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姉と私と反出生主義

自殺した姉へ捧ぐ

数年前の今日、姉が住んでいたマンションから飛び降り自殺した。
遺書もなく、私たち家族は自殺したことが信じられず、本当は他殺なのでは、とも考えた。しかし、前日に姉が長年信奉していた作家へ向けてファンレターを送っていたことを見つけ、姉はそんなことをする人間ではなかったため、それを送った時には死ぬことを考えていたんだと理解した。
今でも、なぜ姉は自殺したのかの結論は出ていない。

私も自殺を考えていた。しかし、姉が死に、両親の悲嘆、懺悔、虚無感を目の当たりにすると、私は両親が死んでから死のうと考えを改めた。

最近、「反出生主義」という言葉を知った。
その主張は私が子供を産むか、産まないかを考えた時に最終的に産まないという結論を出した時の考えに一致しているように思えた。
しかし、この考え方の人間に出会ったことは一度しかない。二つ年上の姉だ。同じ家庭環境を共有した唯一の理解者だった。

小学生の時に姉と「自分たちは負け組である」という話をしたことがある。それは受精の仕組みについて保健の授業で習った時であったと思う。
「一番最初に卵子にたどり着いた精子(私たち)は、他の精子との競争に勝てたのではない。他の精子は生まれると辛いことがあることを知っており、『どうぞ、どうぞ』と譲り合っていたところにまんまと煽てられて入って生まれてしまった負け組だ。他の生まれなかった精子が勝ち組なのだ、羨ましい」
これは本気で言っていたわけではなく冗談だったが、この考え方で救われていた面もある。生まれてしまった辛さは他の精子との競争に勝ってしまった自分の責任だ、と考えられたからだ。
また、すでに厨二病を発症していた私たちは、どの神を信仰するかなどの話もよくしていたが、「父親が私たち(精子)の創造主なのだから、私たちの神は父親だ」という結論に至っていた。その時には生まれたことへの後悔、なぜ自分を産んだのだという親への怒り、だが生まれた以上生きていかなければいけないという決意を持っていた。

『ただしい人類滅亡計画 反出生主義をめぐる物語』を読んだ

先日、何か読みたいなとkindleを眺めていたら、面白そうな本を見つけた。
品田遊先生の「ただしい人類滅亡計画 反出生主義をめぐる物語」である。

突然この世に生み出されてしまった「魔王」がいきなり「あなたは人類を滅ぼさないといけない」と言われたが、人類を滅ぼすことに対する意義が見出せなかったため、10人の様々な価値観の人間を集め、人類は滅亡するべきか否かを議論させるという物語。(ちゃんと要約できてなかったらすみません、、)

10人の登場人物の価値観は下記。(解釈が間違っていたらすみません、、)
ブルー:悲観主義者(人生嫌なことしかない。生きることにネガティブ。)
イエロー:楽観主義者(生きていれば楽しいこともある。何事もポジティブに考えた方がいい)
オレンジ:自由主義者(自由に生きる権利を侵害されたくない。)
レッド:共同体主義者(社会を存続させることが大事だ。)
パープル:懐疑主義者(こういう意見も、こういう意見も検討すべきだ。)
シルバー:相対主義者(こういう見方も正しいし、こういう見方もある。)
ゴールド:利己主義者(自分が良ければそれでいい。)
ホワイト:教典原理主義者(教典に書かれたことが正しい。)
グレー:独我主義者(今思考をしている自分だけが世界だ。)
ブラック:反出生主義者(人間は生まれるべきではない。)

私の価値観は言わずもがな、ブルーやブラックと同じである。
結局、物語では他の登場人物はこの思想を受け入れはしなかったが、それが普通だということも、今まで生きてきた中で実感できる。
ただ、反出生主義を、それを受け入れられない人に向けて主張し続けたこと、反出生主義に対する様々な反論を論破していくのが面白かった。

私の考える反出生主義

本を読んだ後は同じ感想を持った人がいるかどうか、感想を調べるのだが、ブラックに賛成という人はいても、詳しい理由まで一緒の人が見つからなかった。そのため、私の主張をネット上に残しておきたくなった。また、今日が姉の命日であり、今年は実家に帰れないため、姉のことを一人で思い返してみて、書き残しておきたくなったので、下記に私の主張を記載する。

反出生主義を唱える根拠1:自分が生まれたくなかったと思っている

1−1)生きていかなくてはならない
この世界に生まれた以上、生きていかなくてはならない。前までは辛くなったら死のうと考えていたが、両親が存命のうちは生きなければならないという考えに変わったため、生きていかなくてはならない。
死にたくなるような辛いことがあっても、生きなくてはならない。

1−2)生きるためにはお金を稼がなくてはならない。そのためには辛いことばかりだ
海外に行く気力がないため、日本でみんなと同じように生きていくためにはお金を稼がなくてはならない。
お金を稼ぐ方法はいろいろあるが、その中でも自分でもなんとかできそうなことを考えると、大学を出て、どこかの企業に就職することだった。(私は高卒で働こうと思っていたが、親が大学は出なさいと言うため、その主張を退く努力をすることが億劫であったため、大学に行くことにした)
義務教育で様々なことを強要されることも辛かったし、勉強して受験に合格しなければいけないことも辛かった。その中でも、なんとか自分が楽しめることを見つけて、それで辛さを紛らわしていた。
企業に就職し、お金をもらうためには、一日の80%ほどは会社や仕事のことを考えることが自身の性格上必要であり、辛さを感じている。
辛さを感じないお金の稼ぎ方はできないように思う。

1−3)将来、年金がもらえるかわからない。将来の貯蓄ができる気がしない
たくさんお金をもらえる仕事についていないのと、節約する気力がないため、お金が貯まらない。給与明細を見ながら、差し引かれている年金で将来暮らせるのか、不安になる。
病気になってもっとお金がかかるようになったらどうしよう。

1ー4)死ぬのが怖い
死にたいとは思っていても、実際死ぬのは怖い。過去に、今から殺しに行くと言われたことがあるが、体が震えることほど怖かった。
事故で死ぬとか、病気で死ぬとか、とにかく苦しむだろうと想像できる。
老いていくのも辛いだろう。歯がなくなって、歩くのも辛くなって、でも死ぬのは怖い。なぜそんな思いをしないといけないのだろう。
いつか、身内がいなくなって、死にたくなったらスイスに行って安楽死をしようかと考えている。日本でも安楽死ができるようになってほしい。

以上の理由により、私は、生まれなければ、この苦しみを味わうことがなかったため、生まれたくなかったと主張する。
人生の中で、楽しいこともあったが、人生の80%は辛いことばかり考えているように思うし、これからもそうであると思う。

反出生主義を唱える根拠2:自分が子供を生み出すことに対する恐怖

2−1)子供に生きることを強要しなければならない
これは、「ただしい人類滅亡計画」に書かれていた「道徳」的な考え方かもしれない。根拠1で書いたようなことを、自分の子供に背負わせるのがかわいそうだと考えている。自分の子供が、自分と同じように考えるかはわからない。イエローのようなポジティブな子で、産んでくれてありがとうと言うかもしれない。だが、可能性として自分と同じ考えであった場合、私が親を恨むように、自分の子供も私を恨むだろう。それが恐怖なのだ。

2−2)子供が高齢者を支える仕組みや、国が崩壊するかもしれない
私の親が私を産んだのはバブルが弾けた頃だったが、その時は日本の人口が増えていくことが当たり前だったのだと思う。日本がどんどん豊かになっていくと考えていたのだと思う。そのため、親が私を産んだのも、責める気はない。
だが、今はどうだろうか。出生率が下がり、高齢者はまだまだ増え続けるのに、働く世代はどんどん減っていく。いかにAIやロボット技術が発達しても、高齢者も働かなくてはインフラを維持できないかもしれない。また、自分の子供が自分で満足に稼いでいくのを保証も出来ない。自分にお金もないので、子供を一生養い続けることもできない。
少しずれるが、働く人の負担を減らすために高齢者を減らすというのも一つの手であると思う。狂気太郎先生の「血塗られた老後」という小説があるが、そこで描かれる人口調整のシステムのように。

2−3)子供がいじめに遭うかもしれない
小学生でもスマホを持つのが当たり前で、当たり前にネットの世界に触れられ、私が子供の頃よりはるかに多く、嘘やこのようなネガティブな主張、罵詈雑言が蓄積された世界を物心がつくときに触れられるという状態を、私は経験していないわけだが、そんな環境で子供が生き抜けるものだろうか。
チャットでのいじめ、現実世界でのいじめ、自分の子供がいじめに加勢するかもしれないことを私は守ることができるのだろうか。
処世術が必要であることを子供に学ばせることはかわいそうに思う。

2−4)子供が自殺や他殺で死んだり、または加害者となるかもしれない
上記で書いたいじめのさらに先、実際に私には姉を含め、同世代の親戚が三人いるが、一人は自殺、一人はストーカー加害者、一人は精神疾患となり、残る私も反出生主義で一族は根絶やしかもしれない。
また、突然残虐な方法で子供が殺されることもあるかもしれないし、自動車事故で加害者となってしまう可能性もゼロではない。

2ー5)子供が精神疾患や障害を抱えるかもしれない
上記でも触れているが、親戚の一人は統合失調症である。
企業に勤めて数年、同僚でうつ病で休職する人が多くいた。姉は義務教育中に登校拒否で引きこもったし、私の身近な人でも、1年引きこもりだったという人もいる。
もし自分の子供が精神疾患や障害を抱えてしまった時は罪悪感を感じるだろう。

2−6)子供を産んだ後の社会復帰
今の仕事でもし妊娠したら、会社をやめないといけないかもしれないし、もし復職できたとしても、子育てと仕事を両立できるとは思えない。
もし、男が妊娠できるようになったり、体外受精、代理出産などが当たり前の世界になったら、この懸念はなくなるだろうか。

以上の理由により、私は子供を産むことによる恐怖や懸念があるため、子供を産みたくないと考えるようになった。

反出生主義を唱える根拠3:世界が滅亡していいと思っている

3−1)人類がこのまま増えていくことに対して不安しかない
日本の人口は減り続けるが、世界の人口は増え続けている。パンデミックが起こっても、人類は乗り越えて増えていくだろう。
このままだと肉の需要が供給を上回るかもしれないと言われている。さらに様々なものを得ることが競争になるだろう。
人類が地球環境に与える影響についても、日々恐ろしく感じている。

3−2)核戦争が始まったらどうしよう、AIの反乱が起こったらどうしよう
世界は平和ではない。日本から仕掛けなくても、戦争に巻き込まれるかもしれない。核戦争が起こって、核の冬が来るかもしれない。AIやロボットが発達しすぎて、人類を滅ぼす可能性もゼロではない。

3−3)人類がこのまま存続する必要があるのだろうか
そもそも、なぜ人類は繁栄していかなければいけないのだろう。今生きている人がいるから、その人たちが人生豊かに生きていくためでしかないと思う。もし、みんなが産むことをやめ、緩やかに絶滅していくとしたら、インフラが老朽化しても直すことができず、最後の人類は原始時代のような状態になるだろう。しかし、辛い人生を子供に歩ませるくらいなら、絶滅した方がいいと思う。
また、「ただしい人類滅亡計画」のあとがきにも書かれているように、地球は膨張した太陽に飲み込まれ、人類は滅亡する未来は決まっているのに、なぜ繁栄していかなければいけないのだろうか。

以上の理由により、私は、世界は滅亡して良いと考える。

まとめ

前提として、私は極論が好きである。様々な難しいことや良し悪しを考え続け、永遠に答えを出せないくらいなら、答えが出ない苦しみから逃れるために、物事を極論づけ、考えのループから抜け出して楽になりたいと思っている。反出生主義も、自分の不安な考えを抜け出す極論に過ぎない。

そして、反出生主義は姉との思い出である。
姉が自殺をする前の数年間、私は姉とまともに話していなかった。
義務教育時に不登校だった姉は、母親との関係もうまくいっていなかった。私はその時、同じ環境を共有する唯一の姉の理解者で、反出生主義など、いろんなことを話した。
私は家族が嫌いだった。家族一人一人は個人として好きだが、家族としてそのコミュニティに所属していることが苦痛だった。母親は姉を実家から出し、私を実家に残したがったが、私は高校で家族と別居を選び、大学で県外へ出た。姉も就職で県外へ出た。姉とは高校の時から話すことがほぼなくなった。
私が就職し、初めてのシルバーウィーク、久々に母親、姉、私の三人でシルバーウィークに遊ぼうということになった。久々に姉と話せると思って楽しみにしていた。しかし、その初日、姉は来なかった。その日の朝、自殺したのだ。

姉の部屋を訪れると、私と話していなかった数年間で、私と同じような生活をしていたことを知った。同じ趣味の本があり、知らない趣味の本があった。なぜその本を買ったのか、昔のように語りたかったが、もう出来ない。

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今生きている人は大事にしよう、というのが、私の主張です。
長々と自分語り失礼いたしました。
この記事が誰かの心を軽く出来たら幸いです。

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