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江草の春休み

実はこっそり、春休みを取っていました。

といっても、仕事の話ではなく、妻からいただいた家事育児のお休みです。

妻曰く、「いつも子どものことや家事を頑張ってくれてるからたまには完全フリーな時間を満喫してきなさい」とのこと。確かに休みの日も家族でお出かけすることがほとんどで、最近とんと一人で好きに動いた記憶がありません。

「いやしかしなあ。申し訳ないしなあ」などと渋る江草のケツを叩いて、妻は半ば強制的に江草を送り出したのでした。最近、妻の会議や出張の時の子どもの面倒を江草が見てる機会が多かったので妻的にも気にしていたようです(江草家は妻の方がなにかと忙しいのです)。

まあ、休みと言っても、どこかに泊まるわけでもなく、朝に家を出て夕方には帰ってくるレベルのことではあるのですが、久しぶり過ぎる日中丸ごとの完全どフリータイムです。

どこからか「江草……解放……!」というナレーションが聞こえてくるようです。


で、結局、「ここ行ってきたら」という、行き先についての妻からの提案も採用して、某スーパー銭湯に行ってきました。

スーパー銭湯なんてコロナ禍には全然行ってないし、子ども生まれてから行った記憶もないので、相当な年数行ってないことになります。なんなら、単身で行ったことがそもそもあったかなという感じ(江草はまあまあのインドア派なのでほっといたら家から全然出ないタイプの人間です)。

しかし、休みを休みとして満喫するにはこれ以上ない施設のようにも思われます。

そして、実際、その通りでした。

日中まるごとスーパー銭湯に居たのですが、まあ、その休み感が凄まじいこと、凄まじいこと。

まず、人生の中で久しぶり過ぎる大風呂に浸かり、「ああ、いい湯だな」的に堪能して、そこそこゆっくりして、「そろそろだいぶ時間が経ったんじゃないか」と思って時計を見たらまだ一時間しか経ってませんでした。夕方に帰るまでにはまだ何時間もあります。

ここで「何もすることがない時間がこれだけあること」に驚きました。これは最近全然体験してない感覚だったからです。

というのも、せっかく休みなのだからというのと、妻からも「こっちのことは一切気にするな」と再三強調されていたので、連絡や通知を断つために、施設内ではあえてスマホもロッカーに預けたまま過ごすことにしてたんですね。だから、いつも手癖のように隙あらば開いて本を読んだり文章を書いたりしていたスマホが手元になかったんです。

スマホなどのデジタルデバイスなしに、この「膨大な暇時間」をどう扱ったらいいか、最近あまりにやってない過ごし方だったので脳が困惑を隠せなかったというわけです。

ジョニー・オデル『何もしない』でも指摘されてる通り、現代人は仕事やSNSや大量生産されるコンテンツの洪水に溺れて「何もしないこと」が不得手になっています。

江草も例に漏れず、「何もしないこと」ができなくなってたことが、この度急きょ完全フリータイムに投げ出されたことで痛感させられたわけです。

ここnoteで江草は「働きすぎはよくない」とか「ゆっくり余裕を持つのがよい」とか「効率ばかり目指しちゃいけない」的なメッセージを盛んに出しておきながら、実のところ自分が全然できてなかったわけでお恥ずかしい限りです。まあ、自分自身が出来てないことこそ理想として主張したくなるというのが人間のサガなのかもしれません。

ともかく、デジタルデトックスも今回の目的ですから、完全にスマホなしで久しぶりに本気でただボーッとしていました。

風呂に入ったり出たりしてみたり、露天風呂のゾーンに置いてあった寝そべりベンチみたいなのに横たわってただボーッと空を見上げていたり。昼ご飯も黙々と一人でゆったり好きなものを好きなように飲み食いして、なかなか家族連れでは食べられない酒のつまみ系の大人っぽい品々も味わったり。リラックスチェアでゴロゴロとしてたり、ちょっとうとうとしてたり。

誰からも呼ばれることなく、そもそもすぐには連絡を取れない状態で、通知も来ないし、それでいてほんとに何もしていない。そもそも江草が何をしてるかなんて周りの誰も注目してない。

「いやあ、これが自由というやつなんだなあ」と、改めてしみじみしました。

子育てはどうしても常にオンコールみたいなところがありますし(たとえ保育園に預けててもいつ電話かかってくるか分からない)、そばにいる時ならなおさらアテンション(注意)が強力に要求されます。

オフコールであり、かつ、何の予定もなく、かつ、何にもアテンションを払わなくていい、かつ、誰にも気にされてない。

こういう自由時間が人間には必要だよなあと、久々に思い出させてもらえました。こういう機会を与えてくれた妻には感謝しかござりませぬ。今度は逆に妻に行ってもらわないとだなあ。


まあ、そんな感じで、超絶まったり時間を堪能したのですけれど、家に帰った途端、すぐさまわが家のちびっ子モンスターの洗礼を受けました。いきなりもみくちゃ、大騒ぎ。ついさっきまでいた空間とのあまりの世界観の違いに苦笑するばかりでした。子どもには「休憩」などという言葉は存在しないのです。

とはいえ、小さな子どもと居ると全く気が抜けないし自由なんてないけれど、でも、愛する我が子のかわいい笑顔を見てると、これもやっぱり幸せでかけがえのない時間なのだなと思わされます。

一人のまったり時間を堪能したからこそ、ドタバタの家族時間の良さも改めて実感できたのかもしれません。

休みはやっぱり素晴らしい。

江草の発信を応援してくださる方、よろしければサポートをお願いします。なんなら江草以外の人に対してでもいいです。今後の社会は直接的な見返り抜きに個々の活動を支援するパトロン型投資が重要になる時代になると思っています。皆で活動をサポートし合う文化を築いていきましょう。