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タッパー弁当と自分のための毎日

朝ちょっと早く起きられたので、その日の弁当を撮ってみた。

ザ・タッパー弁当

・白米(作り置き)
・鶏肉とニンジンとシメジのオイマヨ炒め(作り置き)
・ピーマンとちくわのきんぴら(作り置き)
・ゆで卵(朝ごはんのついでに作ったやつ)

大層地味な佇まいだが、わたしがわたしのために自分好みに作った料理なので、当然おいしい。そして量もちょうどいい。夕方、タイムカードを押す頃に空腹になるくらいの量だ。
職場の給湯室でポットや冷蔵庫が使えるので、インスタントのみそ汁やスープを持っていくようにしているし、ヨーグルトやプリンをデザートに持っていくこともある。
温かい汁物があるとしっかりお腹が満たされるのでとてもいい。さらに食後に甘いものがあればこの上ない。

おおむね毎日こういう弁当を持って勤めに出ている。
たまに面倒な時はコンビニでおにぎりとカップ麺なんかを買う。

弁当作りは、自宅で食べるための作り置きをするよりも、俄然「自分のために」やっている感じがする。
衛生面は保持するが、見栄えも栄養バランスも二の次。自分の経済力が及ぶ範囲で美味しく腹を満たすために、タッパーに米やおかずを詰め込むのだ。
昼休み、弁当を前にしてささやかに胸が浮き立つのは、単に腹ペコで食事が待ち遠しいからだけではないと思う。
どんなに倹しいものであっても、自分のためだけに用意されたものを見るのが嬉しいのだ。
すっかりくたびれて帰宅した夜も、灯りをつけると自分仕様に整えられた部屋がある。弁当箱を開ける時のささやかな嬉しさは、自分の部屋に帰ってきた夜に噛みしめる安心感に、少し似ている。
誰のためでもない、自分のためだけのもの。

生活保護を受給するようになって丸三年が経つ。
他人を搾取することなく、他人から搾取されることもなく、ただ自分のために自分を最優先に考えて暮らす。
それが、この三年間の課題だったように思う。
周囲の空気を読み、他者を思いやり、自分以外の誰かに奉仕するようにと調教されたわたしは、自分のことを二の次三の次にした挙句、困難に陥って助けも呼べなくなってしまっていた。
程度の差こそあれ、その“調教”は、この社会の多くの女性達に同じように施され、その通りにできなければ「女失格」とされている。
わたしが味わってきた苦難は女性達が立たされているケースのひとつであり、わたしが自分の人生を奪還するために取り組んだ課題は、女性が主体性を取り戻すための闘争の一部であるようにも思える。とても静かでささやかではあるが。

他人を搾取することなく、他人から搾取されることもなく、ただ自分のために自分を最優先に考えて暮らす。
今もそれができているか不安な瞬間は無数にあるが、かつてよりはずっとマシになった。
わたしにとって一番重要なのは、わたし自身の権利や安全や幸福だ。
わたし以外の一体誰が、わたしのことを一番大切にしてやれるというんだろう?そのことを肝に銘じ、しばしば意識的に思い返すようにしている。

わたしは自分のために料理をし、自分のために服を着て、自分のために部屋を整え、自分のために外に出る。
女性が自分自身の権利を度外視して発揮する思いやりや気遣いや優しさによって成り立つ社会は、女性を尊重することはできないだろうから。

自分のための弁当を開けるたび、ただ女の人間として生きることのささやかな倖せを噛みしめている。


では、また。

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