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■本と私3/『いたいけな瞳』他 吉野朔実



中学生の頃にとある病気が発症し、
大学病院に通院することになった。



自宅から30分程電車に乗って、
検査を受けにゆく。
待合室で呼ばれるのをじっと待つ。
この繰り返し。
その時間を過ごすのに、ある時母が病院の売店で買ってくれたのが、雑誌「ぶ〜け」だった。



自分で選んだのだったかな?
忘れてしまったけれど。



私は「りぼん」や「マーガレット」を読んでいなかった。
女きょうだいはおらず「女の子」文化に疎かった。
小学生の頃は学研の「科学」と「学習」ばかり読んでいたし。

ラブコメディみたいなのが他人事で、
キャーキャー矯正をあげている女子をなんなら小馬鹿にしてて。

さくらももこと岡田あーみんは読んでいる。
・・いたでしょ、そういうひと。
それが、私。



きらきら王子や ずっこけ少女、
うる目女子のブカブカ長袖、
女子同士の友情、譲り合い・・
みたいな世界観 (思いこみを含みます) に、まったく入り込めなかった。
ちょっと見て、私はいいやとなっていた。




さて、
時間つぶしにたまたま手に取った「ぶ〜け」に、このあと私は読み耽ることになる。



「ぶ〜け」は、
「りぼん」や「マーガレット」より
ちょい大人仕様だった。
描画も、テーマも。



逢坂みえこさん、
鈴木志保さん、
藤谷みつるさん、
水樹和佳さん、
吉野朔実さん・・・



どの方の作品も気に入りで、
いろいろ読んだ。



中でも吉野朔実さんの作品は、当時の私にはちょっと格別だったかもしれない。 



美しい画。
内面世界の象徴的な描写。
時に鼻につく知的分析。
可愛げのない賢しさ。
愚かさ。弱さ。
しかし揺らがない断固としたもの。
殊更に美しいパーフェクトワールド。



先日書いた「何とはわからぬが何故か苦しい」の日々にはまり出していた私の横に、吉野さんの作品はずっとあった。



安らぐとか癒されるとかとは、違う。

時に同調し、時に嫌悪しながら、読んだ。
心地よくもあり、不快で滑稽な世界でもあった。



おこがましいのを恐れずにいえば、
自分の現状のやり方が高じると吉野朔実になるな、と思っていた。




強固で冷徹な鉄になるのか。
弱さを吐露して腹を撫でてと上目にみるのか。
グッドバイなのか。
全てを受け入れ自らを溶かすのか。




いずれにしろ極端な選択肢を堂々巡りしている自分を、吉野作品の登場人物や吉野朔実自身と比較していたかもしれない。



自分はここまで繊細ではない
自分はこんなに小賢しくない
自分は血を流す弱さも
終わりにする勇気も無い、などと。



思い詰めているけど、自分はここまでじゃないと思っていた。
でも、この世界があることを、私は知っている・・みたいな。



その世界を横目で見ながら、
主人公は自分ではなく、極彩色で極端な日々を暮らすあの子なんだろうと信じていた。
1でない曇天の自分は0でしかなく、
我儘で達観した神の目線とどうしようもない劣等感を併せ持ち、そのあいだで引き裂かれていた。


引き裂かれていることは知っていたが、
逃げ道はどこにも見つからず、眠ってばかりいた。




吉野朔実は既に亡くなってしまった。

本当はどんな人物だったろう。
実は殆どよく知らないのだ。

私の中で醸造され、
同調し、倦み、懸念し、忌避した吉野朔実像は
私の中だけにある。

そうなるかもしれない素質を自らにみて、
その道を歩まぬようにと、心に留めている。

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