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ささぶね ~田舎オネエの語る夏~

夏は昼寝にかぎるわね。
縁側に籐の枕ころがしてさ。
寝そべった床板はひんやり冷たくて。
そよ風のなか夢を見るの。
田舎にひっこんじゃうと、出会いのときめきはないかわり、そういうぜいたくなら思いのまま。
このあいだもわたし、縁側で昼寝した。
だれにも邪魔されたくないひとときね。

ところがよ。
夢うつつに聞こえてたセミの合唱がぴたりとやんだの。
――足音?
薄目をひらくと視界に人影がにじんでる。
わたし、はね起きたわ。
庭に男の子が立ってるの。
まだ小学一年生か二年生かしら。
両手をうしろにまわして、じっとわたしの顔をみつめてる。
「どこの子? どうしたの?」
わたしの質問には答えずに、男の子はおずおずと片手を出した。
小さな手のひらで何かが日に照らされ緑色にきらめいてる。
ささ舟なのよ。
そんなもの、記憶からほとんど消えてたわ。そしたら、
「おじいさん、いますか?」ですって。
どうやらおじいさんって、わたしの父さんのことらしいの。
「おじいさんに、これ、ひとりで、つくれたよって」
そう言うんだけど、どういう風のふきまわしで、見知らぬ子が父さんにそんな報告しにきたのか、とんと見当もつかないの。でも問いつめて泣かれでもしたらやっかいでしょ?
わたし、ささ舟と男の子の顔を見くらべたわ。
「水に浮かべてみる?」
提案したら、花がひらくみたいに男の子の表情が輝いた。
井戸のポンプから水がほとばしってさ、
「浮かべてごらん」って、わたし、たらいを指さした。
ささ舟は、あるかないかの風をうけ、ゆらゆら揺れたり、くるくる輪をかいたり。
男の子は手に汗にぎるというふうに、かたくこぶしを結び、それをもう一方の手につつんで祈るようにしながら、ひたすら真剣なまなざしで見守るの。
ふきわたった風が銀の波紋をかきたて、ささ舟を一気にたらいのふちまで運んでいった。わっ、と少年は立ちあがって
「それ、おにいちゃんにあげる!」
わっ、とこんどはわたしが立ちあがる番よ。
おじさんをすっ飛ばして、おにいちゃんと呼ばれるなんて!
「いいの?」ってきいたら、「だってひとりでつくれるもん!」
男の子は走り去ったの。純な興奮はわたしにも伝わったわ。でもやっぱりわからない。
――何者なの、あの子?
水に浮かぶささ舟とともに、ほのかなナゾが残されたってわけ。
 
「おじいさん」が帰ってきたのは夕方よ。
縁さきに腰かけて汗をぬぐう父さんに、わたし、ささ舟をつきだした。そしたら、
「ほう、あの子がきたのか」
一目瞭然、説明不要なのよ。
どこの子?ってわたしが尋ねるよりさきに、父さんが教えてくれた。
その子、近所の赤城さんとこの孫なんだって。次男坊が東京から嫁さんと息子つれて帰省してるそうなの。でも――
「いったいぜんたい、なにがどうなったら赤城さんの孫が父さんにささ舟なんか見せにくるのよ」
わたし、わだかまる疑問をぶつけたわ。
「きのうオレが裏のやぶで竹を切っとるとな……」
父さんの話によると、そこへあの子が通りかかった。ナタふりおろして竹を割る光景なんて初めて見るのね。ぽかんと口をあけて立ちつくしたんですって。
父さんは男の子を手まねきして、竹の葉っぱでささ舟を作ってやったの。
小川に浮かべたささ舟は、すべるように進んでいった。
それまで黙っていた男の子は「すごい!すごい!」と飛びはねてよろこんだそうよ。
「それで父さん、あの子に作りかた教えたわけね?」ってわたしがきいたとき、「そうさ」とつぶやいた父さんの顔。なんだか少しこわばってた。わたし、おかまいなしに筋道立ててしゃべったわ。
「つまり、あの子ときたら、教えてもその場でマスターできなかった。一日かかってやっと、ささ舟は完成した。それを父さんに見せにきた」
「ああ、そうさ」って言いながら、父さんは手に乗せたささ舟をやさしくつついた。
「たかがささ舟に一日がかりだなんて……」
わたし、そう言って、父さんの手からささ舟をつまみあげた。
「こんなものをまるで宝ものみたいに」ってね。父さんは
「おまえ、気がつかなかったかい」とわたしの目を見た。そして、ささ舟を取り返し、そっと床板の上におろして、こう言ったの。
「あの子はな、右手の指が五本とも動かないんだよ」
──あ……
わたし、電光のようにわかった。
背のうしろにかくした手。
かたく結んで決してひらかなかった右手。
花やいだ表情。
祈りにも似た姿
あふれでた歓声。
夜の稲妻にピカピカ照らしだされるように、いろんな場面がわたしの心をかけぬけた。
「おにいちゃんにあげる!」
ささ舟は、あの子が左手だけで一所懸命つくった、小さな、そして大切な宝ものなのだったの。
 
「父と子が水いらずっていうの、ずいぶんひさしぶりねえ」
なんて、母さんがお盆を持ってやってきた。
わたしと父さんは顔を見合せ――
乾杯。
いい風がふいて──
そんな日は、なんだかビールがおいしいわ。



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