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『沈黙は共犯 闘う医師』を観た - ムクウェゲ医師の言葉とフェミニズム

 NHKのドキュメンタリー番組『こころの時代〜宗教・人生〜』の『アフリカの思想にふれる (1)「沈黙は共犯 闘う医師」』を観た。
 アフリカのコンゴ共和国の紛争地域で、性暴力の被害に遭った女性たちの治療を続けている医師、デニ・ムクウェゲさんを扱った番組である。彼は、コンゴでは人、家族、コミュニティーを一気に破壊する"兵器"として、レイプが組織的に行われていると、世界に訴え続けてもいる。
性欲のけ口ではなく、兵器として。
 ぞっとする言葉だが、まさかとも思わない。レイプは暴力なのだから、紛争地域や戦場なら、それは兵器にもなるだろう。病院に運び込まれる被害者の状態を説明する場面では、思わず数秒早送りしてしまった(NHK+で視聴していた)。それほど悲惨だった。人間をそんな目に遭わせる加害者には、人間性のかけらも感じられない。まさに兵器だ。
 ムクウェゲさんは、そうした患者の体を治療し、心をケアし、退院後の生活支援にもあたっている。その活動は、ノーベル平和賞を受賞した。

有害な男らしさと闘って欲しい。
デニ・ムクウェゲ

 彼は、男性たちに対してそう言葉をかける。
<有害な男らしさ>とは、男性が女性より優れているという思い込みを正当化しようとするもので、男性優位社会に生きる女性たちが生まれながらにめられているかせそのものだ。もちろん、女性を自分たちと同等だと考えている男性たちの手足にも、嵌められている。
 それがなぜ「有害」なのか、まともな文明人なら理解できるだろう。有害と思わないなら、あなたは裸の原始人だ。
 その理由も含め、番組の中で語られた彼の言葉を拾いながら、ぶつくさ言ってみようと思う。

G7の国々にも、男女不平等がある。その不平等は、各国の法律によって、良しとされている。
デニ・ムクウェゲ

 我が国日本は、いまだに同性婚、夫婦別姓が法制化されない。「社会が変わってしまう」「伝統が失われる」「国が崩壊する」など、政権は否定の理由をあれこれ言うが、結局のところ男性優位の家父長制を死守したいのだろうとしか思えない。家父長制は、女性差別の上に成り立つ
 男性優位社会は、裸で生活していた原始時代に腕力が正義であったことの延長上にあるという説がある(どこかで聞いた、あるいは読んだ。出典不明ですみません)。なるほどと思う。人が頭脳を使い、腕力に勝る力を手に入れたとき、男性優位社会は女に教育を与えまいとした。優位をおびやかされるとおそれたのだ。そうして、人として同じ頭脳を持つ女を一段下に押し込めて、原始時代の"腕力正義"を貫き通した。
 そんな中でも、頭角を表す女性たちはいた。彼女たちの身近には、きっとムクウェゲさんのような、まともな文明人たる大人がいたのだろう。子供の頃から女性であることを理由に枷を嵌められたりせず、男の子と同じように自分を信じて成長できる環境が、彼女たちを人権意識を持った大人に育て、世界中の女性たちを喚起して、世の中を少しずつ目覚めさせていった。
 わたしたちは、その恩恵を受けている。女性だけではない、全世界がだ。

幼い頃から、女性を尊重すべきだと教える必要がある。このような教育は、平和なときに行わなければならない。
デニ・ムクウェゲ
平和なうちに、性差別を解消していくことが必要だ。これは、男女が平等の下に協力し合う社会を築くためだけでなく、いざ戦争が起きたとき、女性が人間として尊重され、虐げられることがないようにするためだ。
デニ・ムクウェゲ
戦争中に起きることは、戦争が始まってから起こるのではない。平時からすでに、わたしたちの社会に存在している。
デニ・ムクウェゲ

 腕力転じて暴力の、最たるもの、戦争。
 どれほど高尚な理想を掲げようと、戦争をやめない限り、人間は"腕力正義"の原始時代から、1ミリも進歩していないことになる。そしてその下等な社会の中で、「女性」というものは、暴力に抗する人間としてでもなければ、暴力に加担する人間としてでもなく、暴力を誇示するために踏みにじられる対象=非人間的存在として、冒涜され続けることになる。
 男性優位のいびつな社会構造を支えるために、女性は非力で従順で無口で無知であることを求められてきた。反発すれば、叩きのめされる。だからといって、身を守るためにと従っていては、暴力の極みである戦争が起きたとき、軽く蹂躙じゅうりんできる存在として扱われてしまうのだ。
 叩かれるくらいで済む平時にこそ、現状を直視して、「女性は人間である」と声高に唱えなければならない。ムクウェゲさんは、そう言っている。我々の日本社会に向けて、必要な言葉として発しているのだ。

レイプは世界中の、あらゆる紛争地で起きている。異なる地域で、異なる方法で、異なる目的のために行われている。民族浄化のために行われることもあれば、コンゴやコロンビアのように経済戦争のために行われることもある。自分の力を他人に見せつけるために行われることもある。
デニ・ムクウェゲ

 いったい何が、こんな事態を招くのだろう。むごい、酷い、二度と起こしません、と言いながら、なぜ人はこれをやめられないのか。
 いまだに腕力が正義だからだ。
 なんのことはない、女性を女性という理由で人間として扱わない社会こそが、暴力を正当化し、戦争を引き起こしてきたのだ。そしてその戦争が、さらに弱い者たちを非人間化し、”腕力正義”を強化する。そうやってぐるぐるぐるぐる、回りながら肥え太ってきたのだ。
 そうであれば、この乱暴な野蛮社会をきちんと洗練された文明社会にするには、どうしたって男性優位社会、家父長制を消滅させなければならないことになる。せっかく発達させた頭脳で考え、すべての人類を人間として扱いそれぞれの幸福をそれぞれに追求できる世の中にする、それが人類の進化というものではないか。
 人間として生まれたからには、わたしはこの進化の中に身を置きたい。

広島の被爆者の言葉は、コンゴの女性たちの言葉と重なる。戦争に対する闘いとは、相手を自分と同じ人間として見ない者との闘いだ。他者を人間と思えなくなった瞬間、つまり、自分と同じ人間としての痛みや感情を相手は持っていないと思うようになった瞬間に、始まるのが戦争だと思う。
デニ・ムクウェゲ
他者の気持ちになって考え、感じ取ることができる力、それが平和ということ。
デニ・ムクウェゲ

 人が人であるゆえんは共感力ではないかと、常々思ってきた。
 共感力のない、いわゆるサイコパス気質の人と関わると、その冷酷さや感覚の噛み合わなさ、話の通じなさに苦しまされるものだが、それが差別意識に根ざして発揮されると、罪悪感なく簡単に相手を踏みにじるので恐ろしい。
 この力が組織化したのが、過激な人種差別主義集団だったり、民族主義集団だったり、軍隊だったりするのだろう。非難もあろうが、ここまで順々に考えてきたら、そういう結論になってしまったのだからしかたない。
 軍の場合、サイコパスにあたるのは組織であって、兵士たち個人ではないように思う。彼ら全員が共感力を持たないサイコパスであったら、軍は成り立たつまい。彼らはむしろ"共感力"で一致団結し、愛国心を高め合って武器を掲げ、一糸乱れぬ隊列を組み、命令を待っているのだから。

大きな問題は、このことについて人々が語らないこと。日本の皆さんに訊けば「わたしたちの国にそんな問題はない」と答えるだろう。しかし、現実はまったく逆だ。もし災害や戦争が起きれば、女性や子供が犠牲になる。
デニ・ムクウェゲ

 いいえ。「わたしたちの国にそんな問題はない」などと言うのは、家父長制支持の野蛮人どもだけです。
 ムクウェゲさん、日本の女性も、ときには男性も、コンゴの女性たちと同じ悩みで苦しんでいて、それははっきりと自覚的です。戦争は起きていませんが、大きな災害をいくつも経験したこの国では、そのたびに、あとからひっそりと、性暴力被害が報告されるのです。

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