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Mさん(女性・21歳・都内在住)の話

「もちろんいじめられたこともありますよ、ハーフだってことで。

父がガーナ人で、お母さんは日本人。だけど私は父のこと超嫌いで、親だと思ったこともないです。普通に嫌なヤツなんですよ。

父がお母さんと出会ったときにはガーナ人だってこと隠してフランスから来たって言ってたらしくて、結婚する手続きの過程で判明したって聞いてます。

やっぱり、当時は親族からすごく反対されたみたいです。黒人の子を産むなんて、って。でも母が妊娠したのが30代半ばで、年齢とかいろいろ考えて結婚したって。

両親はすっごい仲悪くて、一緒に出かけたりしたのも見たことないです。ウチ、けっこう荒れた家庭なんですよ。今でこそ私はお母さんに育てられたって思えるけど、お母さんも相当ヤバかったというか、真面目すぎて不器用だから、加減がわからない人なんです。モラハラ体質で、私かなり重いアトピーなんですけど『それは病気じゃない。お前が弱いだけ』って否定されたりとか。

ずっとそれが私にとって普通だったから、外でいじめられても、耐性というか……そんなもんだなって思っていた気がします」

「ぜんぜん、自分がアフリカ系の血を引いてることを誇りになんて思えなかったですよ。昔は。ずっと嫌だった。身長もでかいし、『普通』がいい、なんで私は普通じゃないんだって思ってた。電車とか乗ってても、子どもながらに周囲の視線を感じるんですよ。見てんじゃねえよ、って。物珍しそうに見られるのも、「なんで肌黒いの?」って聞かれるのも、嫌だった。知らねえよ、そんなこと聞いてくんなよ、って。

家庭も外もそういう感じだったから、心の拠りどころは音楽や映画やアメコミなんかのアートやカルチャーで、ハマりまくってました。お母さん、けっこうセンス良くて。良い音楽や面白い映画をいろいろ知ることができたのは、やっぱお母さんの存在がでかかったかな。マンガやアニメも好きだし、完全にナード(オタク)ですね。

『ヘアスプレー』ってミュージカル映画があって。ぽっちゃりした黒人の女の子の恋愛と人種問題が重なってる映画で、小学生の頃に観たんですけどお母さんがつまんないって言ってたから私もつまんないと思ってて。けど少し大きくなってからまた観たら、めっちゃ面白かった。太ってたって関係ないじゃん。何がダメなの。そういう考え方めっちゃダサいじゃん、て自分で思えるようになって。映画やアメコミみたいに自分が好きなアートやカルチャーから、自分の考え方の根っこをつくっていくことができたと思ってます。

考え方の根っこ……、一言で言えば『主人公マインド』ですね。目の前に2つに分かれた道があるとき、主人公なら、ヒーローならどうする!? っていう問いが、自分の中に湧いてくるんです。ダサいことはしたくない。人を見た目で判断することや、ステレオタイプをもつことって、ヒーローのやることじゃないですよね。

高校でもいじめてくる奴らはいたけど、殴り返すんじゃなくて、学祭で身内ノリでワイワイやってたいじめっ子集団のあとにステージに立って、体育館にいる全員をブチアゲてやりました。これでもかってぐらい盛り上げて。ピースに見返して、リスペクトを勝ち取るっていう(笑)。いじめはそのあと、なくなりましたね。

この主人公マインドのおかげで、私は自分が特別な存在だって信じられた。いや別に選民思想とかじゃなくて、自己肯定ってやつですね。私だってかけがえのない大切な存在なんだ、って」

「今年(2020年)、家を出たんです。飛び出したわけじゃなくって、平穏に『出てくよ』って。

家を出てから、親しい人の家にお邪魔したときに、そこのお母さんがめっちゃくちゃ優しい人で。私のこともすごく良くしてくれたんです。それで『やっぱウチって変だ』って確信をもてたり(笑)。

それまでもお母さんが不器用で、しっかりしなきゃっていうプレッシャーを常に人一倍抱えている人だってことはわかっていた。それに彼女自身、かなり複雑な環境で育っていて、だからいろいろ仕方ないこともわかってたんです。家庭環境は連鎖するから。

家を出たことで、それがより客観的に見えるようになっていった。感情抜きにして、一人の人間としてすごくフラットに、お母さんのいいところ、悪いところを自分なりに見つめることができるようになってきた。父はそもそも関わりがなさすぎて、フラットも何もないんですけど。

私、すっごい悩む性格なんですよ。寝れないし、泣くし、病んじゃうし。でも今は、そういう悩みが結果的に自分の強みになっているって思える。

悩みがあればあるほど自分と向き合うチャンス多いし、気付きも多いから。フワフワ生きていれば自分と向き合う必要がないから楽だろうな、とも思うけど。私は向き合わざるを得なかったっていうか、悩みが多かったから。

でも、自分自身の底から湧いてくるんですよね。こんな悩みがあるなんてスペシャルじゃん! って」

「今になって思うけど、私が自分を誇りに思えなかったネガティヴさは、父の存在が大きかったんだろうなって。

いわゆるブラックカルチャーは昔から大好きで、カッコいいって思う。ただ、日本で私が出会ったアフリカ系の人には、個人的には良いイメージを抱けなかった。それは命を懸けて稼ぎにきている、彼らの状況を考えれば仕方ないことなのかもしれないけど。で、私にはその血が通っているんだ、って思っちゃってた。だから中学とかになっても、聞かれれば答えるけど自分からハーフだと言うことはなかった。

けれど、父との個人的な血縁ではなく、大きな括りで黒人としての自分には誇りをもってる。ステレオタイプで言うわけではないけど、私、ダンス大好きで。ヒップホップやR&Bも好きだし、歌うことも好き。私にその血が流れているから、そうなんだろうと思う。残ってるんですよ、私の中に。

子どもの頃から好きだったけど、昔は自分の外にあるものとして好きだった。それが、いつからか自分の内面にあるものとして捉えるようになったというか、自身とブラックカルチャーを重ねて見るようになった。なんとなく、このカルチャーのもつ強さは私の中にも宿ってるんだって感じられたり。

私は超オタクで、かつブラックカルチャーが好きで。これって日本ルーツとアフリカルーツ、どちらの文化ももってるってことじゃないですか。ああ私、超ハイブリッドじゃん、て。今は人生の引いたカード、良かったなって思えてます。

こういうふうに思えるようになったのは、Black Lives Matterのインパクトも大きかった。あれはアメリカの問題に対して起きたムーブメントだけど、日本に住むアフリカ系にも、特有の問題がある。

日本って白人信仰はすごいけど黒人は笑いものにしてて、テレビを見ればわかるじゃないですか。『それは愛してるからだよ』っていうけど、決定的に違いますよね。私の中にはその血が半分流れていて、そこにずっとモヤモヤを感じていたけれど、BLMを見て、そのモヤモヤが晴れた。声を上げていかなきゃいけないし、それが世界を変える力を生み出すことだってある」

「自分がハーフだってことにネガティヴさは感じなくなったけど、ただアイデンティティとしてそれほど重視してないというか、私をつくるたくさんの要素の中のほんの1つに過ぎないと思っているんです。

だけどSNSのプロフィールとかには、ハーフって書くことにしました。それは私が表明したいわけではなくて、SNSを通じて似た境遇にある人と悩みを共有できたり、力になれたりすればいいなって。

まあ、それでレイシズムに関してツイートしたら『お前の国に帰れよ』とか『日本のテレビ番組が嫌なら国に帰れよ』とか言われるんですけどね。いや、私の国はここだし、みたいな(笑)。

私、ダンスや歌だけじゃなくて、表現すること全般が好きなんですよ。絵も描くし、ファッションも、文章も好き。TwitterやInstagram歴も長いし、YouTuberだってやりたい。

自分の承認欲求もあるけど、誰かのために何かをやりたいんです。

私の引いたカードがスペシャルだからこそ、同じように悩んでる人とかに共感とか、乗り越えられるかもっていう力を、与える……っていうと偉そうですけど、何か力になれるんじゃないかって思って。

家庭環境、人種差別、男女差別、いろんな問題があるじゃないですか。私自身が当事者だし。ちゃんと自分で考えて、自分の言葉で伝えていきたい。それが誰かの力になることを願ってます」

※ハーフという呼称については諸所で議論がなされていますが、当事者たちの見解や感じ方もさまざまなので、筆者(JAY)の判断で、取材時に使った言葉をそのまま使用することとしました。

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