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自閉症の弟と私

私には3つ下の自閉症の弟がいる。

まずは弟のこと

彼は20代半ばだけれど、知的レベルは2、3歳程度だろうか。ご飯が食べたければ「ご飯」という言葉は発せられる。痛みを感じれば、「痛い」ということは人に伝えられる。でも、「ご飯」は「白いご飯」のことを言っているのか、それとも他の、たとえば、おかずの「野菜炒め」が食べたいのか、「痛い」のはどこが「痛い」のか、どのように「痛い」のかは聞いても通じない。

彼はご機嫌な時とそうでない時の差がかなり激しい。ご機嫌な時は、体を揺すりながらニコニコと優しい目をしてソファーに座っている。そうでない時は、パニックに陥り、この世の終わりかのように、激しく癇癪を起す。自分の指を噛んだり、家族にかかっていったり、大声で飛び跳ねたりする。ただ、何がトリガーでご機嫌になったか、不機嫌になったかはいつも分からないし、聞いても通じない。

彼のマイブームはころころ変わる。たとえば、人の顔をひたすら触ることがマイブームだったり、粉のコーヒーを入れることがマイブームだったりする。何か自分の興味のあることを見つけられるのは良い事なのだが、世間で良しとされる枠組みから外れることがほとんどだ。人の顔も、外を歩いていて、いきなり道端で会った人の顔を触ったらその人が驚いてしまうのでしてはいけないし、コーヒーも本当に何度も何度も入れては飲んでを繰り返すので、お湯を沸かすためのガスも使いすぎだし、大量に飲むのでカフェインやコーヒーに入れる砂糖の摂取量も異常になってしまうので止めなければならない。

彼は赤ちゃんと犬が天敵だ。レストランに入店して、赤ちゃんが泣いていると、パニックになって彼も大きな声でわめく。散歩をしていて犬に遭遇すると、逃げ出すように急に走り出してしまう。

彼はあまり時間の概念を分かっていない。「8時になったら仕事に行くので、それまでに準備をする必要があるね」だとか、「19時になったら夕飯だよ、お腹が空いたけどそれまで待っていてね」だとか、何時になったらこれをやろうね、という事がなかなか分からない。「仕事に行きたいからもう家を出たい。どうして行けないのか。」「お腹が空いた。ご飯を食べたいのに、どうしてご飯を作ってくれないのか。」このように、彼自信の欲求が時間の制約によって満たされない時もパニックになる一つの理由だ。

彼は太っている。激太りではないけれども、痩せるように努力しないといけないくらいには太っている。彼は食べることが大好きだ。ただ、彼の食べたい量を食べると、カロリーオーバーになってしまう。

彼は周りから愛されている。職場の人や学校のクラスメイトや先生から愛されているな、愛されキャラだな、と羨ましく感じるときがある。穏やかな時の弟しか知らないからだと皮肉なことを思う節もあるが、愛されていることは事実だ。

私の人生における弟の存在

私は今まで自閉症の弟がいることをあまり周囲に言ってきていない。友人で知っているのはほんの数名で、どうしても伝える必要があった時だけ伝えていた。

思い返すと、いや、改めて思い返さなくとも、正直大変だったし嫌なことも沢山あった。家族で出かけることも本当に大変だ。彼がパニックになろうことがあると、家族総出で、落ち着かせたり、周りに迷惑がかからないよう配慮したり、せっかくの楽しい旅行であるのにそれがきっかけで家族喧嘩をしたり、私自信気分が下がってしまったりすることは付きものだった。友人たちのように、家族でディズニーランドや遊園地に行ってみたいとずっと思っていた。また、常日頃、母が彼に付きっ切りになる必要があるので、私は母と二人で一緒に出掛けることが相当難しかった。小学校高学年から中学3年生あたりがピークだったと思うが、私は母と出かけることがしたくて、「お母さんと先週買い物に行ったんだよね」という友人の言葉は、私の心をぐさっと刺していた。(付言すると、恥ずかしながら、アラサーとなった今でもなお、母とのお出かけはなんだか特別で、母の愛情を独り占めできているような気がして、大好きなのだ。) あとは、自分の家に友達を呼ぶということができなかった。弟が癇癪を起したりしたら招いた人に迷惑を掛けるし、そもそも弟が障害があることをあまり知ってほしくないし、でも、小学生くらいの子が良くやる誕生日会は私もやりたかった。それに、彼が夜中に騒いでなかなか眠れないことも結構あった。朝方に彼のパニックで起こされることも多々あった。

今までのことを振り返り、我慢したこと、嫌だったことを思い返すと、きりなく出てくるし、目の奥がじーんとしてくる。自分の人生の中でも、弟の存在はかなり大きく、彼の存在が私自信の人格を形成していて、障害のない弟を持っていれば、また違った自分になっていたのだろうと思う。

よく、「私は障害のある兄弟?姉妹?が大好きだ。彼・彼女がいてくれて私は幸せだ」という話を目にすることがあるが、単純に凄いなと思う。もしかしたら、私の弟の障害の重さが酷く、なかば攻撃方?な一面もあるせいなのかもしれない。でも、「弟は大学生?何勉強しているの?」といった類の質問に対して、適当に嘘をついているのが本当の私なのだ。たしかに、弟がいてくれたから家族の絆も深まることもあるし、このような環境に置かれたからこそ抱ける感情や分かることもある。ただ、障害がなく生まれてきてくれるのであればその方が絶対に良いと思ってしまう。

あまり知られたくない。一生同じ屋根の下で暮らして将来は面倒を見る、そんな生活は考えられない。自分の幸せを追求したいと思ってしまう。こんな自己中心的な姉で恥ずかしいと思うけれども、人間がなっていないと思うけれども、それでも自分の人生は自分のために生きたい。

私の結婚

数か月前に入籍したばかりの私だが、まず、主人に弟のことを打ち明けるのに時間がかかった。プロポーズをされる前、結婚がなんなくイメージできるかも、と思っていた時期に話をした。話していくうちに涙がばーっと出てきたのを覚えている。そのことが原因で私たちの関係が終わってしまったらどうしよう、と怖かった。

兄弟児 結婚

何度もネットで検索をして、「兄弟児は障害を持った兄弟姉妹の世話をするべきだ」「生まれてくる子供だって健康な子が生まれるかもわからないのに、結婚なんてよく考えられるな」「私がもし結婚しようとする相手が兄弟児だったら結婚は申し訳ないけど断る」といったネガティブなものに出会ってしまっては落ち込んで良く泣いていた。

やっとの思いでようやく打ち明けることのできた私に対して、主人は、「なんかそういう部分もあったことにホッとした。それで別れようとは全く思わないし、大丈夫だよ。」といったような言葉を投げかけてくれて、安堵した。

次に、私と主人の両家顔合わせの時。主人の家族にもこのことを伝えなければならない。私の父と母も多分かなりの心づもりと話合いを重ねて臨んでくれただろう。私の両親が改まって弟のことを口にした時、主人の両親は真剣に、そして、優しい雰囲気を作って話に耳を傾けてくれた。私や私の両親が想像していたよりも何倍も何十倍も主人の両親はあっけらかんとしていて、「特に気になりません。何か手伝えることがあれば言ってくださいね。」と言った。その時も私はかなり安堵した。

プロポーズを受けたと母に報告をした時に、母から言われたことがある。

「ごめんね」は言わないけれど、弟のことで大変なことがあるかもしれない。結婚は家族同士のことでもあるからね。でも、向こうのご両親が抱いた疑問は全て答えられるように準備していくし、将来あなたが弟の面倒を見なくて済むようにするし、お金のことととか、その辺は心配しなくとも大丈夫だからね。

そう母は言った。お互いに、気を抜いたら涙がこぼれそうだったが、そうはしなかった。良い親を持って幸せだし、母はなんて強いのだろう、と強く感じた瞬間だった。

どうしてこの事を書こうと思ったか

誰ということが特定されないことを前提としているSNSの場だからこそ書きたいと思った。この年になり、いろんなことを経験していく中で、自分が嫌になる時もあるけれど、好きだと思えることもあるし、これからもっと自分を好きになりたい、自信を持った女性になりたいという思いとともに生きている。優しいところとか、人の気持ちを上手にくみ取れる(くみ取ろうとする)ところとか、嫌なことが起きてもあまり動じないところとか、それは弟のお陰かもしれないと思えるようになったということもある。また、「兄弟児」という言葉を少し前に知り、同じような境遇の中で悩んでいる人に向けて、私が発信することで、何かが生まれれば良いなと思ったからだ。

私はたまに、「悩みとかなさそうだよね。いつも楽しそうだし。」と周りから言われる。おそらく、ふわふわとした雰囲気があって、あっけらかんとしているように見えて、そんな私を見てこの言葉をかけてくれるのだと思う。そのたびに、私は思うのだ、「そんなことない」と。不幸比べをしたいわけでも、障害を持った弟が悪いとか嫌いだとかそういう話をしたいわけではないが、「私だって大変なのだ」と。私は今でも周囲にはあまり言っていない。障害のある弟がいることを公言してネタにできるほど、私は強くない。正直に言うと、目を背けたい事実なのだ。周りに、「可哀相な人」だとか「キラキラしているように見えて本当は苦しんでいるんだね」だとか思われそうで、それが嫌なのだ。悩みのないポジティブルンルン人間を演じたいのだ。周りの人が羨ましいと思うような人生を送りたいのだ。幸せになりたいし、幸せそうだと周りに思われたいのだ。

そんなプライドを捨てないと、人としてなんだか可哀相だし、良くないし、弟を愛しているのであれば、恥ずかしさとか同情されることへの失望とか、そんなもの捨てられるはずなのかもしれないが、それができないのだ。これが、私の今であるし、そのことを自分自身が受け入れないといけない。でも、兄弟児のみんながみんな、「障害のもった兄弟姉妹がいます、心から愛しているよ、ありがとう」と言えるわけでないし、これが当人のリアルなのだと分かってほしい。

初めてこんなに詳しく弟の障害について文字にしたし発信したが、なんだかすっきりした気持ちだ。自分にしかない経験や感情をシェアすることで、誰かが救われれば良いし、小さな何かがポジティブな方向へ進んでほしい。

まとまっていない、何を言いたいのかよくわからない記事になってしまいましたが、少しでも誰かの心に届けば嬉しいです。


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