なんで病んだのか少し落ち着いて考えようか -嫉妬編

最後に動画を投稿してから5か月、気が狂ってアカウントを爆破してから3か月も経っていた。
自分は一度病みに入ってしまうと全方位に呪詛を吐き散らかしてそのうち自爆するという極めて厄介な性質を持っていて、一度全部吐き切らないと完全に何もかもわからない自失状態になってしまう。
そのくせして回復スピードも異様に早いので、自分がなんでこんなに病んでこんなこと吐き散らかしていたのか自分でもわからないことが多々ある。
そういう時は文字にした方がいい。文字書きは嫌いじゃない。元はといえば文字書きが自分の原点である。


嫉妬とは

どうあがいてもこれに尽きる。とーーーーーーーーーにかく他人に嫉妬しやすい気質で、自分よりうまくいっている人、優れている人が妬ましくて仕方ない。東方のパルスィもびっくりなレベルである。でもその中身は割と複雑かもしれない

無意識の見下し

当人にも周囲にもバレバレだと思うので言ってしまう。A(仮名)という同業者がいた。彼は自分より半年後くらいに動画投稿を始めており、最初こそまぁ有象無象という感じだったのだが成長の早いタイプで伸びないと見るやジャンルを変えて成果を出していた。でもまぁいうて初期のころは歴で勝ってたので特に気にも留めていなかった。
一つ目の転機は初心者投稿者向けのイベントの時。彼も自分もその時はまだまだ投稿者としてはヒヨッコだったのでそのイベントに参加した。その時自分はそのイベントに参加できなくなるかどうかくらいの登録者数で完全に調子に乗っていた。『このイベントで一旗揚げてそのまま勢いに乗るか~~~~』くらいの今考えると極めて自信過剰で愚かというか、まぁこれも病みやすい理由の一つだと思うが。結果として自分はそのイベントでドベから数えた方が早いくらいに大敗した。大敗という言葉が本当にふさわしいくらいのひどい有様だった。一方彼はというと、全体でも上位、特別賞とか貰っちゃうくらいに大成功していた。この時から自分の中の歯車は狂い始めた。実際のところその時は彼のことよりも自分自身のあまりにも悲惨な結果に打ちひしがれていたので彼との比較はほとんどしていなかった。でも今思い返せばこの時点で彼とは大きな差がついていたのだろう。
2つ目は転機……ではないのだが、上記のイベントで大敗して凄まじく病んでいた時にそれでも当時の自分は今よりずっと強い人間だった(冗談抜きで)ようで、這いつくばりながらなんとか投稿を再開した。その時、今のままではダメとわかりつつもどうすればいいかわからなかった時、他人を参考にするしかないと極めて自分らしくない選択をした。そこで参考にしたのがあろうことか彼だったのだ。元々狡い性格をしていた自分は有名投稿者の言うことなど絶対参考にしたくないという逆張り精神をしていたのでそこらへんからなんかいいアイデアはないかという極めて舐めた精神で探していた。彼は件のイベントで大勝したとはいえ、その時点ではまだ自分より単純な登録者は少なかった。そしてなにより当時思いついたアイデアと彼の記事がうまい具合につながっていたので、特に考えもせずに参考にした。その結果、イベントでの大敗から一転、過去一番の成功を記録した。だがこれはここから続く果てしない苦しみの始まりでもあった。この時の成功には二つの穴があった。まずその時投稿した動画はある特定のスタイルの動画だったのだが、これを提唱したのは他でもない彼だった。彼が第一人者のスタイルを借りたのだ。それ以外に画期的に数字を稼ぐ方法があったのだが、これも彼考案だった。いわばこの成功は自分の力ではなくほぼ彼の力だったのだ。そして一度このスタイルで成功してしまった自分はもう彼考案のスタイルの動画を作る『ポストA』として認識されてしまったわけだが、その時の自分は知る由もなかった。
3つ目の転機はあまりにも致命的だった。上記の成功後、彼の功績にただ乗りする形で見せかけの数字を伸ばし調子に乗っていたが、実際よく見てみると彼は自分を凌ぐスピードで伸びていった。気づけば登録者も抜かれ、個々の動画の評価も負けていた。そりゃ彼が考案者なのだから当然の話である。自分は彼のフランチャイズであり、他人の土俵で相撲を取っている哀れな存在でしかない。それでも見せかけの数字は一時の安寧を齎してくれた。思えばこの時期が一番幸せだったかもしれない。だが現実は非情だった。
ある時一本の動画を投稿した。この頃自分は少し不安定になっていた。理由は彼と万が一投稿周期が被った場合、勝てる可能性が3割くらいしかないことに気づいていたからだ。すでに投稿者としての実力は彼>自分であることは明らかで、数字も世間の認知もほぼ固まっていた。だから動画を作る時は彼と被らないことを祈っていた。だがその時は非情なことに日付どころか投稿時間までぴったり重なってしまった。よーいどんの正々堂々真向勝負、一番避けたかった事態であった。更になんと投稿した動画のストーリーまで酷似しているというありえない偶然という不幸が自分を襲った。動画のスタイルはもちろん一緒なので、この勝負は両者の格を決定づける一世一代の大勝負だった。
結果はもちろん……大敗だった。完膚なきまでの大敗だった。自分の動画はいつもより少し悪い程度の結果に対し、彼は過去一番の結果を残した。片方の動画サイトでは『バズ』に近い伸び方をした。10倍近い差をつけられた。
絶望した。今狂っているのと同格レベルで病み、狂い、暴れた。普段何も言わないフォロワーがやんわりと擁護するくらいには惨めで哀れだったことだろう。それまで現実を直視しないことでギリギリ保っていた自分の精神はこの一件で一度完全に崩壊してしまった。その時自分は彼のことを見られなくなった。彼が妬ましい。憎い。嫌い。この時創作者としての精神は完全にねじ曲がってしまった。勝たないと自分の居場所は無いとそう思い込むようになった。
きっと自分は心の底で彼を見下していたのだと思う。いや確実にそうなのだ。元々人を見下しがちな悪癖がある。態度に出したことは勿論ないが、精神状況から逆算すると確実にそうなのだ。ほぼ無意識なのだろう。
学生時代のエピソードで、今でも一番仲のいい親友が一人いる。だか彼と高校生の時にほぼ絶縁寸前になりかけたことがある。結論から言うとこれも自分が彼のことを無意識のうちに格下と認識していたことによる、現実との乖離に精神が病んだことが原因である。中学生の時まで自分は常に学業トップで、彼はいつも2番だった。でもそのことについて自慢したことはない。彼とはいつもバカみたいにモンハンをやる仲だった。でも心の底では違ったのだろう。彼より優れている、自分の方が上という認識が深層心理にあったに違いない。だが高校に入って自分は勉強についていけなくなって一気に落第生になった。最初は彼も一緒に落ちぶれていたのだが、受験を控えて彼は本来の努力家な点を目覚めさせて一気に成長した。一方の自分は元々努力のできない怠惰な性質から抜け出せず、一人置いて行かれた。でも認識は中学の時から変わらなかったのだろう。『どうしてアイツが俺より……』その後ろ暗い気持ちがどんどん膨らんで病んでいき、気づけば彼に冷たい態度をとって疎遠になっていった。結局その後は自分自身がなんだかんだで別の進路でうまくいって精神が回復したのと第三者による仲裁が入ったことで彼とは今でも親密な付き合いが継続しているが、10年来の付き合いがこんなくだらない無意識のせいで消えかけるくらいには自分の中に潜む極めて危険な性質なのだろうと思う。なんなら今でもふとした時に彼に対して見下したような気持ちを抱いていないか不安になる。でもこれに関してはいまや大学も就職も彼より全然格下になっているが、ゲラゲラ笑いながら楽しくゲームをしているので流石に大丈夫だと信じたい。
話を戻して、Aに限らず自分よりも後発だったりすると勝手に格下だと認識してしまう悪癖があったのだと思う。スタイルが似通っているなら猶更。決定的なのはAだが、A以外にも数人ロックオンしていた同業者がいて彼らの動向に目を光らせていた節はある。彼らが自分より不調なら安堵し、好調なら精神が不安定になる。そんな歪み切った状況を続けられる訳がなかった。
とにかく認知が歪んでいる。

承認欲求と評価の仕方

先ほどまでの話は格下だと思いこむことによる認知の歪みが原因だったが、逆に格下だと思っていない人間に対してはどうなのか。これは単純で、歪みのない純粋な羨望から始まり徐々に歪んでいき病んでいくだけであった。
先ほどもちょっと出てきたが、自分はいわゆる有名投稿者に分類されるような人は徹底的に見ないようにしていたのでそもそも数字以外の情報を殆ど知らない。とりあえず彼らは自分よりも格上で手の届かない存在というくらいの認識しかないが、あえて言うならなんで勝ち目のない勝負をしなきゃいけないんだという不満があったくらいかもしれない。ただそれは徹底的な対策を施していたからそこまでダメージを受けにくくかったというだけの話で、本質的にはすさまじいレベルの妬みの感情を持っていたのは事実。嫉妬の感情の根底には狂ったレベルの承認欲求がある。とにかく自分/自分の作った物を見てもらいたい、褒めてほしい、評価してほしい、推してほしいという気持ちが強すぎる。なんというか自分に注目が向いていることに対して漠然とした憧れがあるらしく、もっというと現実ではなくインターネットの世界だけでそうなりたいという気持ちがつよい。それは少なくない成功体験がそういう土壌を作り上げているのかもしれないが、とにかく見てほしい、かまってほしいという、若干メンヘラくさい節がある(大学時代に複数名から言われたので確実)。『その点ならある程度見られているし固定ファンも居るから条件は達成してるのでは?』という意見もあるだろうがこれが違う。評価には絶対評価と相対評価があるが、こと創作においてはこの2種類の認知のズレが多大な勘違いを引き起こすと思っている。すべての人間がそうであるかはわからないが、AとBの二つの作品を見てどっちも気に入った場合、『あーどっちもすこだ……』となる(んだと思う……)。ここで両者のクォリティがA>Bだった場合に『どっちもよかったけどBはAよりクォリティ低いから駄作だわ』とはならない……はず?自分の考えが歪みすぎているので一般的な考えがわからないが。要は気に入った創作物や作者同士を相対評価することは無く、各々を絶対評価している(らしい)。
だが自分の場合は自身と他人が二つあった場合、それらを必ず相対評価してしまう。それをしてしまうと必ず誰かよりは劣るはずなので、絶対に満たされることはない。必ず最後には自分と自分の作品は劣った駄作になってしまう。これは自分の認識だけに留まらない。自分と自分の作品を見ている(であろう)人が自分よりも相対評価で勝る人や作品に言及していた場合、その時点でその評価者の中で自分や自分の作品は劣るモノとして下げられたとみなしてしまう。これは明らかに歪んだ認知である。

〇一般的な思考
Aという作品とBという作品の2つがあってどちらも好き
→両者の評価は小分けされており、優劣はない
→順位付けをしろと言われたらAの方が上になるかもしれないがそれによって本人の中でBの評価が下がるものではなく、両者は平行して評価される
〇自分の思考
Aという作品とBという作品の2つがあってどちらも好きではある
→客観的に見てAの方が優れている場合、Bは相対評価が低いため評価されなくなる
→両者は平行して評価され得ない

だが頭でわかっていても心が従えるものではない。自分の作品を褒めてくれた人が、自分よりも数字でもクォリティでも勝る人をRTしているのを見て、『あぁこの人の中で俺の作品は上位者の作品に上書きされて消えてしまった』という思考に陥ってしまう。
個人的に推している人がいて、その人は自分の作品もよく見てくれていた。けれどある時その人が同業の天上の投稿者の作品をRTして『一番好き』とつぶやいていたのを見た時にまた自分の心の中で何かが崩れてしまった。
『誰かの一番になれなければ意味がない』とはまた違うのかもしれないが、常に他の誰かに上書きされてしまうという思考がどんどん歪んでいって、自分を上書きして消す憎い存在として歪んだ妬みを生んでいる。
ただかまってほしい、見てほしいだけではなくて自分だけを見てほしいという歪んだ認識が続いている。だから他人の話を出すのを極度に嫌っていたし、絶対に自分から他人に言及することはなかった。基本的に他人の作品を全くと言っていいほど見ないのだが、これは自分の創作の根底が『見てほしい』一点なので、他人の作品には一切興味がないからなのだと思う。だから他人を妬む時は数字や感想ばかりに着目して、その中身について意識したことが殆どない。
こんな歪みきった認知の中で唯一健全(?)といえるかもしれない点が、その上書きされる作品に対して『上書きされるのは妥当』と思っていることだ。
少なくとも『なんでこんな作品に上書きされなきゃいけないんだ』と思ったことはない。上書きされることに妬みや憎しみを抱きはせよ、上書きされるに値するということは認めていた。面白いのが、前述の無意識の見下しとは真逆で、他社の作品に対する評価は深層心理で冷静に評価しているということである。たまに表層で『なんでこんなのが……』と思うこともなくはないが、大体は作品そのものに対して言及することはほぼない。それは無意識的にその作品が自身の作品よりも評価に値するということを認めているから、抵抗しても覆らない事実に無様に逆らっても意味はない。だからそっと蓋をして見なかったふりをするのだ。けれど先ほどの上書きの論は避けられないし結局その事実を認める過程で心は病んでいくのである。

長すぎるので分ける

病みの原因は感情的な性質だけでなく他にも理由があるのだが、嫉妬について書くだけですごい長さになってしまったのでまた分ける
やはり書くのは楽しい。元はといえば話を考えるのが嫌いじゃない→劇場動画が作れそうというその程度の方向性でやっただけなのだ。普通の人ならそういったちょっとだけ人より良いところをちょっとだけ進めればいいみたいな思考ができるのだろうけど、自分にはそれができなかった。
そういう話も分けてしていきたいと思う


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