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知的生命体というプロフィール

僕は今、プロフィールで自分のことを「知的生命体」と呼んでいるのですが、そういうアカウントは、ツイッターにはそこそこ居るみたいですね。

自分が賢いと思ってないと自分に対してこういう表現って出来ないと思いますが(笑)それだけの単純な意味でもありません。
もっとも、小学生の時に転校して、その際の新しいクラスメイトの僕に対する印象は「かしこそう」というものだったことは、割と最近、同窓生の集まりで知ることになりました。

結構、バカなんですけどね😁

それで、なぜあえて知的生命体と呼んでいるかというと、人間には知性があるから、それを使わずに過ごすなんて勿体ない。考えられることは全て考えてみたいという気持ちがあるのと、それを note や Twitter 上のコンセプトとして捉えているからなんです。

文章をなんで書くか?

ということなんですが、僕の場合は、何かに感じた印象や浮かんだアイデアをどこかに記録しておきたい、という欲求があるからだと思います。

つまり、小説家のように美しいストーリーを見せたいとかいう動機とは違うもので、すなわち、体裁はあまり考えていません。
それより、アイデアをどういう風に表現したら読んでもらえて、分かってもらえるのか?ということをいつも考えているのです。

その意味で、投稿や記事は僕の知的活動そのものであって、それ以外のアウトプットってほとんど無いんですね。

写真はなんで撮るか?

ついでに書いておきますが、では、写真はなんで撮るのかというと、僕の中ではアウトプットというより、インプット記録なんです。

  1. 何処で何を見て

  2. どう感じたか(どういう視点を持ったか)

の記録です。
写真で世の中を変えようとは思わないけど、強いて世の中に関連付けるとするなら、感じたことが伝わって、誰かが感想を持ってくれたり、楽しんでくれたらいいなと思うことぐらいです。

なんでも表現してみないと分からない

日常生活でも、言ってみたらうまく行った、言わなかったからわだかまりが残った、あるいは損をしたということってあると思います。
SNSでは、つまらないことでも表現してみたら、そのことがどんな結果を導くか分かると思うのですね。

自分の考えを表現し記録しておけば、後から反省することも、懐かしむことも出来るし、そこからどのくらい自分が進歩したかも分かると思います。今は忘れてしまった感覚を思い出すこともあります。
その日々の知的活動が、人生そのものになっていくんだろうと思います。

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