見出し画像

FULL METAL JACKET

このフルメタル・ジャケット、対訳が素晴らしかった。かなりストレートでわかりやすく、面白い。
ただこの翻訳者の原田眞人さんは、インターネット上での映画の評論は悪貨だと言っているらしい。ごめんなさい。

まず言っておきたい、と思うことがある。

この映画に道徳は存在しない。
本来現実にも道徳など存在しないように。

前半は訓練期間で、思想や疑問を持つことの自由は全く許されない。戦争行くのに本人が自由を感じていたら戦えないわな。
どんなに疑い深い言葉でも延々繰り返せば固定化されひとつの思想になる。教育は洗脳であるのだと再確認させられる。

前半焦点が当てられる微笑みデブは優秀な海兵になるかと思いきや鬼軍曹を殺し自決する。
閉鎖的な小さな社会で起こることは多分だいたい同じだ。
それにしても微笑みデブって響きの良さ。

そこから一転、映像は街中になりジョーカーが女を買おうとするシーンに映る。
それまでの訓練中のひどく重い雰囲気から場面が変わって物凄くほっとした。

しかしそれも束の間、すぐに舞台は戦場となる。
主人公のジョーカーが、BURN TO KILLと書いたヘルメットをかぶりながら、胸にピースマークのバッヂをつけていて、脳と心を示唆しているようにも見えた。

そしてジョーカーは訓練校時代の友人カウボーイと再会するが、その後ジョーカーの目の前で撃たれ亡くなってしまう。
死ぬ間際に、このカウボーイは「うそつくなよ、ジョーカー」と言うのだが、この主人公のジョーカーというあだ名がものすごく切なく感じる瞬間。

ジョーカーは無事にカウボーイの無念を晴らすことができるのだが、カウボーイを撃った狙撃兵が女だったことに心境は一悶着する。
撃たれて倒れる女を、仲間は置いていこうと言うがジョーカーはこのまま残してはおけないと撃ち殺す。
このシーンでは、ジョーカーの胸がつけているピースマークのバッヂが服で隠れて見えなくなっている。

そしてここで映画は終わる。
終始のめり込んで見ていたが、エンドロールの瞬間に、終わってくれた、と思った。
現実も同じだろうか?もし自分が戦争に巻き込まれたなら、勝つとか負けるより、終わって欲しいと願うのだろうか。

答えは一生知らないままでいたい。


そして、


なぜ殺さなくてはいけないのか?


と、やはり権力や守るもの、目指すものがない私は、そう思ってしまうのである。

こうなると自分の言葉を喋りたくなってくる。

何故人は戦争をするのだろうか。
作品中に印象深い言葉が出てくる。

「彼らは自由より命が大事、そんな連中さ」

これは今の日本人にも当て嵌る。どんなに毎日がしんどくて苦しくても不満があっても、日常を見渡してはどうにかの出来事を小さな幸せに当て嵌め、生きていることが何より素晴らしいと思い込んでいる。みんなストックホルム症候群に違いない。理想を持つことを知らない。

じゃあ理想って何だと。
人によれば、それは自由だし支配だし権力だしお金だしな訳である。

なるほど。
そのために戦うのだ、相手が武力を持っていたら対抗せねばならない。
と思うと、やっぱりなんで?と思わざるを得ない。

最初に、この映画に道徳は存在しないと言った。道徳とは善悪の判断にあたって内面的原理であるはずだが、わたしたちはそれを学校で習う。考えるより先に与えられたものだった。例えば外国人を外人と呼ぶのはよくないとかそんな内容だった。こんなふうに道徳とは何かを考える前に既に善悪が分別され、概念が一般化されていた。
まあそんなひ弱な道徳では太刀打ちできない映画だった。
一部の人間のあいだでは一般的だとか標準だとかはいう概念はもうとっくに死んでいてそんな言葉なら力はない。個々はそれぞれの思想しか持ち得ないとも思う。これは自身の思考に対する理想の問題でしかないが、わたしは一般だとか普通だとかいう言葉はひどくナンセンスに思えるし好きではないが、共通や理解なら大切にしたい。それを怠る人間が平均したがり、支配したがり、押し付けたがるのではないかと疑っている。


とは言ったものの、そんな言葉じゃどうにもならないのですかね。かなしい世の中だな。だったら別に言葉も思想もなくてよかったな。情報伝達に過ぎない鳴き声だけの生き物でよかった、と思う。


結局自分の考えばかりの内容になってしまった。考えさせられる映画だったということで…

#映画
#映画レビュー
#感想
#フルメタルジャケット
#fullmetaljacket

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?