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他人と比較しなくなってきた感動したこと。

もう他人と比較しなくなってきたと感じた瞬間。
大きな一歩を進んだようなときめきな瞬間のようだ。

無意識に生きると、無意識に人と比較して自信のない自分だったが
子供の私は
自信がある子だと思えないけど自分に夢中だった。
せめて幼稚園と小学生時代には。

でも、良い意味でとても良い子だという記憶がある。
学校の成績も少しできて実家のお手伝いもできるから、何か人生には悩みがないと思われそうような子だ。
ただ、その以来には何か違った気がする。家には普通に村の子たちより少し良い家に住んでいた私だが、空気を読めることができる。
今もうそうだけど、緊張感をちゃんと感じるなら空気を読めている。

なぜ子供の頃の話にするかというと


今の自分という人間がしっかり繋がっているからだ。
生まれてから今までの長いプロセスは今の自分という結果を気づいた。
特に無意識に自分らしくありのままで生きてたが
それはからだんだん変わってきて誰かの期待に応えようとする私になったのだ。

ようやく感じたのは今の私は人と比較することが圧倒的に減ったのだ。完全には言えないけど。


理由としは自分をだんだんと理解できるようになったからだ。
好きなものをはっきりになったり
興味があるものにときめいたり
私はどんな人なのか少しずつ理解できたりするようになった。

他人の理想の生活を定期的に悩んだりずっと違和感を持ちモヤモヤしながら生きてきた私だったけど。

自分の過去を振り返るということは非常に大事。というか
自己理解は必須で不可欠なのだ。

ただ、現代人にはそんな過去のことを思い出す余裕がないし、
一人で自分と向き合えるすらしようとしない。

毎日時間に追いかけられて仕事の時間、家族との時間、プライベート関係
など自分が一人時間がない。
いや、一人時間なんて作ろうとする人の方がおかしい。
そもそも私が生まれてきた国では何か一人でやると不思議な目で見てしまいそうな国民性だと感じている。

また、4年前ぐらいでコロナの時期で一人の時間が増え
どこにも行けなく、部屋で読書・映画鑑賞などだったけど
常に未来の不安がいっぱいだった。
あと、当時には5、6年間ずっとやり続けたSNSを毎日のようにチェックしたり他人の人生を見ようとする時間も圧倒的に多かった。

私は気づいた。
SNSタイムは毒が多いと。


おそらく誰でも理解しているけど、やめることができない。
空き時間ができたらすぐ携帯に触っちゃってSNSを開いて無意識に
スクロールしている。
しかも現時代ではショート動画が流行りで無限にスクロールし無限に終わりのない時間になってしまう。

そして誰でも輝きであるそのプラットフォームを見る長時間のせいかもしれない。
その他人比較というくせができてしまう原因。
そのため、
去年の年末ぐらいやめようとした。
最初は苦しかったけど、1日で一回のみパソコンで開くことができた。(詳しくは別の記事にする)
なんかすごく楽になった。

その空き時間に他人の人生より自分の人生に集中してこうやってノートを始めたりお絵かき用の時間を増やしたりすることができた。

長い話になってしまったけど、まとめとしては

  • 自分の時間を確保する→その時間に好きなこと・興味があることをやる

  • 好きなことはまだわからない場合 → 子供の頃に振り返ったり無意識でやってしまうことを考えてみる

  • そしてひたすら自分の人生に時間・お金などをかけて好きなことをやっていく

ということだと気がする。私の場合。
そうすると自分という主体の価値観・好きなこと・大事なことがはっきり
わかりと興味がない他人の人生にはその目自体でみるようになる。
何も判断しないで、何も嫉妬感情がない。

私は私、あなたはあなた。
というスタンスで生きるようになったら何か楽でこんな気持ちは早く理解できたらなと思うことも
今更だけど理解できてよかったともホッとする。

また、比較って完全悪いもんではない。
その比較からモチベーションが湧いたら逆に最高だと思うから。
適度なSNSを見ながら自分にハッピーな時間を増やそう。

結局、自分のために時間もお金もかけてもいい。
不器用という言い訳にしていいのかわからないけど
何もかも他人より遅い気がしていても
これから少しずつ他人にも適度見ながら自分の人生に良いものを注げたらと思う。





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