#3 それでもいいから
夜の8時が近づいたオフィスの一室には中山さんと私だけがいた。中山さんは奥さんと電話で話している。
もう戻れない。
この2年の間、必死に中山さんを思う気持ちを隠して、ただの部下としてそばで見つめてきた。でもその隠していた小さな扉を中山さんが開けてしまったんだ。
自分を好きなのかと尋ねた中山さんに、私はこれ以上、気持ちを隠し通すことができなかった。
今、中山さんが話している電話の相手は奥さんだ。中山さんは控えめな声で、だけど私には聞かせたことのない声で、奥さんと話していた。「その話はまた明日時間とるよ」と告げていた。
当たり前の日常の会話を中山さんと話せる奥さんがうらやましいと思いながら、ただ電話が終わるのを待った。
電話が終わってほしくない気もした。だって怖くて少し手が震えていたから。さっき私を抱きしめてくれた中山さんが今はもうとても遠い。
電話を切り、スマホを机の上に置いた中山さんが私に向き直る。私は顔を上げることができず、じっと下を向き彼の次の言葉を待った。
「分かってると思うけど、僕には妻がいる」
中山さんの口から聞く「妻」の響きは私の心を強く傷つける。
分かっている。それでも気持ちを捨てられなくて苦しい。
中山さんはたぶん私をまっすぐに見ているだろう。私は震える自分の手だけを見つめながら中山さんが好きでたまらない気持ちがあふれてくる。また涙が頬を伝う。
私の思いはきっと届かないだろう。当たり前だ。奥さんのいる人を好きになったんだから、届かなくて当たり前なんだ。また明日から上司と部下に戻るだけだ。少しぎこちなくても今まで通り、気持ちを抑えて過ごさなくちゃならない。
でも中山さんはこう続けたんだ。
「それでもいいの?」
心臓が止まるかと思った。
720文字
中山さんシリーズをまた書いてしまいました。「私」の「中山さん」への愛があふれます。続きはこちらです。
第1作目はこちらです。ここからずっと2話、3話へと続くようなリンクを貼りました。それぞれ超短編としても楽しんでいただける気もしますが、よかったら「中山さん」と「さやか」の恋を追ってみてください。
『中山さん』シリーズは私のマガジン『まさか書いてしまった小説たち+たまに自己分析』に同じトップ画像で投稿されています。
お気持ち嬉しいです。ありがとうございます✨