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#8 つないだ手

奥さんのいる中山さんに恋をして、奥さんがいてもいいからと彼の胸に飛び込んでしまったあの日から、私は現実味のない夢のような気持ちで毎日を過ごしている。やっと彼に想いを伝えられたうれしさと、彼がそれを受け入れてくれたことがまだ信じられない。

でも確かに私のラインには今まではなかった「中山さん」の名前が入っている。「中山さん」「中山さん」、その文字は他のどの文字よりも魅力的だ。なんの特徴もない文字なのに、私にとっては愛しくて愛しくて何時間でも眺めていられる。そんな名前。

中山さんとのあの日を思い出す。目を閉じて、あの日のすべての瞬間を思い浮かべる。どうして中山さんは私に手を差し伸べてくれたんだろう。どうして妻がいても「それでもいいの?」と私に言ったんだろう。中山さんは私が彼を2年間ずっと思っていたどこかの時間で私に好意を持っていてくれたんだろうか。

あの日、あのオフィスで彼の腕に触れた震える私の右手を中山さんはそっと外してくれて、優しく抱き寄せてくれた。静かに、でも部屋に響く声で「ありがとう」って言ってくれた。大好きな中山さんの胸に抱かれ、あふれんばかりの幸せに心が包まれた。

私たちはラインで連絡先を交換して話をした。誰もいないオフィスで椅子を並べて、たわいもない話を中山さんがしたんだ。課長の話とか、明日の打ち合わせの話とか、昔した仕事の失敗とか、穏やかな声でゆっくりと話してくれた。

こんなにたくさん中山さんが私に話してくれるのは初めてのことで、すごくうれしかった。でもそれだけじゃない。その時間を特別にしてくれたのは、中山さんが私の手を離さずにいてくれたことだ。彼が私に触れている、それだけでドキドキが止まらなくて彼の話を聞いているのか彼の手を見ているのかもう分からなかった。

細くてきれいな中山さんの手は、思ったよりも温かかった。優しさが手を通じて伝わってきて私はドキドキと一緒に言葉にならない満たされた気持ちを感じていた。こんな時間が持てるなんて、夢にも思っていなかった。

好きな人とつながる手。好きな人の一部なら、たとえ指一本でも私を幸せで穏やかな気持ちにしてくれる。うれしい。ドキドキする。本当に幸せ。

1時間ほどいろんな話をして私たちが部屋を出るときに、中山さんがそっと私の手を離した。そうだね、私たちがつなぐ手は誰にも見られちゃいけないんだね。

切ない。

私も黙って手を離し中山さんを見上げると目があった。優しく穏やかな瞳で私を見つめていた。でも少しだけ寂しげにも見えたんだ。

ねぇ、中山さん。私のことが好きだから受け入れてくれたんですか?

聞きたくなったけど、怖くて聞けなかった。


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#短編小説 #連載小説 #中山さん #手 #オフィス #恋

続きはこちらです。

第1作目はこちらです。ここからずっと2話、3話へと続くようなリンクを貼りました。それぞれ超短編としても楽しんでいただける気もしますが、よかったら「中山さん」と「さやか」の恋を追ってみてください。

『中山さん』はシリーズ化していて『まさか書いてしまった小説たち+たまに自己分析』マガジンに掲載しています。


お気持ち嬉しいです。ありがとうございます✨