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割れたiPhoneとかすり傷の話

やばい、って思った瞬間、胸がつまって泣きそうになった。

「好きになっちゃいけないって思い始めたらそれはもう好きだし、好きでいなきゃいけないって思い始めたらそれはもう気持ちが冷めてる」なんてことばを、その時ふいに思い出した。


・・・


とてつもなくやさしい人だった。大切な人のために、自分を犠牲にしてしまうような。

それは彼も同じだった。傷つきやすい私は、自分を守るためにはなからやさしい人を選んで好きになる癖がある。なんとなくのんびりした雰囲気や、周りの人にかわいがられるその人の性格が彼と重なるたび、後ろめたさを感じた。それは彼に対してだったようにも思うし、その人に対してだったようにも思う。その人のやさしさに触れると、きまって私は泣きたいような気持ちになった。


iPhoneを落として割った次の日、ばきばきの画面と擦りむいた手のひらが滑稽で、自虐的に話した。なにしてんの、やばいじゃん、って笑い飛ばしてほしかった。だけどその人が真っ先に口にしたのは、私を心配することばだった。


「まじか!怪我しなかった!?」


やばい、って思った。こういうやさしさに嬉しくなって、同時に泣きたくなる気持ちを、どう扱えばいいかわからなかったし、どう受け止めていいかもわからなかった。


「かすり傷なんでセーフです!」


セーフです、まだ。ちょっとぐらっときただけです。


・・・


彼とその人には、決定的な違いがあった。それはその人と仲良くなればなるほど、顕著に感じられた。


「俺ボーリング結構得意なんだ!最高スコア300くらい」
「え、あの検定っすか?実は4段もってます」


どの分野でも、掘れば常人以上のエピソードが出てくる人。だけどそこに驕りも嫌味もなく、さらりと口にできてしまう。その人はまぎれもなく、「持っている側」の人間だった。


それは私の眼にその人を魅力的に映したけれど、同時に私とその人との距離を遠ざけた。


「いつも遅くまで残業してて偉いね。俺がそのくらいの歳のときなんて全然仕事できなかったよ」

「...仕事遅いだけです、要領悪いんで」


苦笑紛れに返したことばは謙遜でもなんでもなく、本心だった。その人の若手時代を私は知らないけれど、仕事ができなかったなんて絶対嘘だ。きっと涼しい顔をして、そつなく仕事をこなしていたんだろう。実際その人の評価は、職場でも高い。


「そんなことないって!無理して身体壊さないようにね」


はじめて、その人のやさしさにいつもと違う理由で泣きたくなった。「持たざる側」の人間にとって、「持っている側」の人間はあまりにまっすぐで、まぶしい。


・・・


久々に彼と会えた休日、割れたiPhoneの画面を見せて笑った。

「見てー転んだらばきばきになっちゃった!」

彼は自分のiPhoneが割れたかのように痛そうな顔をして、私の頭をなでた。

「わあ、悲しいね・・・この間フィルム交換したばっかりなのにね」


その瞬間、なんだか安心した。彼はやっぱり彼で、あの人はやっぱりあの人だった。2人のやさしさは決して、似通ったものではなかった。


割れたiPhoneから状況を察して、私自身の心配をしてくれたあの人と、私の気持ちを想像して、一緒に悲しんでくれた彼。どちらのやさしさも嘘なくうれしかったけれど、私はやっぱり彼のほうが身近に感じるし、そんなところが落ち着くと思った。


何でも持てちゃうあの人が、少なからず自分に好意を寄せてくれていることにはなんとなく気づいている。だけどきっと、私が今後あの人を好きになることはない。

「持っている側」の人間でも自由にできないのが人の心だよなあなんて、他人事みたいに思った。


・・・


愛について考えるとき、『愛がなんだ』の一節をよく思い出す。


顔が好みだの性格がやさしいだの何かに秀でているだの、もしくはもっとかんたんに気が合うでもいい、プラスの部分を好ましいと思いだれかを好きになったのならば、嫌いになるのなんかかんたんだ。プラスがひとつでもマイナスに転じればいいのだから。そうじゃなく、マイナスであることそのものを、かっこよくないことを、(中略)、そういう全部を好きだと思ってしまったら、嫌いになるということなんて、たぶん永遠にない。


彼氏にならないマモちゃんに溺れて、仕事も私生活もだめにしてしまうテルコの気持ちはいまひとつわからなかったけれど、これはよくわかる。


彼は私ほど要領は悪くないけれど、「何でもそつなくこなす」というタイプではない。「持っている側」の人間ではないのだ、あの人とは違って。

そして私は、彼のそんなところを愛している。「持たざる側」である彼の不完全さは、私に安心と自己肯定を与えてくれるし、それは私が彼のそばにいる理由にもなる。不完全同士、欠けているものは補い合えばよいのだから。


後ろめたく思うことなんて、何もなかった。はじめからずっと。これだけ彼を愛していながら、他の誰かに気持ちが移る余地などあるはずもない。


あの人には少し申し訳ないけれど、安心した。


たぶん、あの人のやさしさに触れるたび泣きたい気持ちになったのは、心のどこかでわかっていたからだ。あの人の想いに応えることができないと。それなのに無償のやさしさを私にくれるから、「ありがとう」と「ごめん」があふれて苦しくなった。


だからせめて、どうか。あの人が私にくれたそのやさしさが、別のかたちでちゃんとあの人に返るように、祈るよ。余計なお世話だとしても。私が責任をもって同じだけのやさしさを返すことは、叶わないから。


好きになってくれてありがとう。どうか、しあわせになって。


手を合わせるしかなかった 花びらが散っていくのも止められぬまま


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