆だった。

白い服に白い髪。車道と田んぼの1メートルほどしかない狭い隙間に腕の力だけで上体を立て、見えないはずの私をじっと見ている。凍りつくように不気味な、現実離れした光景だった。

ブレーキを踏んで減速し、ゆっくりと確認しながらハンドルを右に切った。確かに生きた老婆である。私はそのまま国道を走り、混乱した頭を整理した。徘徊ではないだろうか。すでに車と衝突して足を怪我しているのかもしれない。だとすると、ひき逃げか。

500メートル以上走ってから、私はUターンした。後悔すると思った。消防団員だった頃に行方不明のおばあさんを捜索したが、見つかった時には息絶えていた。

来た道を戻ると、おばあさんは四つん這いで固まっていた。ハザードを焚いて停車し、ドアを開けると蛙のざわめきを聞いた。「立てないんです」。おばあさんは四つ足のまま、私を見てそう言った。

ときおり、大型トラックが通過した。おばあさんを座らせて事情を訊くが、要領を得ない。「あれは息子の車です」と言って「おい!」と大声で息子を呼ぶが、それは私の車だった。「警察に電話してもいいですか?」「どうぞ、お願いします」。

110番するとすぐに繋がった。「何歳ぐらいですか」と訊かれたのでおばあさんに訊くと、50と答えた。私は少し離れて「90歳ぐらいです。認知症ですね」と警察に伝えた。位置がわかる何かが周りにないかと訊かれたが、田んぼの真ん中には何もない。電柱はないかと訊かれたが、ない。探してくれと言われたので、おばあさんを残して人家の方へ200メートルほど歩くと電柱があり、指示通りにプレートの番号を読んだ。

電話を切って戻ると車が2台停まっていて、おばあさんを保護してくれていた。1台は急ぎだと言って走り去り、1台は私に付き合ってくれた。夜勤の帰りだという。おばあさんは自分と息子の名前をはっきりと答えた。家はどこかわからない。怪我はしていなかったが裸足だった。田んぼに落ちたという。

不思議なことに、おばあさんは気が動転するでもなく痛がる様子もなく、とても落ち着いていて、会話を楽しんでいるようにさえ見え、私よりも健康的だった。ヘッドライトに浮かび上がった時の姿は、アンドリュー・ワイエス『クリスティーナの世界』の女性を正面から見たようだった。

ワイエスが『クリスティーナの世界』を描いたのは1948年だった。終戦から3年後のアメリカ。足が不自由なクリスティーナが丘の上に立つ我が家に腕の力だけで向おうとしている。

遠くからパトカーのサイレンが近づき、田んぼ一面に響きわたった。ふたりの警察官が出てきて、まずは保護者である私たちふたりに名前と生年月日、住所、電話番号に続いて、発見時の状況を訊いた。「一度通り過ぎて、戻ってきたら四つん這いでした」と言うと、ひとりの若い警察官が二度しゃくるような声を出し、私には嗤ったように聴こえた。

「あとは引き継ぎます。ありがとうございました」。そう言われて私は、車をゆっくりと動かして農道で切り返し、行くはずだったファミレスの方に走り出た。店に入ると、本を読みながらドリアを食べた。

今でも、運転中にあのカーブを時々過ぎ行く。稲は草原のように青々と伸び、夏の風に揺れている。おばあさんは、彼女だけの目的地へ行こうとしていたのだろう。遠いいつかのように。

  

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