マガジンのカバー画像

おうち旅行✈️

203
みなさんとつくりあげるおうち旅行、まとめていきます!
運営しているクリエイター

#時間旅行

【1989年100日旅】30日目。モスクワ

【1989年100日旅】30日目。モスクワ

30日目。前夜、大人たちは日本酒とヴォトカを飲み、楽しく過ごしてホテルに帰るのが遅くなったので、朝はゆっくりすごす。昼食時、グルジアのおじさんがアルバート通りのグルジア料理店に誘ってくれた。「チーズたっぷりでお祭りの時に食べるものを食べた」と日記にある。

「名前は忘れたが、信じられないほどおいしかった」と書いている。記憶を頼りに調べたら、チーズ入りパンのハチャプリの一種、アチュマだとわかった。チ

もっとみる
【1989年100日旅】29日目。モスクワ

【1989年100日旅】29日目。モスクワ

29日目。夜は父の知人のグルジア人と夕食。モスクワで治安の悪さを感じることはなかったけれど、グルジア、アゼルバイジャン、アルメニア等のソ連の南側では独立運動が盛んで衝突もあったらしい。母の顔立ちはそれらの国の人のように見えるので、気をつけるようにと忠告された。

このグルジア人男性はマルクス研究が専門の教授で、人に何かを与えるのが好きな人だった。うちの晩御飯を食べに来るときには、母に花を持ってきて

もっとみる
【1989年100日旅】20日目。モスクワ

【1989年100日旅】20日目。モスクワ

20日目。一人でモスクワ大学の寮の中庭に出ると、前日遊んだ「おもちゃのからす」君だけがいて、私に「こっち、こっち」と誘ってくれた。門を乗り越え、塀をすり抜けて彼が連れて行ってくれたのは、いつも見ているモスクワ大学とは反対側の広大な池のスペース。今は雀が丘と呼ばれているらしいけれど、当時はレーニン丘という名前だったらしい。

中庭の小さなスペースとは違い、広くて明るい。噴水からは水は出ていなかったけ

もっとみる
【1989年100日旅】17日目。モスクワ

【1989年100日旅】17日目。モスクワ

17日目。小学校は授業参観日。1時間だけで学校を終え、父の住むモスクワ大学の寮に戻った。ロシア人らしき男の子が二人いたので、言葉は通じなかったけれど一緒に遊んだ。言葉が全く通じなくても意外とコミュニケーションはとれるもので、この旅ではいろんな国の子供と遊んだ。

午後はアルバート通りへ。歩行者天国の通りで、おみやげ屋、骨董品屋、カフェ、レストラン、帽子屋などのお店がたくさんあった。道端で似顔絵を描

もっとみる
【1989年100日旅】15日目。モスクワ

【1989年100日旅】15日目。モスクワ

1989年の今日は旅の15日目。この日は、モスクワ大学の寮の探検をした。モスクワ大学の寮には当時の書記長、ミハイル・ゴルバチョフがかつて住んでいた部屋もあって、それを探しに行った。特に他の部屋と変わることもない、ザ・ソ連な感じの外観だったけれど、プレートがかかっていた。テレビでゴルバチョフを見て、知っているような気になっていたから、寮の部屋を見たときはうれしかった。

ゴルバチョフは妻とモスクワ大

もっとみる
【1989年100日旅】13日目。モスクワ

【1989年100日旅】13日目。モスクワ

1989年4月18日。旅は13日目。同じスクールバスに乗るクラスメートが、一緒にクラブに入ろうと誘ってくれたので、バラライカという三角形で三弦しかないソ連の伝統的な楽器のクラブに入ることに決めた。

音楽の先生でもあった教頭先生が、ロシア人の先生と一緒に教えてくれた。メイン弦が針金で、指で抑えるのはなかなか苦行だったけれど、キラキラした音が出るのが気に入っていた。

学校へはホテルからスクールバス

もっとみる
【1989年100日旅】12日目。モスクワ

【1989年100日旅】12日目。モスクワ

1989年4月17日。旅は12日目。学校へ。クラスメートがこれまでに行った国々の話をしてくれた。6年生で行く修学旅行など、学校行事もソ連国内ではなく、ヨーロッパに出かけると聞いた。またモスクワ日本人学校には高等部がないので、親の任期が続く場合は、多くは英語圏の学校に進学するらしかった。「世界が小さくなったみたい」と日記に書いている。

この日は妹の誕生日で、両親がケーキをどこかで入手してきた。白く

もっとみる
【1989年100日旅】7日目。モスクワ

【1989年100日旅】7日目。モスクワ

1989年4月12日。この日はビザ申請をしに東ドイツ大使館に行った。東ドイツ大使館は、相手が日本語ではなくロシア語を話すという点が違うだけで、日本のソ連大使館とあまり違わないと感じた。つまり無愛想。あまりに長い時間待たされ、退屈して妹弟と騒ぎすぎて、大使館の人から激しく怒られた。ビザをもらえないのでは、と親が心配するほどだったらしい。

その日、初めて自動販売機でジュースを買ってもらって飲んだ。ソ

もっとみる
【1989年100日旅】5日目。モスクワ

【1989年100日旅】5日目。モスクワ

1989年4月10日。父の暮らす寮で、隣室のドイツ人と一緒に夕食。その日のご飯はカレー。持って行ったゼリーやおせんべも一緒に食べたらしい。「ソ連にも(ドイツ人だけど)楽しい人がいるんだなと思った」と日記にある。

父はモスクワ大学の寮に住んでいた。寮には自由に使える大きなキッチンがあって、様々な国の人が料理をしていた。モロッコ人のお兄さんが大きな長方形の包丁でドンと肉をぶった切っていたり、酸っぱい

もっとみる
【1989年100日旅】4日目。モスクワ

【1989年100日旅】4日目。モスクワ

1989年4月9日。ゴーリキイ公園に行き、シャシリク(串焼き肉)を食べた。当時のソ連には橋や建物等、防衛上撮影禁止の場所がたくさんあり、警官に見つかるとカメラやフィルムを没収されるらしかった。ゴーリキイ公園も本来は撮影禁止。「でも、こっそり撮った」と日記にある。子供を立たせてピースかなんかさせておき、写真を撮るのがコツだったらしい。

ハードロックバンド、スコーピオンズは『ウィンド・オブ・チェンジ

もっとみる