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母のもとへ

カタル
カタル…

ずっとまえから きこえる 声
どこか さびしげな 声

カタル、おはよう

声は しずくとなって 
ぽつりぽつりと 落ちてくる
そして すみきった泉に たまってゆく
みなもの さざ波が きらきらゆれて ほらもう あふれそう

カタル、もうねなさい

ぼくはね いま ひかりと遊んでるんだ
わらったり泣いたり つきとばしたりして 遊んでるんだよ
だから 邪魔しないでね

カタル、おいで

このひとは だれなんだろう
もしかして ぼくを呼んでるの?
でもぼく ここがいいや

だってここは いつもやさしいひかりがこぼれ 
そよ風がわたり 花が歌ってる
そしてかたわらには 神さまがいてくださるの
そのおそばで いつまでも 遊んでいたいよ

カタル!

大きな声のひとしずくで とうとうことばの泉から 水があふれた
水があんまり きよらかなので ぼくは神さまに のんでもいいの? 
と きいてみた
のみなさい その水をのむものは とこしえに渇きを知らない 
と 神さまは答えてくれた 
ぼくは水を手にすくい 飲みほした
すると いつもぼくに呼びかける あのひとのことばが 
花びらのように 舞いおりてきた
ぼくは そのひとひらひとひらを たなごころに受けとめた
ことばには あのひとの思いが しみこんでいた
しみこんでいた思いが ぼくのなかに とけてゆく

カタル
わたしの子
よろこびとかなしみを、ことばで語ることのできる人になれ。
そんな願いをこめて、名づけたのよ。
それなのに、ごめんね。
自閉症なんか背負わせてしまって。
いちばんもどかしくて苦しいのは、口のきけないあなただって、よくわかる。
だからカタルが、はちきれそうになって、かみついたり、手あたりまかせにものを投げつけたりしても、いっこうにかまわない。
でも、カタルとはお話もできないし、小さいころから、だっこもいやがる。
だからせめて、目をそむけずに、わたしを見てほしいの。
あなたはわたしから目をそらし、背を向けて、砂時計の砂ばかり見つめてる。
まるでわたしなんか、この世にいないかのように。
目をあわせて。お願いよ。
そして一度でもいい。
あなたの声で「おかあさん」と呼ばれたい。

ぼくは 砂時計から目をはなして 立ちあがった
神さまが 母のもとへ ゆきなさい とささやいた
ぼくは あのひとをさがし、家のなかを あるいた
わたしは おまえを愛するように おまえの母をも愛する
母がおまえに そそぐ愛は わたしの愛である
さがしあるくあいだじゅう 神さまのお声がきこえた

ぼくは 台所で あのひとをみつけた
目をあわせ じっとみつめた
あのひとは びっくりした顔で カタル とつぶやいた
ぼくはがんばって 声をだした
お か あ さ ん

その声は 牛のうめきみたいだったけど
おかあさんは ぼくを 思いっきり だきしめてくれた



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