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過干渉な親から学んだ「人間関係を良好にする」コミュニケーション方法

わたしの親は干渉がすごい。
それでも昔よりはだいぶマシになったのだけれど。

干渉というよりは、指示や命令が多い、という表現になるんだろうか。もしかしたら、同じことかもしれない。

「ダメ」「あーしなさい、こーしなさい」「〜はやめて」などなど。

ひとつひとつは、別にめくじらを立てるほどでもない、小さなこと。それでも、数十年間のチリツモはもうエベレスト級にまで積み重なってしまっている。

干渉したい親の気持ちは理解できないわけじゃない。ただ、百歩譲って「話すタイミング」「順番」「話すときの声のトーンや話の組み立て方」は少しくらい考えてくれよ。なんて、HSPのわたしは思ってしまう。

例えば、夜遅く帰ってきた親。
何も言わず急に子どもとの部屋の襖を開けてくる。
これはまあ、いつものことだから、別にまあ、いい。
子どもの寝かしつけ真っ最中だったかもしれないけれど、まあ実際は違ったし、まあいい。気にしない。

「おかえり。今日は子どもちゃん疲れてるから、いつもより早めに寝かしつけしようと思ってるの」といったわたしの言葉に対して

「マニキュア塗ったの?すごいケミカルなにおいがして臭い。自分たちの部屋じゃなくて洗面所とかで塗った方がいいんじゃないの?」

この時点で、カチンとくる。

「おかえり」って言ってんだから、まずは「ただいま」って返事だろ。

いつも子どもに「おかえり」や「ただいま」「おやすみなさい」「行ってきます」の挨拶をしなさいと耳にタコができるほど言ってるのはあなたじゃないの?って、イラっとする。

そして、こっちが話を振ってるんだから、まずはその話に一言でいいから返事をしようよ。「うん」でも「ふーん」でも「そうなんだ」でもいいからさ。

それもなく、完全にこっちの発言を無視したよう形で帰宅後開口一番に非難と指示だと、さすがにこちらも不快な気分になりますよ?(え、わたしの心が狭いわけじゃないよね?)


言ってることは、別に間違ってないと思う。
そうね、子どももいるから、こういうにおいきついやつは、別室でやった方がいいよねって気づきは、ありがとうと思う。

けれど、その話の持って行き方だ。

でも、その気遣いや歩み寄りを、年老いた親に求める方が間違いなんだろう。


性格として、いまさら変わらないのも、過保護で過干渉なのもわかってる。それは100歩譲って、ゆるせる。

唯一許せないのは、「自分のことを棚に上げて人に指示や命令をしまくること」だ。

あいさつの話然り。

人には「あーしろ」「こーしろ」と相手の状況やタイミングなんて気にかけることなく指示するくせに、自分はしないことも多い。それを指摘すると「だって」と言い訳をする。ただし、その言い訳は本人にしか適応されない。同じ言い訳をわたしか子どもがしたら「言い訳しないの」と怒ってくる。

その不平等さと理不尽さが、いやなのだ。

人に指示や命令をするなら、せめて自分もそれを実践しろよ。人の不完全さを許せず、完璧を求めるのなら、自分も完璧になれるように努力しろよ。

なんて、思ってしまう。


そもそも、親のような生き方は苦しいだろうなって思う。

人は完璧じゃないし、完璧になんでどれだけ頑張ったって、なれるわけがない。不完全さをもっているのが人間。それは、自分も相手も。

人の不完全さを許せないということは、自分の不完全さを認め、受け入れられていないということなのだと思う。

だって、自分も不完全で完璧じゃない人間だと認めて、それを受け入れられたら、人が失敗したり間違ったり、自分と違う価値観や行動、発言をしたとしても許容できる。

「わたしも完璧じゃないもんな」「わたしも、人のこと言えないよな」って。

でも、自分の中の不完全さを認められていないと、人に少しでも失敗や間違いを指摘されたら、猛烈に反発する。そして相手の不完全さを指摘して責め始める。

そんな生き方って、他人も苦しいし、なにより自分が苦しいんじゃないかなって思う。それに、そんな人からは、人は離れていってしまうんじゃないだろうか。

少なくても、わたしはそういう人とは一緒にいたいとは思わないかな。


人に意見を伝えることはできる。
でもそれはあくまでも「自分の意見」で、相手がそれを受け入れるかどうかは、相手の選択に委ねられているということを念頭におく必要がある。
相手にとっては普通のことが、自分にとっては理解不能なことだってあるだろう。

「なんでそんなことするの?」「普通はさ」「〜しないでよ」「〜してよ」と上から言うのではなく。

「わたしは〜されるとこんな気持ちになってしまうんだ。だから、今度から別の(具体的な)〜してくれると嬉しいな」みたいに、あくまで自分の意見を伝える。そして、相手に委ねる。

相手がそれを受け入れてくれたら「ありがとう」だし、それを受け入れてもらえないなら、それをどう許容するのかは自分次第だ。

でも、変わってくれない相手を責めても仕方がない。


結局、人間関係でのコミュニケーションは、親子関係だろうが、子育てだろうが、パートナーシップだろうが、仕事関係の人だろうが、友人同士だろうが、同じ。根本的な部分での思いやりや配慮っていうものは、変わらないんだよなと思う。

自分がされて嫌だなと感じることを、他の人にしてしまっていることがないか。そうやって自分を省みて、反面教師にしながらよりよい人間に成長していこう。

そんな風に、いつも思う。

わたしも、まだまだ成長途中だ。

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