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自分のことが万人が好きでいてくれなくてもいいし、自分も全ての人がいい人だと思えなくて良い。

人はそれぞれ、みんな違ってみんないいって聞いたことがあるだろう。
性格でも価値観でも色々違うわけ。
似てるところがある人もいるし、環境や育ちが違うと色々違う考え方もあるわけ。
沢山の人と出会うと、性格でもなんでもそうだけど本当にみんな違って面白いと思う。
その中には自分と似ていて共感してくれる人もいるし、価値観や考え方が違うけど、すごく素敵だと思う人もいっぱいいるわけ。

それと、関わっていくと会話もしたくなく距離を置きたくなる人も少なくない。
人それぞれだから全ての人を尊重し、全ての人を感謝するというわけにならない。
苦手の人が現れたら苦手だなと認識していいってことを今気づいた。
最初出会った時はみんな同じで相手のことはどんな人なのか全くわからないから判断せず、平等でコミュニケーションを取ったりしている。
でも、関係が深くつながっていくと、やっぱり本当に苦手な人だと気付くこともあるわけ。苦手とは自分と違うしかつ何かで尊敬できないところがある。

全ての人が自分のことが好きなわけない。何も悪いことをしなくても勝手に気に食わないって思う人が案外圧倒的に多いかも。
それは普通ってことを理解している。そして嫌われるのがもう怖くないというかこんな性格だからそりゃ好きなれないかもねって相手の気持ちも理解できないこともない。

だから逆に私も全員尊敬し、全員に感謝することができないってことになる。

苦手な人がいないという言える人って本当かなと思うし、何か自分のことを無意識で抑え込んでいい人を演じ続けているじゃないかって思っちゃう。


過去の自分もそうだった。
みんな違うわけだから、みんなと仲良くいかないと!話が違ってもその人の価値観を尊敬しないと、距離なんておくべきじゃない。

他人の生き様は批判できないし、していないけど。
自分と全く違い、自分だったらそいうのが嫌で良くないかとどこかで思った。
実際に生活上で友人であり、同僚であり、家族までそう思う人がいる。
そんな時ってああ、どうせ付き合わないといけないし、その人が悪いと思う自分が悪いんだ。っていう思考だった。
同時に全員に自分のことが好かれるように無意識に努力していた。

そのような無意識で良い人を演じるのは多分楽だった。
私は良い人だし、自分も他人も言えるからいい気分になる。

それでもずっと続けられなかった。他人のために生きるみたいな限界が来る。自分の気持ちや心を尊敬しないとなと何かきっかけがあるなら
時間を掛けても孤独になっても本能の自分を無視できない。


ようやく気付いた。
実際に付き合えない人だっている、一緒に仕事したり暮らしたりすることができないって人がいるわけ。批判はしないけど、会話が進められない。
なるべく会話しないように距離を置くことで凄くいきやすくなる。

そんな中から一緒にいて幸せで、心地良く感じて尊敬すると思える人には出会えてよかったと感謝しながら大事に付き合っていく。そのような出会えが来たら出会えてとても感謝していると私が意識して伝えるようにしている。
人も作品も全て。

人から嫌われることがもう怖くない。
だって世の中に無理やりに付き合ったら自分の人生が無駄になるところがあるっていう人はいるわけ。
そしてダメな大人だっていっぱいいるし、モラルがなく反則もしてしまう人が実際に沢山いるわけ。

また、誰でも思う。自分は良い人だって。自分の立場だったらなんでも解釈ができる。
人は自分が良い人間だといくらでも理由がある。
その人の中には自分が良い人。だた、他人からどう見るのかそれは別話。

だから、自分の価値観・心を大事にしながら他人も自分も尊敬して生きていきたい。そして思いやりもとても大事だけど、全員に思いやりとは無理なわけだし、一番思いやり気持ちで理解してあげる人は自分だ。

他人(全員ではない)も自分も尊敬して愛してあげていこう。


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