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〈倫理の教本〉考えるあなたのための倫理入門 (メアリー ウォーノック・道徳 教育哲学者)を読んでの文 5

◎倫理の代表的 教本を読んで、思うところ 考えたことを、書いています。

△ウォーノック氏、権威ある教え(善いとされるもの)を拒絶するは、相対主義に根ざしていると。(倫理の敵と)

・デイヴィット ヒューム(18世紀 英国哲学者)談、倫理の観点は、ある安定した一般的 視点からであると。
・そして ウォーノック氏は、相対主義は、その場その時によるもので、一般性や恒久性を否定すると。

※ 私見で、ウォーノック氏は、善いとされるものは、一般性や恒久性を持つと 言いたいらしい。これはその通りと考えますし、あとは 善いものは残し、悪いもの(時代に合わないも)は改善する姿勢が、常に必要と考えられます。(当然ですが)

△道徳的相対主義の代表例(論)で、あなたにとって善いことは、私にとって善いこととは 限らない、があると。
だが この様な考えだと、自分の都合で 人々を虐殺した者(ヒトラー・ポルポト 等)にさえ、あなたは悪いことをしたと 言うことが、出来なくなると。
(これは、非常によからぬこと)


※  この書中で、ウォーノック氏の主張は、事実や証拠 そして誠意に基づいて 道徳的価値をつくり上げるべきとの 考えです。(イギリス経験論的)

△ウォーノック氏 談、信じるもの(真実や価値)が何もなければ、何も教えることなど できないと。
(正論中の正論ですし、教育や啓蒙 自体を否定してはいけない、ということです)

△ウォーノック氏、昨今のプロパガンダで 冷笑主義(他をバカにし、上から目線でいる的・詭弁でも)が広がっていると、本書中で危惧しています。

・冷笑主義では、長期的 目標は何の意味もなくなると。それで 短期的な私利私欲に走りやすいと。

※私見では、資本主義は そう成りやすいがあります、特にマネーゲームは。
その中でも、金融マーケットに レバレッジ(テコの効果)は いらないと、言う人達もいます。(私もそう思います、完全な短期的 拝金主義・ギャンブルもの)・こういうものも、なんとかしないと いけないと 考えます。

△ウォーノック氏 、何かの信念を持っている者は 強いと、心の安定・安心も得られる だろうと。
冷笑主義、多元主義(価値観バラバラ的)よりは、何か信じられる ものがあるへ、人は導きられやすい。
によって、カルト的(原理主義・陰謀論・反知性主義 等)ものへ 人々は 行きやすくなると、危惧されています。
(確かに、今さら野蛮人的 感覚の時代に戻るのは、非常に危険なこと。自殺者や精神病者が 増大するへと)

・そして、個人の権利や法(正しい)の支配がある社会の方が、それらがない社会(例として、内乱 混乱時期、多国間戦争 時・で 治安悪化  犯罪増  モラル低下 レイプ増 等)より、一般市民にとっては いい社会であると。
しかし、しっかりとした 社会制度ある国でも政府や役所の 腐敗が多いと、冷笑主義・原理主義が勢いを増すと。(よい社会に害)

※ ここで 私が思い出すのが、有名なチャーチルの言葉・民主主義は最低の制度だ 、しかしその他の制度は より最低だ。(民主主義のレベルを 上げていくしか ないと思われます)

△メアリー ウォーノック先生、善い社会づくりには、子供達に道徳教育の方が、有用であると。
(市民性教育よりはと)
・子供達には、実際の身近なことで、倫理(善 悪)を教えるべきと。そして利他心のことも 教えるべきと、主張されています。(人は、遠いことだと実感 湧かない、自分事でないと身に付かない、があります)
それから、親も一緒にがよいと。

※ 私見では、その通りと感心しますし、あとは、家庭への 何がしかの介入(公的もの)がいると考えます。
いつの時代も 人は自分の周りからと、メディアからの影響が強い ので。(周りが善くないときは 特に、エンタメTVばかり見ている場合は 特に)
・それと 現実社会には 、利己的人間も たくさんいるので、道徳教育は 善のことばかり教える のみでなく、悪の方の、ものごと も教える必要があると考えます。
悪徳での、その影響、その心理、悪の歴史的こと、そしてサイコパス・ナルシストのこと、脳科学ものも(人をいじめ たりしたら、ドーパミン出て快楽得られる等)教えること ありと考えます。
でなければ、道徳教育は ただの綺麗事、新興宗教の類いと 思われるでしょう。(下手をすれば、詐欺と思われて反発される、最悪の結果にも なりかねない)

・あと 道徳教育では 、自分が 一緒に仕事したい 結婚したいなら、正直な思いやりのある者と、嘘つきで意地悪な者と どちらがいいか?と問うて みるのもいいかもしれません。
(ウォーノック先生も、物語での 人間関係、人間性、善 悪の共通価値、人の感情や心理を知る・教えるが大事である ことを、おっしゃっています)

・前記の私見での、悪のものごとを教えるでは、カオス理論中に 〈そのことの カラクリが分かれば、そのことに余り影響を受けない〉があり、悪徳への 一定程度の歯止めがありと考えられます。(何事も やり方次第ですが)

△ウォーノック先生は、道徳教育も大事であるが、子供達の想像力を発達させる方が、優先させると 言われています。
そして 想像力発達に一番よいものは、物語(寓話・絵本・小説)を子供が読むこと、語ることであると。
(幼児には 読み聞かせ、大人にも 小説はよい)
・物語は、時を超えた真実・価値の運び手であると、その真実や価値は他者と 共有できるものであり、恒久性があると、主張されています。
(素晴らしい考えです、納得です)

△ウォーノック先生、あと 子供への教育で 大事なのが、自分自身で考えること、目標が決めれること、最後までやり遂げる力を持つことを 、育むことであると 言われています。
(さすがと、得心します)

※ 私見では、前記のことを実行するには、人間の心理・身体、人間社会のことを よく知っている、 専門的 人がいると思われます。(育成も含め) 教師のみでは 難しいと思われます。

◎訳者、高屋景一 氏、解説の部

・英国(20世紀)哲学者、バーランド ラッセルの言葉が紹介されています。
「哲学は、私たちの思考を拡大し、それを習慣(いい伝え)という暴虐から解放する考えを示すこと。それと 疑うことを知らない 人たち(野蛮人・老害者・拝金主義者・新宗教・ 既存メディア洗脳の者 等)の尊大な独断(独善)を取り除き、そして なじみ深い事柄の なじみのない面(考え方・知識)を示すことにより、人々に驚異感を湧かせ続けること であると。(正に名言です)

・リチャード ローティ(米国 哲学者)の言葉も紹介されています。
「哲学とは 批判と再批判、会話・対話を続けることで 意義を見出だす営みであると」(名言です)

・哲学論 等は、批判に堪えうるものであること、誤っていれば認めて、修正・改善をして、善いものへと創り上げていく 勇気が必ずいると、いうことだと思われます。

・私見では、前の論理実証主義(道徳的価値は、個人の選択にすぎない 等 ・代表 ケンブリッジ大学 G E ムア)にオックスフォード大学 女性哲学者たちが、 批判を恐れず発言していったは、倫理学的に 納得できなかった というのも当然あると思いますが、ケンブリッジ大学とオックスフォード大学男性哲学者たちに 対抗していったも、大いにあると思われます。
やはり、競争原理は必要と思われます。
(結局、全体主義は 必ず行き詰まると いうことです)(なんでもかんでも、 競争すればいい、ということではありませんが)

・やはり 訳者も述べている通り、今 ここ、私だけでなく、社会(公共)、人類、未来への想像力がいると。
そして 次世代へ繋げる、価値(善)・真実はあると信じる ことは必須です。

・メアリー ウォーノック先生の言葉も、紹介されています。
「人は 教わることなくして、立派な人間 または、道徳的に正しい人間には なれないと」

※ 私見で、真に 正しい言葉です。オオカミに育てられた 子は、大きくなっても 二本足で歩くこともできず、言葉も喋れず、大人のオオカミと 同じぐらいの年齢で 亡くなった、という例が 思い出されます。

・以上が、考えるあなたのための倫理入門 を読んでの、私の考えと感想です。

◎(最後に)テクノロジーが発達する これからの時代は、ますます 人間の内面、特に倫理観が 重要と考えられる時代です。(未来AIに 人間として?と言われない ように)
ですから、
この様な 倫理(人のあり方、善へ)の代表的 教本を残してくださった、故 メアリー ウォーノック先生に感謝の念を送りたいと思います、そして安眠を お祈りいたします。

※(終)






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