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落書き④


堺 類推的都市ver野晒

 堺市は大阪府による地域区分では泉北地域とされる。府内人口、面積ともに第二の都市である。大阪市のベッドタウンとしての一面を持ち、昼夜間人口比率が低い。中世には自治都市として発展し環濠都市を築いた。江戸時代には幕府直轄地になるなど歴史も古い。以上Wikipediaより抜粋。

 とのこと。歴史的アプローチや地理的アプローチをすればもっと詳しく興味深い考察を得られるのだろう。ただ今回自分が問題にしたいのは、自分の印象としての都市体験であり、都市とは人それぞれ、現在と過去を問わず、印象の総和なのだ。
 仁徳天皇陵。堀に囲まれたうっそうとした森には隠花植物や菌類の倉庫として連想する。人工の極致のような遺構が、信仰の原初の形態、森を現実時間に類推させるのは興味深い。古墳という響きは安直に教科書に載っていた埴輪を記憶から呼び起こす。形態は実体を透かして精神を見る骸骨のようなものである。そして天皇陵の植物は形態そのもので、墓の実体が肉付き、民の竈に立つ煙♪の仁徳天皇を透かし見ることができる。天皇陵は私達の所有でもなく観光地のように開かれてもいない。透かし見られると言ったが、実はホンマに仁徳天皇のものかもわからない、不在の論理が働いている場所である。
 自分には、この大空間を占める不在性が日本の聖域を象徴しているように思えてくる。ここの中では都市における出来事と出来事の織り目が作られない。一種の歴史の真空パックのようなもので開ければたちまち腐朽するように思われるのだ。そんな大山古墳もブルーギルやブラックバス、釣り人、考古学者に蹂躙されようとしている。
 ところで寺は厨子のように本堂に入っても入れ子になっており、神社も拝殿本殿とやはり入れ子になっている。古墳も有名どころ、少なくとも堺のイメージは水に囲まれている。ロランバルトの中心の空虚の構造。岡潔と小林秀雄の対談、「人間の建設」で小林秀雄は本居宣長を挙げて「なんにも掘り返さない」「実に健康な思想」と説明する。建築家、磯崎新は「建築における日本的なもの」において、虚構である資源が起源があるものとして浮かび上がらせ、ナショナリズムとして日本的なもの、天皇的なものに回収されると論じた。
 古墳を前にすると、どうも最近議論されている「確固たる日本文化」は徒労ではないかと思う。民俗学や哲学といった人文学的アプローチで天皇的な封印を解けばたちまち、腐ってガラクタだけに、もしくはなんにも無かったと瓦解するような気がするのだ。だからむしろそれに触れられない、迂回の感覚、入れ子構造そのものを語るべきだと考える。つまり建築学的、免疫学的アプローチが好ましいと思い勉強し始めた。都市は感覚の貯蔵庫であり、都市の構造とその個別性を伝えるからである。個別性は記憶や歴史なくして存在せず、集団的記憶も特異な時間から発生する。
 
 自分はこのような古墳への印象と同時に現代の町の感覚を持ち合わす。電柱やスーパー、いわば「ファスト風景」のレイヤーである。もはやこれらを日本文化から切り離すのは不可である。全国平均的な都市とアメリカを類推しそのままひと繋がりとなる風景。都市はその持続の成果に関わらず、場当たり的な変動も持つため、個人が伝記的にそこのドラマを印象化し体験を通じて考察するしかない。しかしファストなものは歴史が宿らない。均質サービスの元で匿名化された客として消費文化を体験することとなる。外部とつながり続け、自己同一性としての防御ができない。無限に日本に広がる空間のレイヤーである。だがそれでもちっとも困らない。堺と聞けばあるなしに関係なく古墳と包丁、旧堺灯台が別レイヤーで浮かび上がってしまう。だから人々は古い景観が気づいた時には捨てちまったか、封を解いて真空パックから揮発して何もなくなった、なんてことになるのである。

参考文献
ロランバルト 「表徴の帝国」
磯崎新 「建築における日本的なもの」
小林秀雄 岡潔 「人間の建設」

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