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クソどうでもいい仕事の理論


ある時息子が聞いてきた
「父ちゃん校長先生ってなんのためにいるん?」

僕は答えた
「あれは飾りやねん、校長先生ってみんな似てるやろ?ニヤニヤしながら腕を後ろに組んで高いところから眺めてくるやん、ほんで何もせんやろ、旗みたいなもんや、一番勉強できるわけでも、一番賢いわけでも、一番偉いわけでもないねんで、ちなみにあの校長が外で立っておしゃべりする台は。50万円するねんで。」

ある時息子が、近所の川で重機が川の砂を寄せては山にして、山になったら平にして、大雨が降ったら砂が流れて、そして重機が砂を集めてまた山にして、山になったらまた平にして、大雨が降ったらまた流れて、またまた重機が砂を集めてるのをみて「あの人たち何してるん?」っと聞いてきた

僕は答えた
「砂遊び」

世の中には、境界線を見つけるのも難しいくらいにブルシットジョブは蔓延している。

僕が思うに、仕事というものは一番言い訳に適している。父ちゃんが家をでるための言い訳、頼まれごとをかわす言い訳、家族と向き合わないための言い訳、そして仕事を言い訳に生きている人たちに共通して言えるのが、みんな暇が怖いということだ。

暇が怖くて仕方がない、何か意味や価値を持った時間を過ごしているような気にさせてくれるようなものがあれば喜んで侍う。人々は卒業から世間に発射されるが、同時に入社してしまう人間は哀れだ、卒業のケツには入学が、そして卒業のケツには入社が待ち構えている、穴蔵から穴蔵へ。

ある時、講師で呼ばれた小さい講演会のようなものに、これから教師になるという学生が幾人か来ていた、その子達と収入の話になって、収入14万は安いと言ってきたので切り返した「じぶん14万つくれるん?」「つくれないです」

じゃあなんで安いのか、どこからその価値観がやってきてるのか、僕はこの人たちが卒業とともに世の中に放り出されることなく、また教員という揺り籠に放り込まれるのかと思うと物凄く不安に感じたから別れ際に一言だけ伝えさせてもらった。

「じぶんら、これから子供達に勉強してきたこと教えるんやろうけど、一つだけ覚えときや、自分の知らんことや経験してないことだけは教えたらアカンで、知ってることだけ教えや、間違っても世の中のこととか、お金のこととか教えたらあかんで」

ただ、ブルシットな仕事に文句はないが、ブルシットな自覚なきブルシットジョブは許せない、環境系に、とにかく多い。

ある日イオンに行ったら張り紙が目に入った。
「イオンは木を植えています」
「植樹ボランティアのイベントをした」
「50人の参加者が300本の木を植えました」
それは僕がだいたい1人で半日に植える苗の本数だった。

ちなみに、結婚記念植樹や、卒業記念植樹をした林はだいたい悲惨なことになっている、雑木に埋もれ、つるに巻きつかれて瀕死の枝のような植樹を見ると、悲しくなる。なぜ卒業の時に植えるのか!!

植えたものは、手入れをしないと悲惨なことになる。卒業する時に無責任に植える、それは教育上すごーくよくないことだと思う。せっかくなら、入学の時に植え、卒業まで世話をして、6年も面倒を見たら、そこそこ立派な木になる。それを見送って卒業するならどんなに気持ちがいいだろう。

まくしたてて書いたが、果たして僕の仕事はブルシットジョブなのだろうか。育林業、木を植え、草を刈り、間伐をする仕事だ、全て人力作業。東京の方なんかで自己紹介すれば、ありがとうございます。なんて言ってくれる人もいる、これは僕らから言わせれば全く逆なのだ、東京の人に感謝されて鼻高々な同業もいるが、僕は必ず言い返すことにしている。

「ありがとうございますって言わなあかんのはこっちです、俺らの仕事は全部補助金で成り立ってる、補助金なかったらまったく金にならん、補助金に食わしてもらってるようなもん、だから俺らは東京の納税者の人たちにありがとうございます、って逆に言わなあかんです」

木を植えることは素晴らしいらしい。しかし、僕らは何も木を植えるだけが仕事じゃない、主に杉やヒノキを植える、そしてその植えた苗以外の草木は皆殺しにするのが仕事だ、5年間にわたって植えた木以外は刈る。それで立派な植林になるのだから、まぁ意味はあるのかもしれない。けれども僕らは実は知っている、僕らが植えなくても、山にはなるということ、その地形や地域に固有な様々な広葉樹などによって放っておいても森になっていくということを。

今年は、苗を植えた。枯れた苗を、真夏に。しかもその枯れた苗を防護する防獣対策器具を苗の一本一本に設置する、急勾配な山の斜面に設備を運び上げ、苗を植えて設置する。苗を守るための設備、しかし苗はとおの昔、僕らが植えてくれと頼まれた時にはすでに枯れていた。新しく苗を買う金はない、それを植えるのが僕らの仕事だ、さらにその苗を守るための防獣対策もする。振り返れば、山一面に防獣のポールが立ち並ぶ、僕らはその作業を<卒塔婆立て>と呼んだ、、木の墓標を立てる仕事だ。これは間違いなく、ブルシットジョブに位置づけられるだろう。

世の中に意味が満ちていなくてはいけないとは思わない、みんなが暇を潰してるんだと僕は思っている、金は無意味なる空転から生じる価値であると思う、無意味なものだからこそまた無意味なものを買うことができる、それで経済が回る、この巨大な洗濯機の中で僕らは漂白されつつある、そこでひとりひとりの価値はそげ落ちて、個性に汚れるものはまた、自ら暇を恐れ洗濯機にダイブしようとしている。

校長は偉いのか、その偉さは50万円の台に支えられている。その台が7500円でも校長は偉いのだろうか。

<すみなすものは心なりけり>

仕事にやりがいを感じられる人は幸せだ、それは素晴らしい、どんどん思い込めばいい。

自分を偉いと信じられる人は幸せだ、それは素晴らしい、どんどん思い込めばいい。

ある種の構造を作り、人々を踊らせる人は偉いのだろうか、そこから人々を物のように扱って、時には餌を与え、お金持ちになるのは素晴らしいのだろうか。

金持ちのインスタをみてみる、沖縄のホテルにいるか。真っ赤な顔して酒飲んでるか、お姉ちゃんにテキーラ飲ませて死なすか、うまそうな肉食ってるか、サウナ入ってるか。それで幸せなんだろうか、それ以外にないのだろうか。下品だ。

僕が仕事をする理由は一つ、<時間を買う>ためだ。僕に必要なのはただ一つ、時間だけだ、時間を僕に与えれば、僕ははじまる、時間を与えて初めて、はじまるんだ。悩んだり、喜んだり、頑張ったりする、急に本を積んで読み漁ったり、急に外に飛び出して穴を掘ったり、猛烈に文章書いたり、交差点で頭モヒカンにして詩を書いたりする。

金で買った偉さや、金で買った人間関係や、金で買ったうまい肉の何が美味いのか。金で何かを買うと金が減る、確実に減る、金で買ったうまい肉の分だけ金が減るということは、その金をまた稼がないといけないという暗示、僕はこの暗示が最も高額で、ストレスなものだと思う、金で買ったストレス発散なんて笑止、金を稼ぐのに疲れたからといって金を使うなんて。

僕の感動にはいつも少しの金があればいい、歩きまくったり、穴掘りまくったり、よだれも尽きた頃に飲むコーラの旨さ、ビッグマックがあればなおいい。感動を欲している、全身が痙攣するほどの。それは時間、自分に時間を与えることだ。そうすれば自分がはじまる。客になんてなるな。

一日歩いて、自動販売機の底をのぞいてまわれば、だいたい1日300円は拾える、稼げる。この300円の重みを僕は忘れない、それで買うハンバーガーの旨さ、それで買ううまい棒のうまさ、結局僕は事業主になって、好きなものも食えるようになったけれど、あのうまい棒を超えるうまいものにはまだ出会ったことがない。

また、ブルシットジョブに邁進する喜びというものもあるだろう。諸行は無常であり、一切が空であるということを教えてくれるこれ以上のものがあるだろうか。人は自分に命令をする、したいことがある時も、したいことを自分に命令することによって実行する。

しかし、なんとなくしたいことをする、という時、なんとなくしたいことは、なんとなくやってみると、なんとなくしたくなくなってくる。

そこでルイスマンフォードが「機械の神話」で書いたように、人間は自分を機械にする術を発明する、それは巨大な機械を動かす一つのパーツとしての機械だ、それは神の言葉のように人を超えたものとして、命令する。それには、全てのなんとなくを超越する力がある。それは人類の巨大な事業に加担しているような気にさせる、人類のオルゴールを回転させるための働き、この世界と自分が繋がっているような充足感がある、ブルシットジョブ!

正直に言おう、ここ最近、僕が一番感動したのは、二つの事業を成し遂げた時だったかもしれないことを。

ひとつは枯れた苗をその墓標とともに山一面に植え終わった時。



もうひとつは、クワの畑を作るために、大量のクワの大木を切らされ、何万トンもの土をトラック何千台分も突っ込んで窪地を平坦な土地にし、そこにクワの若木を植えるという事業を、完遂した時だ!!

全ての資材を運び終え、事業が終わりを迎えた時、僕は平なススキの穂が揺れる見渡す限りの地平線を眺め、その風をほおに感じていた、全力が通り過ぎた跡の、全ての足跡が思い出となって体を震わせた、その時だ、僕は全身にヒンドゥの唯一神たる、シヴァを感じた。あぁ、シヴァが俺を踊らせている、そう感じた。それは確かに妙なカルト的な全能感とともに俺の体を貫いた、ブルシットジョブ!

シヴァは踊っている、それはマンフォードの言う、<メガマシーン>なのかもしれない。永平寺の修行のように、人は、人を超える命令を人にする、それを求めてる、それによる恍惚、これは一つの欲望なのかもしれない、無意味もまた、その構成要素のひとつのなのかもしれない。しかしシヴァはその踊る足で、平気で幸せ絶頂な人間の頭も踏み潰す。

僕は思う、仕事に意味があったりなかったりする、どちらでもいい、方や意味を感じている、方や感じていない、もしくは意味がない中でも、なんとか有意義なものにしようとする努力もあるだろう、そこで能力が全力に使われていたらそれでいいのではないかという、僕のような人もいるだろう。

僕らは食ったものをこの体の工場で燃やして生きている、それを環境破壊に使ったり、環境を茂らせるために使ったりもする、要するに変化を巻き起こしている、人間の意味なんて人間からはわからないかもしれない、訳のわからないところから本当の意味が芽をふくこともあるかもしれない。

オランダで巨大な干拓事業があったようだ、しかしその計画は資金が尽きて途中で頓挫したようだ、放置された巨大な干拓地。10数年が経ち、人がその干拓地に訪れて驚いた、その何もなかった干拓地には、その地域には存在しないはずの植物が生態系を作りあげ、そこにいるはずのない動植物に溢れていたというではないか。

あるいは、日本の捕鯨文化と、アメリカの捕鯨文化を対比させて見るのもいいかもしれない、かつて和歌山の太子町では伝統的な捕鯨文化があり、そこではある種のモラルがあった、それは残さずに鯨を使い切ること、捕まえた鯨は肉も骨も髭も全て使われたという。


それに対して、太子町沖にたびたびおとづれたアメリカの捕鯨船では、鯨は鯨油を取るために捕まえられたため、捕鯨してはその場で皮下脂肪や脳油だけとって、あとは捨てられたという。

おでんで美味しく食べることのできる鯨のコロは、アメリカ捕鯨船では火にくべられ、炙られた肉から立ち上がる黒い煙がいつも太子町から見えたらしい。

ここには、「もったいない」文化の対比が見られる。鯨の有効活用について、しかし時間の尺度をグーンと引き伸ばしてみるとその見え方も違ってみえるかもしれない。

アメリカ捕鯨船から(もったいなくも)捨てられた鯨には後日譚がある。
ハーマンメルヴィルの記す「白鯨」にはその描写がリアルに描かれている。主人公イシュメールは船底に船室があるのだが、海底に捨てられた鯨の死肉には、無数のサメが集まり、鯨の肉を食い、骨を砕く音が海に響く、そして船室全体に死肉を貪る魚群の音を聴きながら眠れぬ夜を過ごすという描写が出てくる。

そして、鯨は骨となり深海に沈む、そしてその骨は鯨骨生物群集と呼ばれる生態系を形作ることになるだろう、やがてそこは豊かな海の森となって、たくさんの魚を養う土壌となる。

太平洋の豊かな漁場を作った一因は<もったいない>アメリカ式捕鯨だったかもしれない。

ここまで、時間の尺度を伸ばしてみた時、果たして何がもったいなかったのだろうか。今、消費し尽くす態度が果たして経済的なのか、わからなくなってくる。

このような例は、再野生化(リワイルディング)と呼ばれるが、もはや人間の活動による生態系変化は全世界あまねく広がっているから、世界は人間による再野生化のプロセスにあると考えた方がいい、そこでは人間の消費態度を餌に広がる新たな野生があるのかもしれない。

稲科や針葉樹、トウモロコシや大麻やタバコや香辛料は、うまく人間に消費される立ち位置を取ることによって繁殖を可能にしている、ここでは逆に人間が操作され、飼い慣らされていると考えることもできるのではないか。

人間は巨大機械(メガマシン)を発明することによって、自分を未来に向けての努力という風に命令することを可能にした、その一つの例が筋トレだ、筋肉を効率よく破壊することで超回復(再野生化)させる、このような視点に立つとき、もはや破壊とはなんなのかわからなくなってくる。

明治以前の日本人に運動なんていう概念はなかったと、「吾輩は猫である」でも描かれていたように、人間は何か壮大な機械を想定し、自分への効率的な命令を可能にしている、それによって人体を畑のように耕し、筋肉を育てるよう肥大させることが可能になったようだ。

あらゆる無意味が、潜在的な意味を内包するということ、ストラヴィンスキーの「春の祭典」は初め、不協和音の塊としか聴かれず、聴衆は暴動を起こした。しかし今では古典の一つに数えられ、人々の耳に馴染んでいる。

このように今の無意味、今の不協和音とは、未来の意味、未来の和音なのかもしれない、今の自己破壊は未来のマッチョムキムキなのかもしれない、そう考える時、僕は喜んで枯れた苗だって植えるだろう、この無意味に燃える筋肉の躍動に世界の未来を感じることもできるかもしれない、激烈な無意味、ただ呆然と眺める、たたずむよりも、能動的な無意味を、無駄な平原の只中で、ある瞬間僕は、本当に、シヴァに操られているような心地で、たった1人、生徒の誰もいない、無料の大地の上に立つ校長先生になっていたのだ。


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