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華僑


中国から海外への移民の歴史



〈目次〉
1.華僑とは
2.中国人移民の歴史 
 (1)秦〜明代中期 
 (2)明代末期〜清代初期 
 (3)-1 アヘン戦争から新中国成立まで
    (3)-2 1980年代以降
3.華僑から華人へ



1.華僑とは  
「華僑」とは海外に移住したものの、国籍はまだ中国または台湾に置いたままの中国(台湾)人のことである。「華」は「中国」、「僑」は「仮住まい」を示す。

2.中国人移民の歴史 
華僑と呼ばれる中国人移民は、世界中にいるが、中国大陸から他の国々への移民はいつ頃から現れたのか?

歴史は非常に古く、すでに秦の始皇帝の時代には海外移民は始まっていた。

海外への中国人移民の歴史は大きく分けて

1.  秦~明代中期
2.近世(明代中期~新中国成立まで)
3.近現代(新中国成立後)


の3段階に区分できる。

1の時期の海外移民は「華僑」ではなく、「唐人」「華人」「漢人」などと呼ばれていた。

2のアヘン戦争以後になると中国人移民は「華工」「華民」「華人」「華商」などと呼ばれていた。

そして、3の近現代の19世紀末になると「華僑」という名称が現れ、20世紀初期にはこれが海外に移住した中国人の通称となった。


(1)秦〜明代中期

中国の移民の歴史はすでに殷(いん…B.C.17世紀頃~B.C.1046年)末、周(しゅう…B.C.1046頃~B.C.256年)初期には始まっていたと言われている。

太平洋の西南諸島には、5000年以上前に中国南部で暮らしていた中国人を先祖に持つ民族がいる。つまり紀元前に中国南部から島伝いに流れていった。

徐福(じょふく)は、秦の始皇帝の命令で日本に送られた移民と言われている。「史記」には、徐福の一行が秦の始皇帝の命令で、不老長寿の薬を求めて日本に行ったと記されている。

漢の武帝の時代には張騫(ちょうけん)という外交官が、西域(中国大陸の西)に派遣され、後漢の時代には班超(はんちょう)という武将が、東ローマ帝国に派遣された。

唐代には鑑真和上やその弟子が荒波を超えて日本にやってきた。

このように中国では古代から多くの地域に人が送られていることが確認されている。


(2)明代末期〜清代初期
明代末期の中国人海外移民先で、一番多いのがフィリピンである。17世紀には2~3万人がいたと言われている。

日本への移民も多く、江戸初期の長崎で暮らす中国人移民が多くいて、長崎の市中で商売をする「唐人」がいたと言われている(鎖国時代における唐人屋敷の存在も知られている)。

有名な明末の儒学者の朱舜水(しゅすんすい)も日本に亡命し、水戸黄門で有名な水戸光圀に招かれ、「水戸学」に大きな影響をあたえた。

(3)-1 アヘン戦争から新中国成立まで
1840~1949年の約百年は、中国が最も多く海外移民を出した時代である。

中国が半植民地状態になるにつれて、社会の混乱、人口増や自然災害などの要因、さらには列強の植民地政策による労働者のニーズの高まりなどから多くの中国人が移民となって海外に渡った。  

(3)-2 1980年代以降
1980年代以降になると、新しい移民の姿があらわし、増加した。中国から海外への留学生が増加したのである。留学生とその家族は、学業を終えてもその国に残るケースが多かった。

そして、鄧小平政権の改革開放政策以降移民の人数は増加を続けた(新移民といわれている)。

これら新移民の海外移住先は先進国が多かった。2008年までに、海外に移住した中国人移民は、約800万人にのぼったといわれている。

3.華僑から華人へ
「華僑」とは海外に移住したものの、国籍はまだ中国または台湾に置いたままの中国(台湾)人のことである。日本語で言うと「一世」であり心は祖国にあった。

「二世」は、そうした親に育てられ、自分は中国人であるとともに今暮らしている国の人間でもあるという2つのアイデンティティを持つようになった。

ところが「三世」になると、一般には自分は中国人だという意識は消え、自分は中国人ではなくこの国の人間だと意識するようになるらしい。

こうして「一世」の華僑は「二世」を経て、「三世」は「華人」※になっていくと言われている。

※ 華人(かじん)は、移住先の国籍を取得した中国系住民をさす。国籍を取得していない華僑とは異なる。



以上





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