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七夕前夜(2) 【短編】

創作短編小説『七夕前夜』の続き。
※フィクションです。実在の人物、土地、出来事とは関係ありません。

概要

第三夜 移り変わる努々(ゆめゆめ)


『久しぶりです。っていうのもおかしいか。毎日、暑すぎますね。
 実は、この前の通話で言いそびれたけど、少し前に用事で降りた駅で、初めて二人で会ったカフェの前を通りました。
 今の状況が落ち着いたら、また一緒に行きたいですね。』

 ――覚えてて、くれてた……

 この前言ってくれたら良かったのに……と少し思ったが、照れ臭くて顔を見ては言い出せなかったのだろうか……
 彼らしいな、と何だか嬉しくなる。手紙交換――文通という古風なスタイルだけど、このやり方は良かったかもしれないと、ふさがっていた道が、少し開けた気がした。

 早速、返事を書き、送った。勿論、あの星柄のレターセットを使って、だ。書き始めると、あっという間に便箋一枚分が埋まった。本当は二枚目も書きたかったが、さすがに引かれるかと思い、止めた。読むのも大変だろうと思ったからだ。
 内容は、他愛ない事ばかりだった。些細な出来事、最近のバイト先での悩み、龍彦の様子や体調を聞いたり、最近、見つけた面白そうな本の事……
 ビデオ通話やメールだけでは足りなかった事を、彼に直接語りかけるようにつづった。そこには居なくとも、顔や姿を思い浮かべ、好きな人の事を考える時間は、とても貴重で……いとおしく思えた。

 九月に入り、暫く経った頃。以前、店長が言った通り、長引く外出禁止令で客足が乏しくなった、バイト先の本屋の閉店が決まった。元々、通販などの影響で、経営が苦しかったという。実店舗の本屋の空間が好きだった詩織は悲しんだが、感傷に浸る余裕はなかった。
 働き口を失った彼女と龍彦は、暫くの間、新しいバイト探しに奔走する。台風が迫っていた中、詩織は掛け持ちしていた洋食屋のシフトを増やし、龍彦はコンビニで働き始めた。

「仕事が見つかっただけ、良かったよね」

 そんな風にビデオ通話で言い合ったが、唯一、顔を合わせられる機会も失い……直接、リアルに会えることは、完全に無くなった。


 初秋。夜の温度が急激に下がると共に、二人は多忙になり、ビデオ通話やメールの頻度も減ってしまった。が、月に二回程の手紙のやり取りは、なんとか続けている。これが予想以上に、確かな拠り所になっている事に、互いに戸惑い、驚いていた。

『やっと涼しい日が増えましたね。この前、就活の関係で、シオがバイトしてる洋食屋の近くに来たので、中を覗きました。
 だけど、見当たらなかったので残念です。急いでたから無理だったかもしれないけど、シフト聞いておけば良かったと思いました』

 そんな内容が書かれた、十月に入って最初の手紙に、思わず「えぇ!?」という声を一人であげた。暫く後、ふふ……と気の抜けた声が、力なく零れる。可笑しいのか嬉しいのかも分からない。
 だが、龍彦好きな人とまともに会えなくなってから、久しぶりに明るい気持ちになった事に気づく。そうしたらまた笑えて、ちょっとだけ無性に、泣けた。


 そんなある日。妹から通信アプリで『少し話したいんだけど、いい?』というメッセージが届いた。
 母とは少し距離を取っていた詩織だが、年の離れた妹……香織とは、たまに近況報告する関係だった。彼女が幼児期の頃から、母に代わって面倒を見ていたからか、わりと詩織になついている傾向があったのだ。
 香織も詩織同様、架空の物語が好きな少女だったが、活動的だった。映画や舞台が好きで、第二志望だが外国語が学べる有名大学に合格し、演劇サークルに入る事を考えていた。
 だが、いざ入学して間もなく、感染症が流行り出し、授業は全てオンライン。サークルも舞台上で密接するという理由で、活動は完全に休止中。発表どころか練習すら出来ず、友達作りもままならない状態というのは、春先に聞いていた。
 彼女が夢見ていた学生生活は、一人暮らしのマンションとバイト先のみで、今でも行われている。高校の卒業式すら無くなり、失ったのだ。

「ねぇ、お姉ちゃん……」

 通話を繋ぎ、そんな近況を改めて聞いた後、ぽつり、と香織が漏らした。

「……何で私達、この時代に当たったんだろね」

 普段、あまり泣き言を言わない妹の一言が、詩織の心に刺さった。奥深くに隠していた、彼女のが現れ、浮き彫りになってゆく。

「前の……世代っていうの? その時は、こんな事なかったんでしょ? ……不公平だよね。ハズレくじ引かされた気分。なのに親も先生も先輩達も、『仕方ない』で片付ける。分かるけどさ……」

 怒りを通り越した、虚しい諦めと悟り、そして痛切な叫びが、一人の少女のとりとめないで、一つの形になっていた。

 インドアの詩織でさえ、窮屈に感じる昨今だ。どちらかと言えばアウトドアな彼女には、尚更辛いだろう。普段は趣味や性格の違いから、意気投合する事はそんなになかったが、今回は妹の気持ちがよくわかる気がした。
 看護師をしているらしい母の友人は、病院で感染症の治療に明け暮れていると、初夏に母からのメールで聞いた。本人までが体を壊してしまうのではないか、と不安がっていた。
 自分達だけではない。それぞれが、それぞれの苦しみ、悔しさの痛みを味わっている。ある日突然放り込まれた、真っ暗で先の見えない、明日どうなるかわからない世界と戦っている。恋人と会えない位で……と遠回しに言われる事もあった。けれど……

「お姉ちゃんだって、バイト先増えて、せっかく続いてる彼氏と会えなくて大変でしょ?」

 続けて耳に入り込んだ一言が、詩織の中で、何かが大きく波打った。

「……うん。つらいし、寂しい、よ……会いたい……」
「えっ、ちょっと大丈夫? お姉ちゃん!?」

 香織の動揺したような声がする。彼女の思いにつられるように弱った心が引き出され、詩織は呂律ろれつが回らず、涙声になっていた。
 普段は人前で、増して妹相手に泣く事なんてなかった。誰かに頼る事、頼り方すら忘れてしまっていたのに、龍彦と一緒にいるうちに涙腺がゆるんでしまったようだ。自分がこんなに泣き虫で弱かったなんて知らなかった。

「ご、め……」
「その人の事、そんなに好きなんだ……」

 茫然とした妹の声が、彼方遠くに響く。同じ時代に、同じ災難に遭った事が、皮肉にも二人の壁を低くしていた。

 それまでの世界は、どんな事件や世相があっても、夢や希望を与えるコンテンツに溢れていた。音楽、映像、スポーツ、舞台、外食、旅行……どれも、普段多大なストレスを抱えながら生きる自分達には必要で、非日常や夢を見られる娯楽を利用する事で頑張ってこれたのだろう。
 それまでのやり方や価値観、当たり前とされてきた生活様式が、たった一日で一変し、覆される。夢は呆気なく奪われ、壊される。肝心の命すら、必死で助けようとする人達がいる一方、守られているのかいないのかわからない、不透明な流れがある。混乱と恐怖、何か大きなものに動かされ、振り回されているような不気味な従属感。
 今までの世界は、何故、あんなにキラキラした夢を見せたのだろうか? 何故、病みつきになる楽しみを与え、虜になる甘い味を教えたのだろうか?
 全てがまやかしで一時の幻想だとわかってはいても、それすら失った時、絶望するのは当たり前だろうに……
 大切なものを、ずっと守り続けていくには私達は無力で、世界から見たら非力な赤子同然なのだと、痛感した。


 十月末。急に冷え込み出し、季節がすっかり移り変わった頃。詩織が使うレターセットは、星柄から紅葉柄に変わっていた。去年、二人で紅葉の絶景スポットを訪れた事を思い出す。淡い色調で描かれた便箋と向き合う度、今では貴重になった思い出を噛みしめるように、想いをつづっていた。
 少しずつ、少しずつ、今年の終わりを感じる中……十一月に入った。今月は詩織の誕生月でもある。去年は、いつもより少し背伸びしたレストランで、龍彦が祝ってくれた。二人の初めての夜でもある……

 ――せめて、今月は会いたかったな……

 最近になってようやく、外出や旅行が限定的に少し解禁されたが、多忙さと条件が揃わず、会えそうに無い……
 そんな今の状況を改めて嘆き、恨めしく思う。来年の今頃、自分達はどうなっているのだろう。日本も、世界も、様変わりしてしまった今、何を支えに生きていけば良いのか……


 モヤモヤした不安な塊を抱えながら迎えた、そんな誕生日の前日。一つの小包が詩織のアパートの部屋に届いた。差出人は龍彦だった。明るく甘い予感と共に、高揚する心を抑え、手紙と同じく丁寧に封を開ける。中には緩衝材に包まれた、可愛らしい柄の小箱が入っていた。
 去年……まだこんな事態になっていなかった頃。デートでショッピングモールを訪れた時、化粧品や雑貨を売る店を覗いた。そこで何気なく試供品を嗅いで、『この香り好きかも』と詩織が話した、オーデコロンだった。普段、あまり香水をつけない詩織本人も忘れていた出来事――
 花束柄のグリーティングカードらしき物も同封されている。絞られるように痛んでいた心臓が、震えた。

 ――……また、覚えてて、くれてた……

 龍彦はそういう人だ。そういう人だったのだと思いながら、真っ先にカードの方を開く。今では慣れ親しんだ彼の字が並んでいたが、いつもと少しおもむきが違っていた。
 もうすぐ面接の結果がわかるという、簡潔な言葉。そして、その後に綴られた文面は、一層、だった。

↓次話


 #創作大賞2023 

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