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「ある天文学者の恋文」という映画の話。

noteのお題企画「#映画にまつわる思い出」が出ているのを見た時、思い出した作品がありました。

「ある天文学者の恋文」というタイトルの映画です。
監督はジュゼッペ・トルナトーレさん。

私はこの方が有名な映画を多数作られている方だと、全く知りませんでした(この話を書くときにネットで調べてみたら、すごい人だった!)。


私は映画を見る時に映画監督の名前を気にしないことが多いです。
映画はまとまった時間がある時に集中して見たいので、映像作品として興味が向けば見るし、向かなければ有名なものでも見ることはありません。

そんな私がどうしてこの映画を見たのかと言われたら、タイトルに惹かれたから。学者と呼ばれる方々の半生などを描いた作品は多数あれど、タイトルに恋文とついてるのは珍しいなぁと興味が向いたからです。


この映画がテレビ放送された際に気になって、録画したまではスムーズだったものの、実際に見るまでにずいぶん寝かせていた記憶があります。

その頃はどうにもならないことがたくさんあった時期だったので、映画を見ることそのものに気が向かなかったのだろうと思います。

もうそろそろ録画したものを消していかないと次の録画が出来なくなってくるなぁ・・・くらいの気持ちで、今思えば本当に失礼だなと思うのですが、そんな軽い気持ちでこの映画を見ました

見てみると、どうしてか分からないけれど、最初のシーンからどこかが私の中で引っかかるのです。違和感とまではいかないけれど、何かが気になる。そうして映画の中に引き込まれていくのでした。


映画を見ていくうち、なぜ?どうして?という疑問の中に悲しさや思い出が漂いながらも、これまで相手とやり取りしていた愛情を自分の中で肯定しながら、前を向いて生きていく話なんだと自分なりに解釈していきました。

この映画がどういう話なのかを大まかに言ってしまえば、大学院生と年の離れた大学教授の不倫の話なのです。私はそれを知らずに(見る前に調べることをしないから)、録画していたのでした。

いつもならそういう物語は好まないけれど、この映画だけは最後まで見たいと思いました。
映画の中の登場人物たちがどんな気持ちで相手を思い、今に存在し、暮らしているかが手に取るように伝わってきたからです。

見ていて、とても苦しく切ない気持ちになったことを覚えています。


登場人物たちの心の変化や、相手に対する気持ちを表現する方法を見て、映像を通して繊細に表現できること、こんな風に心へ直に訴えてくる映像を作ることが出来る人がこの世にいるんだと、私は衝撃を受けたのでした。

見終わった後の私は号泣です。
しばらく、この映画のことを思い出して胸が苦しくなる瞬間が何度かありました。私にとって、こんなに自分の中に入り込んできた映画は初めてでした。

ちなみに、ジュゼッペ・トルナトーレさんの「ある天文学者の恋文」以外の監督作品はまだ見ていません。この先にまだ見ていない映画を見られる楽しみがあると思って、楽しみをとっておいている気持ちに近い感覚なのです。




「ある天文学者の恋文」を見た頃は、相手の思いを受け取ることは出来たけれど、自分の気持ちを自らの言葉で伝えることがものすごく苦手でした。

言いたいことはあるのに、上手く言葉に変換することが出来ず、ずっともどかしい、我慢が続いているような気持ちで過ごすことが多かったように思います。ようやく最近になって、そのもどかしさを少しずつ言葉で表現できるようになってきたんだなぁとこの話を書いていて思うのです。

きっとそれは映画や本などから様々な感情や表現方法に触れてきて、こういう方法もあるんだ!という発見がたくさんあったからだと思います。

感情が揺れ動く体験をさせてもらえることが、私にとっての映画の好きなところ。たくさんの心に刺さる瞬間を自分の人生以外でも体験できるということは、素晴らしいことだと思うのです。



シソ

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