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日本の組織文化について考えるために「ホフステードの文化次元論」の「男性性指数」(マスキュリニティ)をまとめてみた

日本の組織では、女性がリーダーになるのが難しい。日本にいる私たちから見たら、女性リーダーが多いように見える英語圏。そんな英語圏でも女性がリーダー職に就くのが難しいという話を見聞きすると、日本ではあと何年かかるのだろう、と弱気にもなってくる。

1971年生まれの私が、思春期を過ごした80年代後半は日本経済も好調、世界が日本の経済的成功の秘密を知りたがっていたのを記憶している。なんとなく日本は世界の中での先進国、自分はこの先進国で仕事をしていくのだと思っていた。だから、1985年に男女雇用機会均等法ができて、均等法世代の先輩女性達が道を開いていく姿がまぶしく、頼もしいといった気持ちで眺めていた。当時は、英語圏と同じように、日本の女性もガラスの天井を破っていくものだと思っていた。

あれから30年過ぎた今、メイドインジャパンに価値はなくなり、高齢者は多いのに対して労働人口は少なくなり、女性は「道を開く」というよりは、不足した労働力の補完としての活躍を期待されている状況。ガラスの天井という使い古した言葉も、意識を高く持たないとその天井に出会うことすらない。大手企業は、女性管理職を増やさなくてはいけないというけれど、その理由は、内発的なものではなく、株価に影響するといった外発的なもの。女性にポストを用意すれば、女性が優遇されている、男性差別だ、という声も聞こえてくる。


ホフステードの文化次元論「男性性」指数


女性の管理職が少ない、女子学生が日本企業に入ったら文化的に合わないことに悩む、といったことを思考する際、一つの側面として、ホフステードの文化次元論にある「男性性」指数が面白いので、今日はこれについて書いてみます。

さて、ホフステードの文化的次元理論は、ゲルト・ホフステード氏によって開発された異文化コミュニケーションのためのフレームワークとして知られているものです。1967年から1973年にかけてIBMが実施した世界規模の従業員価値観調査から始まっているもので、多国籍企業が現地採用やマーケティングに活用するためなどのビジネス寄りのツールです。このフレームワークは、各国の文化を6つの指数からの理解を試みていて、ここで取り上げる「男性性指数」(マスキュリニティ)はその指数のうちの一つです。

以下、いくつかの国の「男性性指数」を抜き出してみました。

日本の男性性指数(マスキュリニティ)は突出して高い


このグラフからも分かるように、日本は、この「男性性指数」が突出して高く(世界一高い)、北欧はこの指数が低くなっています。

この「男性性指数」は、その国の男性が男らしいかどうか、という話ではなく、「競争心」や「富の獲得」といった価値観を「男性的価値観」としています。この男性的価値観が、人間関係の構築や生活の質(ホフステードでは女性的価値観としている)より、どの程度重視されているかを表すものです(男性的女性的という二元論的ラベリングに議論の余地ありますが)。

一般的に、文化・社会を国際比較するとき、男性的だとか女性的というふうに語られることはありませんが、ホフステードのモデルでは、各社会の中で男性の文化と女性の文化は大きく異なっているとしています。スキル的には男女が同じ業務をこなしていたとしても、その性別によって対応が異なる場面があるという側面を切り取ったものです。例えば、ある性別の人が決められた役割とは異なるふるまいをした場合、もう一方の性別はその逸脱した性別の役割を受け入れないといったことがそれに当たります(女性は控えめであるものだとされているのに、理路整然と意見を述べたら、男性がこれを受け入れない、など)。

ジェンダーは社会によって作られているので、その国のジェンダー分化の度合いは、主にその国の中の文化とその歴史によって作られている、だから、男性性指数というもので男性的価値観とされるものの度合いを知ることで。多国籍企業が現地で成功するのに役立てよう、ということです。

以下に、ホフステードの「男性性指数」の高低による文化の特徴として挙げられているものをまとめてみました。

アメリカ(高い)とスウェーデン(低い)の違いも「男性性指数」で考えやすい


男性性指数が高い国の文化の特徴


この表からも分かるように、「男性性」が高いと競争的で、成功したら物質的報酬を得ようとします。例えば、成功したこと示すために高級車を所有する、誰にでも高級と分かる高級住宅に住む、妻はトロフィーワイフ、といった「男らしさ」を示すといった具合です。また、弱者を思いやることはなく、弱者も自分でなんとかすればよいというのは、例えば、職が見つからず生活に困窮している人がいてもそれは努力が足りないのだから本人が頑張って何とかすればよい、というのもその一つです。

さらに、達成することに価値を置くので、ターゲットとなる目標が明確にあれば力を発揮するけれど、なければと不安になったり、パフォーマンスを発揮できないということが起きます(「欧米に追い付け追い越せ」という目標がなくなって糸の切れた凧のようになってしまった日本もこういうことなのでしょう)。また、選別主義、普遍主義、は、社会福祉について所得制限をするか、所得に関係なく全員に福祉をいきわたらせるか、子どもを預けるときに就労の有無を問うか問わないか、などということです。

次に、男性性指数が高い国、低い国の文化の特徴を以下の表にしてみました。

*男性性(マスキュリニティ)に対して男性性が低いことを女性性(フェミニニティー)とも言う

そして、男性性指数が高い国では、男女平等の実現する方法として、女性が男性側に寄る(リーンイン、男性化する)必要がある文化で、男性性指数が低い国では、男性が女性側に寄ることで男女平等を目指しています。アメリカとスウェーデンの違いを考えると分かりやすいと思います。

また、男性性指数が高い国では、「勝つ」「成功する」ことが賞賛されますが、これは通常、学校教育から始まりその後も組織生活を通じて維持されます。一方、指数が低い国では、生活の質の高さと弱者への他者への配慮が賞賛され、学校教育において試験で点数をつけることよりも探求的な学びが重視されます。趣味についても、数字で明確に順位がつくものより、競争がないものが好まれるといった具合です。

「男性性指数」が極度に高い日本の特徴


先に示した通り、日本は世界の国々の中で「男性性指数」が際立って高い国です。これは、目標達成や一番になるための激しい競争が繰り広げられている社会であることを示しています。しかし、この「競争」は一般にイメージする西洋的な個人間の競争や自己主張的な競争ではありません。それよりも、日本は別の指数の「個人主義指数」が低い(つまり集団主義である)ことから、競争の様子は西洋とは違った形で表れます。

日本人なら当たり前すぎて、客観的に観察することはありませんが、「集団間の激しい競争」が日本の極度に高い男性性指数の姿です。幼稚園児の幼い頃から、運動会などで自分の所属するグループのために我慢し、迷惑にならないこと(自己犠牲)を学びます。集団での競争なので、目標設定も個人で行うものではなく集団で行います。オーナーシップを持つ者以外は、他者から設定される目標を達成するために「わがままを言わずに頑張る」文化です。

日本では幼児期から自分が所属する集団が勝つために「迷惑をかけず精一杯頑張る」ことを学ぶ

ホフステード文化次元論を用いて国別比較をしているホフステード・インサイツのサイトでも、日本企業では、従業員が最もやる気を出すのは、ライバル集団に勝つためにチームで戦っている時だと解説されています。

また、日本における男性性指数の高さが表れている事柄として、物質的な生産(製造業、ものづくり)、物質的なサービス(ホテルやレストランのおもてなし)、見栄え(丁寧なギフトラッピングや料理の細かな盛り付け)など、生活のあらゆる場面での、完璧さの追求が挙げられています。これもスウェーデンの文化のように自分の生活の楽しみのために行っているのではなく、男性性の表出としての競争、達成の一つです。

さらに、日本人が仕事中毒で悪名高いのは日本の中でもよく知られていることだと思います。男性性が高いと、仕事が人生と一体化したり、集団主義でもあることから、出身校や所属する企業などがアイデンティティとなります。東大合格高校ランキングや何かしらの企業ランキングに自分の卒業校や勤めている会社の名前を見つけると、そこに名前を連ねている他の学校や企業と比べて仲間と盛り上がる、といったのも男性性指数が高い文化によるもので、それまで競争に勝ってきたエリート的なものだと解釈できます。他にも、自己紹介で趣味の話や家庭の話よりも、会社と所属部署、仕事の専門性について話す日本人がほとんであるのはこのような文化的な背景があるのでしょう。

このホフステード・インサイツでは、このような生き方と長時間労働は男性性の表現の一つであり、女性が社会的な立場を得るための最大の障害になっていると指摘しています。また、先にも書いたように、集団同士で競争していますから、仲間に迷惑をかけることはわがままとして嫌がられます。迷惑をかける人が弱者であった場合、切り捨てられるということが予想できます。

妊娠出産する可能性がある人や子育てや介護、その他の理由で長時間頑張れない人を採用したがらない、重要ポジションにつけたがらない、というのは、人事権を持っている人の性格が悪いわけではなくて、男性性が高い集団主義の文化が原因です。また、ホフステードの男性性指数が高いほど、男女平等のための性別役割規範について言及することがタブー視されるとも言われています。

最後に:マスキュリニティと生活大国と伝統校と


日本の男性性指数が高い集団主義であることの理解すると、明治以降、製造業の成長にこの文化が役立ったことが理解できます。また、製造業中心の国である一方で、住宅の断熱やサッシの性能が低いなど生活の質は後回しになってたのもこの男性性指数が高いことが原因だということも見えてきます。私が社会人になる直前の1992年に政府が打ち出した「生活大国5か年計画」というビジョンもありましたが、実現しなかったのは、バブル崩壊ということだけでなく、男性性指数が高い文化であったこともあるのかもしれません。

「生活大国」
宮沢内閣が 1992年にスタートした新経済5ヵ年計画の基本構想として打出したビジョンで,世界の経済大国となったいま,国民が豊かさを実感できる国家を目指すというもの。そのための具体策として,土地・住宅問題の解決,労働時間の短縮,高齢者・障害者対策,東京一極集中の是正,女性の社会進出支緩策などを掲げた。期間中の目標としては,年間総労働時間 1800時間の達成と,大都市圏でもサラリーマンの平均年収の倍程度で良質な住宅が手に入ることなどをあげている。

コトバンク:ブリタニカ国際大百科事典「生活大国」


また、この指数が表す特徴から、男性性指数の高い文化に合致した人(体育会系人材など)は競争に勝つ地位を得やすく、また競争に勝ち上がって地位を得た人は、集団主義の中で迷惑をかけずに頑張る人を引き立てるという様子も見えてきます。また、アメリカとスウェーデンの違い(女性解放の方向性や税と福祉の考え方など)も、社会正義について考える時に、この「男性性指数」は新たな視点をもたらしてくれると感じます。

「男性性」はマスキュリニティ(masculinity)を日本語にしたものです。マスキュリニティについての分野は日本では「男性学」とも言われていますが、英語では文献が多くあるようなので、これらについて読み込んでいくのも面白そうだと思っています。日本で女性がリーダー職につけない(なりたくない)ことや、日本が生活大国の計画書まで作っておきながら、バブルがはじけたという理由も含めてそこに注力できなかったことを考えるのに役立ちそうです。また、私の大学院での研究である「教育と社会正義」の文脈では、マスキュリニティの視点で、戦前からの伝統高校(西日本は戦後共学化、東は別学維持多かった)と私立中高一貫エリート校を解釈するのは価値があるだろうと思っています。

(参考)
Hofstede Insights COUNTRY COMPARISON (2023)
Hofstede, G. (2009). Geert Hofstede cultural dimensions.
Hofstede, G. (2011). Dimensionalizing Cultures: T he Hofstede Model in Context. Online readings in psychology and culture, 2(1), 2307-0919.
Masculinity index | Psychology Wiki | Fandom
生活大国(せいかつたいこく)とは? 意味や使い方 - コトバンク (kotobank.jp)


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