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セッション

2014年製作、デミアン・チャゼル監督の映画作品。
デミアン・チャゼル
監督ってすごく若くて、まだ30歳なんですね。この作品に青春の匂いがあるのはそのせいですかね。色褪せていないというか、擦れていない印象を受けました。
Wikipediaによると高校時にジャズ・ドラムに打ち込み、それが今作品に役立ったとのこと。情報ではなく知識として自分の中にあるものを捻出したんでしょう、ジャズに明るくない私でも嫌みな所がなく見ることができました。情報を扱うと羅列がちになりますが、そういったところもなく。

主演はマイルズ・テラーとJ・K・シモンズ。
ふたりとも味のある役者さんでした。邦画だと、役者さんっていかにも粒ぞろいで名の知れた人か顔立ちが端正かでちょっと飽々しちゃうんですよね。映画に明るくない私でも知っている俳優さんばかりというか。其の点、海外のものって役者さんが知らない人ばっかりなので先入観もなく見ることができます。


舞台は音楽学校。学校の中でも最高峰の指揮者・フレッチャー(J・K・シモンズ)のスタジオ・バンドで演奏することになったニーマン(マイルズ・テラー)。
完璧主義の指揮者フレッチャーに度を過ぎた指導を受けるニーマンはめきめきと腕をあげるがとある事件により学校をやめることとなる。その後フレッチャーとニーマンは再会して和解し、そして・・・。


あらすじはざっとこんな感じですね。
フレッチャーにはFULLMETALJACKETの鬼軍曹と通じるものを感じました。そもそも私が分かりやすい差別用語が好きなのかもしれません。差別用語、っていうとあんまり聞こえがよろしくないですが。ラベリングにすぎないそれが好きみたいです。日本でいうと「キモい」「ウザい」とか抽象的な語彙になりがちでつまらないんですよね。いやまあ向こうでいうと「ファック」なんでしょうけどね。一言で。

FULLMETALJACKETの鬼軍曹と、フレッチャーの共通点は「育てる」というところにあります。確かに中学校時代の部活の顧問ってすごく厳しかったなあ。痛みや苦しみなしに上達できたかと言われれば、ノーでしょうね。しかも学生時代って逃げ場があんまりないから、与えられた場所で頑張っちゃうんですよ。自覚していないだけとも言えますけれど。ある程度大人になると、厳しさから逃げ出すことが容易になります。世界の数の多さを知るというか。ただそれでも好きなやつだけが頑張るんですよね。

ただ、この作品中のニーマンが「好きなやつ」だったのか?というところは微妙ですね。音楽を続けるなら、フレッチャーのもとじゃなくても良いですし。結果、音楽から離れてるわけで。
つまりニーマンにとっての音楽の価値は認められることにあるのかなと。
フレッチャーのバンドでのドラマーとしてのニーマンは、彼の要求に応え続けます。認められたいから。
でも最後の演奏のシーンでは、彼に認めさせるんですよね。ここの吹っ切れ感は気持ちよかったです。映画館で見たら気持ちよかっただろうなあ。


フレッチャーの本意がどこなのか?がはっきりしなかったのは面白かったですね。最初から最後までとんだ食わせ物です。本当に偉大な音楽家を育てるためなのか、自分の満足する最高のバンドを率いるためなのか。ただどちらにしても、音楽を求めたことには変わらないでしょうね。


映画そのものの見せ方に関しては、「わざとらしい」ところもありましたがそれがかえって「作品っぽさ」を作っていた感じがしましたね。

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