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自己紹介 その3(キャンベラ編)

おはようございます。
昨日に引き続き、自己紹介その3を書いてみようと思います。

25歳の時に日本を飛び立ち、オーストラリアキャンベラへ向かいました。なぜシドニーではなくキャンベラ?と言われるのですが、すでにそこで働くための前準備を日本で行っていました。
意気揚々とキャンベラ行ったのですが、まあ英語がわからない…。当たり前ですけど、行けばどうにかなるんだろうと甘い期待がありましたが、見事に打ちのめされました。
最初の6ヶ月は何を言っているのかわからないのでノイローゼになりそうでした。
テレビを観ても面白くない、中古のラジカセを買ってきてラジオをかける、それくらいでしたね。やることがなくて暇で暇で…。遊ぶ人もいない、気軽に話せる人もいない、というのはこんなに孤独なんだと言うことを初めて経験しました。
家の近くに図書館があり、日本語コーナーで古い単行本を常に借りて読んでいました。完全に日本語ロスでした。
今のようにインターネットも普及していなくて、ボロいノートパソコン1台とシェアルームしている3人の女子と1つの電話回線を使うために競っていました笑

働くためにキャンベラに行ったのですが、子供達に名前の発音を直されながら…。そして英語が喋れないため、私のバイト代は他の人の半額にされました。
こんな情けない思いをしながらもなんとか頑張って毎日働いていました。

そんな中、気づいたことがありました。
どんな人も私に向かって容赦ないスピードでベラベラ英語を喋ってきます。どう見たって私はオーストラリア人ではなく、異国から来た英語が喋れない人ってわかってて何で早口で喋るんだ!もっとゆっくり話してくれても良いじゃないか、意地悪!とか思っていたんですけど、あーなるほど、こう言うことかと後でわかったんです。
「対等」とか「差別がない」ってこういうことなんだ、と。

日本人って日本に外人さんが来ているとゆっくりと、しかも英語で話そうとするじゃないですか。
その感覚が私にも根付いていて、まあキャンベラで日本語で話してくれとは思いませんでしたよ、けど、ちょっとぐらいゆっくり話してくれても良いじゃないか〜察してくれよ!と思っていたわけですが誰1人そんなことをしてくれる人はいませんでした。

オーストラリアは移民の国でオーストラリア人ってほとんど居ないんだとわかりました。要するにみなさんどこかのハーフだったりアジア人だったり、ルーツが複雑。そして「あなた何人?」なんて日本人が聞くようなことはしません。

日本がかなり特殊なんだと初めてわかりました。

日本は大半が日本人で。
最近は外国人の方も多くなりましたし、ハーフの方も多くなりましたけど、日本人同士の子供が圧倒的に多いと思います。
私はその感覚に縛られていたんだと初めて気付きました。

要するにキャンベラで私が日本人であろうが何人であろうが関係なくこの人はここに住んでいるのだから英語で話せますよねってことだったんだとわかりました。

結構これはびっくりしたことでした。

もう一つとても大切なことに気づきました。
アルバイトをする中で必死に子供達に教えようとするのですが、どうもうまく伝えきれない、もっと話せたらその子も上手になれたのに…。と日々思っていました。

そうか!教えるって凄いことなんだ、日本語なら私はきちんと教えることができるし伝えられる!
そうだ!やっぱり日本に帰って教師やろう!

と思って1年で帰国し、今度は嫌々ではなく初めて自分で教師になろうと思い中学校に赴任しました〜。




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