無条件べた褒めマン
バレンタインデー。
すっかり忘れていたけど、2月14日はそう呼ばれている日だった。一般的な認識で言うと「チョコレートをもらう日」だろうか。もちろん、多様な形式があっていいし、違えば邪道というわけでもないのは大前提で。
私自身も「ありがとう」の気持ちを込めて読者へガチのチョコレートを配らせていただきたいところだけど、あいにく爪に火を点す暮らしで余裕がない。だから、せめて体調的に「大丈夫かも」と思った当日の今日、
軽く甘め
の話でもさせてもらえたらと思う。
条件つきの言葉は多い
私のひねくれた思考ゆえの産物かもしれないのは承知で、けれど世の中には発言者が無意識だろうと
「条件つき」
に捉えられる言葉がいろいろある。と言っても伝わりづらいから、具体的に挙げると。
などがある。もちろん、これらを言われて嫌な気にならない人も多い気もするし。「これのどこがおかしいんだ」と思う人も多い気もするし。言う側を不正解だとするつもりも毛頭ない。
しつこい事で定評のあるエトナシが念を押すけど、あくまでここは私の場所で私の考え方を述べたいだけであって、貶す事も否定する事もしないし、議論したいとも思わない。
「こう思う」ただそれだけだ。
私が特殊な産物かもしれないのを踏まえ、先ほどの例を見ていくと。
一言で表現すると「読解力を加味しても個人的に条件つきを感じる言葉」だなと。個人的にだから、他の80億人が「いや別に違和感ないし」だったらすみません。
そうであってもそうでなくても
条件つきの言葉が多い事に、少なくとも私には違和感がある。
無論、それは相手との関係性にもよる。「そういうつもりで言ってないんだろうな」と伝わっている間柄で言われても、全然気にならない。そもそも、ここで語っているのは主に
発信
の場面での話だ。
えらそうに聞こえたなら申し訳ないけど、そういう意味合いは決してなく、その上で私は「『頑張る事もえらい』けど『頑張れていない中で自分なりに生きている事もえらい』」と思っている。他の例に関してもそう。
「○○だから△△」
といった条件つきではなくて、
そうであってもそうでなくても
無条件に全肯定で褒める人でいたい。
理想論だと思われる可能性もあるし、完璧に言葉を間違えずに発信できる力量もないし、現実的には「お前もたまに言うやん」かもしれない。それでも、できるだけ意識をしていたい。
「起きれた事"も"えらい」でもいいのではないかと。頑張ったのに起きられなかった人を省く必要はないだろうと。他のあらゆる事についても同じで、省かなくていいものは省かないで表現したいなと、私は思う。
例えば、毎日「これがああだったらどうしよう」と、不安を抱えて生きているあなたが。「今こうだけど戻れなかったら」と、恐怖に覆われて生きているあなたが。「なんでそんな事言うの」と、傷つける言葉を平気で投げつける相手から逃げられず生きているあなたが。「この人さえいなくなれば」と、実行できないから我慢しているけど本当は存在が消えてほしいほど憎い人がいる中で生きているあなたが。そして、特にそういう事もないけど自分なりに自分なりに生きているあなたが。
もしも、目や心で涙を流しているなら、
「泣き止むまで心そばにいるよ」
の条件つきではなく
「泣き止んでも心そばにいさせてね」
と切に思う。
そして、そうやっていろいろな気持ちがあろうとなかろうと毎日を過ごしている事自体に対して、無条件べた褒めを発動していきたいと思う。私に褒められたところで腹の足しにもなりはしないだろうけど、
世の中にひとりくらい
は、そういう無条件べた褒めマンがいてもあまり害はないだろうから。好きにいさせてくれたら、とても嬉しい。
まとめ
「バレンタインデーどこいってん!」
という声が聞こえてきそうな内容だったけど、ちょこっとは甘く感じられたのではないだろうか。ちょこだけn。
「世の中は苦しいものだ」とか「現実は厳しい」とかばかり叫ばれがちで「じゃあそんな地獄になぜ生んだ」と疑問が湧いてくる中、チョコくらい甘い言葉も必要でしょう。やってられないでしょう。
チョコレートを配る余裕がないから「くちどけ」は与えられないけど。せめて、せめて、せめて、切羽詰まった毎日だったりする人へも含めて甘味のある言葉を
「読んどけ//」
と手渡しさせてほしい。
要らんかったら捨てていいから。
無条件ハッピーバレンタイン。
こちらのボタンを押して「サポート(投げ銭)」をいただけると、書くチカラになります。活動を続けていくための支えになります。サポートをしてくれた方には、私から御礼のメッセージを贈らせていただいています。