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『欲望の資本主義2024』観たよ

NHKの『欲望の資本主義2024』観ました。

毎年正月恒例のシリーズ。今年は元日の地震もあって10日延期での放送。江草はタイムリーには見られず、録画で視聴。

マニアックな論者が各々独自に語ってる諸々の資本主義論と異なって、これはNHK様による公共放送ですから、現在、一般的にはどのように資本主義の問題が捉えられてるかを知る上でとても良い番組なんですね。

SNSやAmazonのオススメであんまり興味本位にマニアックな論者の言説ばかり読み聞きしていると、いつの間にか世間一般の認識とかけ離れるおそれがあると思ってるので、江草は毎年チェックするようにしています。


内容の概要(江草解釈)

今回は日本の会社の生産性や働き方に焦点を当てている回でした。

無形資産へのシフト、旧来の日本型メンバーシップ型雇用からの脱皮、安直なジョブ型雇用信奉への批判、雇用流動性の促進などが挙げられてましたかね。

江草は好事家的に勝手に普段から資本主義にまつわる議論を摂取しまくってるのもあって、目新しい話というのは正直なかったのですが、NHKがメイントピックとしてとりあげるぐらいには「働き方の問題」に注目が高まってる様子は特筆すべきポイントだなと感じました。

イメージ映像風に矢継ぎ早に、色んなグラフ、専門家のコメントや偉人の名言が流れる構成なので、まとまった明確な主張や要点というのはこの番組にはないのですが、概ね働き方についてはメンバーシップ型でもなく、ジョブ型でもない、自営型に期待を寄せているような内容でしたね。

つまりは、裁量権を個々の労働者に十二分に与えて、メンバーシップ型のように何時から何時まで勤務みたいな定時労働制でもなく、それでいてジョブ型のように「これだけがあなたの仕事だよ」と業務範囲もきっちり明確にせずに、実施には幅広く柔軟な役割を個人が担う(でも嫌な仕事はある程度断れるし転職も容易)、というイメージの働き方ですね。

こうした働き方のニーズが生まれる背景として、ITに象徴される無形資産の価値が高まってきていることがあること、

それに伴い旧来の資本主義モデルの3要素について

「【資本家】-【生産手段】」-「【労働者】」

という資本家が生産手段(工場設備など)を所有していた時代から、

「【資本家】」-「【生産手段】-【労働者】」

と、生産手段(知識・ノウハウ)が労働者の内部に所属する時代に変化したことがあるという指摘でした。

昔の資本家は労働者を搾取しまくって死んだり辞めたりしても生産手段としての工場設備は残ったけれど、今は労働者をいじめて嫌われると生産手段ごと立ち去ってしまうから、労働者をかわいがって、しかもその生産性を発揮させるために裁量権もたくさん与えないといけなくなったというわけです。

なので、生産性を高めるためには日本もこうした働き方を目指したり、各自が満足できる仕事に就けるために雇用の流動性も高めようというのが、(江草が解釈した)番組の方向性でした。

自営型は一部の職種しか難しんじゃないか問題

まあ、概ね、各論的にはそれぞれの主張について江草もさほど異論はないのです。それでもやっぱりまだまだ語られてない死角が多くって、これらだけだと不十分じゃないかなあというのが率直な感想です。各論一つ一つは妥当でも、死角の部分を見ないままだと、総論的にうまくいくかどうかはちょっと怪しいんじゃないかと。

たとえば「自営型」が求められるようになるのは確かに自然な流れとはいえど、多くのエッセンシャルワーク業界はそういう「自営型」と相性が悪いんですよね。ケアワークは24時間365日誰かが絶対対応しないといけないので夜間の当直とかオンコールとかが必須になります。残念ながらこういうのは各々に勝手に裁量権を与えることで埋めるのは難しくて、どうしてもシフト制になってきます。「平等に交代でやろうね」というメンバーシップ型に寄らざるを得ない。

もちろん、IT系でもインフラ担当者とか障害対応で即応するためのオンコール待機はあると聞きますし、別にいわゆる「伝統的なエッセンシャルワーカー」だけにこうしたシフト的な制約があるわけではないとは思います。

ただ、今回の番組ではどちらかというと「クリエイティブな仕事」「新たな価値を生み出す系の仕事」を意識している雰囲気となっていて、エッセンシャルワークに代表される非クリエイティブ職(ケア・メンテナンス職)への意識は弱いんじゃないかと感じたわけです。

ヴェブレンの「人は誰でも製作本能を持っている」という語の引用を踏まえて「誰もが充実した働き方をできるはずだ」と鼓舞する一幕は確かに感動的でしたが(このヴィジョン自体は江草も賛同しますし)、これはともすれば「製作的クリエイティブでない仕事」を考察対象から除いちゃってることを象徴する流れのようにも思えます。

「イケてる会社だぜ!」という感じで紹介されてるデンマークの会社も日本の会社もあくまでプロダクトを製作してる会社でしたしね。

往々にして、こうしたエッセンシャルワークは(数字の上では)低生産性でもあって、番組のテーマである生産性向上とも相性が悪いですし、ちょっと都合よく視界から省かれちゃってる印象は否めません。

出産育児や少子化問題も射程外

で、もっと言えば、仕事以外、経済活動以外の人間の活動も死角になってると思うんですよね。もっとも、これはあくまで「資本主義」をトピックとしてる番組だから仕方ないところはあるとも思いますが(尺にも限界がありますし)、それでも死角であることには変わりません。

具体的に何を言ってるかというと、出産育児、すなわち少子化の問題に触れてないということです。先ほど挙げたケア・メンテナンス職だとまだ仕事なので経済活動の範疇ですけれど、家庭での出産育児となるともはや仕事でもないので、生産性もなにもないわけですね。

よく言われる対照で表現すれば、production(生産)ばかり追い求めてreproduction(生殖)を軽視したツケが社会を襲っているわけです。

こんな状況下で、企業内での生産性向上ばかり注視してしまうのは、残念ながら視野が狭いんですよね。なにせ少子化は長期的に言えば経済活動とも無縁ではありませんし。人がいなくなれば成長も生産性もなにもありませんから。

番組内でも日本の旧来型のメンバーシップ型組織に「若い人が潤沢にいるのを当たり前として設計してしまっていた」という罠があったことが指摘されていましたが、いまだに企業内の生産性向上にばかり注視してしまうのも同じく「人がいつまでも新しく社会に生まれることを当たり前としてしまっている」という罠にハマってるんじゃないでしょうか。

エンディングでヴェブレンの「営利企業の最終的な運命は破滅である」的な名言(うろ覚え)で締めくくられていましたが、(短期的な)生産性向上にばかりこだわる営利社会も最終的な運命は(人がいなくなるという)破滅を迎えると考えられるとすると、なかなかに皮肉なエンディングであったとも感じます。

そもそも生産性とはなんぞや?

そもそも経済成長とか生産性ってなんでしょう。番組内でも「なんとなく良いもの」という感じで無批判にずっと使われ続けてますけれど、それがそもそもなんなのかを紐解くのが実のところ最も大事な作業のように思われます。

特に今回テーマとなっている生産性についても、インプットの省力化については注目されていましたが、アウトプットについてはあまり注目されてるようには思えませんでした。

でも、このアウトプットってなんなのというのはよくよく考えると奥が深いんですよね。生産性って言うけれど、何を生産してるんですかと。

番組内でも生産性という単語自体は繰り返し登場してはいますけれど、時にそれは「価値を生み出していること」を指してるかのようでもあり、時にそれが「利益を得ること」を指してるかのようでもあり、なんとも曖昧なんですね。

「価値」って何でしょう。それが価値ってどうやって誰が決めるんでしょう。「価値が生み出すのは良いこと」ってそれはそうだと思うんですが、「価値」という単語自体にポジティブなイメージが含意されてますから、それはただのトートロジーですよね。

「利益」って何でしょう。利益が上がったらなぜそれだけで良いことと言えるんでしょう。利益とやらが社会や人々になにか具体的に良いことをするのでしょうか。もし利益が何か具体的に良いことをするための道具に過ぎないのだとしたら、それはやっぱり利益そのものが良いことなんではなくて、その結果として生み出される「具体的な良いこと」こそが良いことであって、利益そのものが第一義に求められるものではないのでは?

こんな風に、よくよく考えるとめちゃくちゃ難しい。でも、何となくそれがいいことのように考える空気が社会全体に広がっている。だから、これはある種の社会信仰なわけです。

番組でも資本主義社会も軸足が有形資産から無形資産に移行しているという話が出てましたけれど、これはすなわち資本主義がもはや物(偶像)の媒介すら不要な、よりピュアに概念的で形而上で信仰的なものになってきていることを示していると言えるでしょう。

と、流石にちょっと脱線気味なのでこの話はここら辺で止めておきますが、「ビジネスが宗教化していること」についてはこちらの過去noteでも触れていますのでご興味がある方はどうぞ。

ベーシックインカム出てこないの残念

あとは、ベーシックインカムについてまだ番組内で出てこないのが残念ですね。

番組では「仕事時間内に作業ばかりして考えることをほとんどしてない」と現行の労働文化を批判する元ネスレ社長の方のコメントは出ていました。その懸念については江草も同感です。

ただ、元社長は「考えることに対しても報酬が出るように企業を変えていかないといけない」と語られていましたが、これは別に企業内で報酬を出す必要はないんではないかと江草は思います。

むしろ社会全体で「考えること」に報酬を出すべきでしょうと。すなわちそれはベーシックインカムになるわけです。

企業内の所属メンバーにだけ「考えること」に報酬を出すようになると、逆に言うと企業外の人々は「考えること」を許可されていない、あるいは推奨されていないと言わざるを得ないわけです。

デイヴィッド・グッドハートは『頭 手 心』の中で、こうした格差を「自分の頭で考える許可」とアイロニカルに表現しています。

そういう格差を作ると、そうした「考える許可が得られる仕事に就きたい」という人たちの間で競争が生まれますし、内部の人間もこの「考える許可がある地位を守らなければ」という意識が高まります。そうすると、せっかく与えたはずの「考える時間」が結局は競争や防衛のための知恵を絞るのに費やされるようになり、なんとも本末転倒になりかねません。

だから、最初から万人に「自分の頭で考える許可」を与えるべく、企業内外の所属に関わらず、各自の自由な思考活動の担保としてのベーシックインカムが必要だと考える次第です。

結語

そんなわけで、あーやこーや言ってきましたが、あーやこーや言うのが楽しいのでやっぱり『欲望の資本主義』は良い番組です。というよりあーやこーやみんなで言うための番組でもありましょう。

なお、『欲望の資本主義』の中では、個人的には斎藤幸平氏とセドラチェク氏が対談した、脱成長がテーマの年のが一番お気に入りです。

また来年も楽しみですね。

も〜い〜くつね〜る〜と、よくぼ〜のしほんしゅぎ〜♪(気が早い)



(追記)補論も書いたよ

書き忘れていた番組の解釈の疑問点についての補論を翌日別記事で書いてます


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