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『相手の心を惹きつける秘訣は、実にわかりやすい魅力的な文章で!』エゾラノ・レポート1

ごきげんよう、皆の者! わらわが蝦空千鶴じゃ!
今回は、わらわの気分転換と、これを読まれる方々の気分転換になればと思い書いた次第じゃ。
最近のわらわの近況と、少しでも読者の役に立つ情報を与えられたら幸いじゃ。

■【まず最初に】

気がつけば、夏が終わり、気がつけば秋に突入し、気がづけば、
もうクリスマスの準備じゃ。
令和元年の5月に誕生した、わらわこと蝦空千鶴じゃが、
いや~夏はドタバタ騒ぎじゃった。
まず、夏が本格する頃に、エアコンがぶっ壊れて、
それに続いて冷蔵庫がぶっ壊れて、
わらわが使用しておるノートパソコン殿が二足歩行で家出をするし、
わらわが飛んで追っかけたら、サバンナまで走っていくし、ようやくとっ捕まえと思ったら、日光にやられてぶっ壊れたし、いや~まいったまいった。
挙句の果てに、鶴界とnote界ではてんやわんやの大騒ぎで、さすがのわらわもショボボーンじゃった。どうしてこうなった的な展開じゃが、
いずれこれが善き思い出になればと思うぞ。

まぁ、じゃからというわけではないが、
執筆が上手くいかなかったことも事実じゃ。
トラブルが起きたとき、物事がうまくいかない時、
どんなにわらわが鶴でも、喜怒哀楽が偏ってしまうのじゃ。
スランプという言葉があるようじゃが、それとはまた似て非なるもの。
わらわならではのこだわりもあってのぅ。

他の方々は、どのように投稿しておるかは、それぞれかもしれぬが、
わらわの場合――あくまでも、わらわの場合であるが、
適当に思いついたことを書いて、とりあえず投稿しようという感じで書く事はせぬのじゃ。それ以前に、わらわは物語作りでは、己が決めたジャンルの最初の物語をきちんと体現させねばならぬからのぅ。
これは己の使命であるのと同時に、今後のエンタメもっというなら日本文化の発展と繁栄のためでもある。慎重に執筆していかぬと、
やり方を間違えてしまうと、全てが水の泡となってしまう。
現在、わらわはプロではないどころが、無名と言っても良い。
じゃがそれでも、プロよりもプロらしく、
今、わらわが書いているもの――書こうとしているものを読まれる方も、
いずれは消費者という立ち位置になるやもしれぬ。
じゃからこそ、例外なく作り手は、いわば生産者であるということ、
それを忘れてはならぬということじゃ。
そして、生産して、読者いわゆる消費者にどう影響を与えるかが問題となる。そこで、わらわは、物語を書くことで、読み手側に、何か心の発展に繋がるようにしていくことじゃ。もっと詳しいことを書いていこうと思う。

■【わかりやすい文章で人を惹きつける】

わらわが現在取り組み、そして今後も取り組んでいくのが、
凄くわかりやすい内容を凄く複雑な表現で凄くわかやすい文章にして書いていくという前代未聞な分野である。
普通に考えればナニソレって突っ込まれるようなものじゃが、
わかっておるわかっておる。今説明しようぞ。
わらわが専門とするジャンルは、ライトノベル――ラノベじゃが、そのラノベの発展のための文章の進化ならびの物語の進化である。

まず、難しい物語を考えるのは、難しいことではない。
また、それを難しく書いていくのも難しくはない。
じゃが、難しい内容を、わかりやすく書く事は、難しいのである。
まして、凄くわかりやすい内容を凄く複雑な表現で、凄くわかりやすい文章にして書いていくということは、更にもっと極めて難しいこととなる。
元来のエンタメ小説、また今も出ておるライトノベルであれば、
浮かんだプロット通りに沿ってシンプルに書いて読者を楽しませるのが平均的な常套句である。もっといえば、21世紀に入った、2000年代初頭では、オリジナリティ溢れるシンプルなライトノベルが豊富じゃった。
じゃが、どうであろう……様々なWEB小説が姿を現し、かつてオリジナリティあった物語からのオマージュやパロディが目立つようになり、
流行語やネットスラングからの多様&多用で読者層も更に狭まってしまい、また更にそのラノベを愛する読者からも、飽きられているのが現状じゃ。
わらわが以前記事に投稿した、『ドミノ倒し』というのは、こういうことじゃ。作者そのものが、ドミノ倒しのドミノに加わってしまっておるということ。ラノベの衰退――それではいかんのである。

わらわはラノベを書く事が専門じゃからこそ、当然、文章はわかりやすく書く事が基本中の基本となっておる。
じゃが、ラノベではなくとも、これを読まれておる方に共通として、参考になることはあるのじゃ。
それは、相手に伝えたい己の真実の想い、至極わかりやすく、だけどインパクトがあって簡潔な文章で書くということじゃ。
難しい漢字を多用することは簡単じゃ。じゃが、遥か昔の文学をより深く勉強しておる方ならまだしも、今のこのご時世では、到底、万人受けはしないのである。極端に申せば、小学生でもわかるような、でも、陳腐ではない、よく意味が伝わる、それをコンパクトに書いていくことじゃ。
仮にどんなに良い内容であっても、一定数の方々に言葉の意味が上手く通じなければ、それははっきり申すと伝わってはおらぬ――伝え方がまだ甘いということになるのじゃ。日本語は世界でもっとも難しい言語の一つとされておるが、じゃからこそ応用出来ることは豊富である。
簡単に書く事は恥ずかしいことでは決してない。逆に、簡単に書く事が恥ずかしいと思うことこそが恥ずかしいのである。
最初は陳腐でも良いから、そこからわかりやすい文章を更に形状を変えて、コンパクトに相手に伝えるように書くようにするのも良いと思われる。

■【時には表現に工夫を】

わらわなんかが特にそうじゃが、文章を書く上で、比喩表現を重要視しておる。これは小説といった物語に限らず、どの分野でも言えると思われる。
ある物事を『まるで~のようだ』と表現することを、直喩といいます。
『まるで』とか『~のような』と、何かを何かに例えることじゃな。
じゃが、何回もやってしまうと、読み手側にくどいと思われてしまうので、やりすぎには注意じゃ。

一方で、『声の形』とか『心の世界』とか『言葉の空』とか
これをメタファつまり隠喩あるいは暗喩ともいわれております。
これは、芥川賞とかいわゆる純文学を書かれる方にとっては、
表現のブレインとも言っても良い。じゃが、メタファもやりすぎると、読み手側にすぐ『上手く狙ってんだな~』と見破れてしまう。
文章における句読点から、比喩表現も、全てリズムが大事となる


■【現在、蝦空千鶴がしている研究とは?】

わらわが現在しておるのは、ライトノベルの可能性を発掘し、その真理を探究し、その世界観を広げて、
さっき申したように凄くわかりやすい内容を凄く複雑な表現で凄くわかりやすい文章にして書いていくということで、読者に新たな発展に繋がるようにするための研究じゃ。そのため、20世紀の前衛文学の手法を取り入れて、
それを是々非々として、上手く有効活用させていくというやり方じゃ。
実は、わらわが考案した新時代の更に先を突っ走った、ラノベの進化した、新たなジャンルの名称はもう決まっておるのじゃが、それをはっきりと提唱するのは、新作が出来て落ち着いてからにしようと思う。

■【最後に偏った感情の対処法】

わらわは夏から秋にかけて、あるトラブルで感情に偏りがあった。
これを教訓に、読者に伝えたいことは、喜怒哀楽のどれかが偏ったときは、
無理に書こうとはしないこと
じゃ。
何でか? 答えは簡単、喜怒哀楽のどれかに偏ったときは、本来見えるはずのものに見落としが生じてしまうからじゃ。
あるいは、本来書きたいと思ってた内容と変わってしまうこともある。
よって、感情が激しく変化しない、周囲の環境づくりも大事かもしれぬ。

ということで、今回は、こんな感じで、わらわの近況から、少し読者の役に立てる話を書いたつもりじゃ。
何かの役に立てれば幸いである。
次回のエゾラノ・レポートも、そしてこれからの蝦空千鶴の活躍と小説も是非よろしくお願いしま鶴。m(_ _)m

蝦空アイコン(こんぺいとうver)

皆様からの暖かな支援で、創作環境を今より充実させ、 より良い作品を皆様のもとに提供することを誓いま鶴 ( *・ ω・)*_ _))