僕の少し変な半生を振り返ってみる。その1

気付けばもう生まれてから21年が経ってしまった。ふと自分の21年間を振り返ってみて、他の家庭ではあまり経験しないような事があった気がしたので書いてみる。学がないため文章がかなり下手くそだが悪しからず。

新卒でアパレル社員をしていた母と、ミュージシャンを目指すフリーター(ヒモ)の父との間に産まれる。父は母と交際している頃、他複数の女性と交際関係を持っていたが、そのなかで母との間に(俺が)できてしまったため、そのまま籍を入れた。所謂授かり婚である。

新卒アパレルとフリーター(俺が産まれた当時無職)の夫婦なので勿論家は貧乏で、絵に描いたようなボロアパートに住んでいた。ネズミやら害虫やらがしょっちゅう出没してたらしい。

そんな生活を送っていた中僕が1歳になったとき弟が産まれる。弟は体が弱く、手のかかる子供だった。第二子が産まれ、さすがの父親もお金のために夜勤の仕事を始める。

僕が3歳になったとき、なぜか私立の幼稚園を受験する。1年後に弟も受験。勿論私立なので学費が高く、家はさらに貧乏になった。

お金がかかる行事には参加させて貰えず、週一回あった給食の時間も、給食費が払えず僕たちだけ弁当だった。月末には貯金残高が3桁(数百円)になることもあったらしい。しかし、当時は世帯収入によって家賃が決められる区営住宅に住んでいたので何とか生活保護を受けずに生活出来ていた。

おもちゃなどは買い与えて貰えず、折り紙やあや取りをしたり、家にある本を読んだりして過ごしていた。流行りのアニメもあまり見せてくれず、父が好きなトライアルバイクの映像やジブリ映画、洋画などを一緒に見ていた。
そもそも当時父はおもちゃやゲームを悪であるという思想があったため、禁止されていた。ゲームに関しては中学校まで禁止だった。

父は教育に熱心で、我流のスパルタ教育を受けていた。この頃は運動、特に体幹やジャンプ力に関して教育されていて、毎日公園で我流のトレーニングをさせられていた。それと同時に、教育が高じてトレーニング中や家庭内で暴言や暴力を受けるようになった。

卒園が近くなってきた頃に、小学校でなめられて虐められたり、喧嘩しても負けないように、我流の喧嘩トレーニングを受けるようになった。

トレーニングの内容は、ボクシングを元にパンチ等の方法を教わり、それを使って弟や父と殴り合いをしていく(グローブは一応してた)。幼稚園から帰ってきてから母が帰ってくる夜まで、何時間もトレーニングをしていた。勿論その最中に暴言、暴力も沢山あった。

いよいよ小学校に入学し、新しい環境での生活が始まった。区立小学校に入学し、学費の心配が要らなくなったのもつかの間、周りのアニメやゲームの話しに全くついていけず、僕の人見知りな性格も相まって、入学早々虐められた。

いざその場に直面すると父に受けていたトレーニングは全くいかせず、殴られたり物を取られたり、あだ名を付けられてバカにされたり、やられっぱなしだった。

そんな中、授業参観が行われる事を先生から聞いた。親が子供の学校での様子を見に来る行事だが、虐められている事が父にバレて怒られることを恐れた僕は、父に学校に来ないように懇願した。

授業参観当日、懇願したのも虚しく父は学校に来た。そして、虐められてるのがバレた。

こっぴどく叱られ、その日からトレーニングもより厳しくなった。口喧嘩の練習もさせられるようになり、学校での虐めに対してどのような仕返しをしたかを報告することを求められた。

当然実戦では上手く出来ずに、やられっぱなしだったので、「今日は虐められなかった」や「胸ぐらを掴まれたからお腹を殴った」など嘘のエピソードで切り抜けていた。

毎日何時間も暴言や暴力に耐えてトレーニングしていることが学校で全く活かせない日々が続き、何のためにやっているのがわからなかった。毎日辛かった記憶がある。

小学校に入学してから喧嘩のトレーニングに加えてお勉強も父に教わるようになって、遊ぶ時間は殆ど無かった。

お勉強もかなりスパルタだったが僕の覚えがかなり悪く、父をよく困らせていた。

この頃、父と母の夫婦関係はすでに悪くなっていて、夫婦喧嘩が絶えなかった。離婚の話も出ていたが、僕らの事を考えて離婚はしていなかったらしい。

続く。


































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