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#4 1年にたった一度だけ

もう1時間以上もチョコレート売り場をウロウロしている。どんなチョコを買えばいいのか決めかねて、買うのをやめてしまおうかとまで思い始める。

買ったところでこのチョコを渡せるかどうかさえ分からないというのに賑わう売り場の人々に酔いそうになりながら、どれを選べばいいのか吐きそうだ。

私が今、選んでいるのは上司の中山さんに渡すチョコだ。

中山さんにとっては私はただの部下だけど、私はもうずっと2年近く中山さんを想ってきた。そんな特別な人に渡すチョコへの迷いは大きい。

チョコを渡すことで中山さんに私の恋心を気づかれてしまわないかと不安に思うくらいだから、義理チョコには見えない高級そうなチョコは渡せない。本当はどれだけでも高価なチョコを選びたいくらいだ。彼に想いを込めてプレゼントを渡せるのは1年にたった一度だけだから。

そんなことを思いながら会場を歩き回り、くたくたになりながらも1つのチョコをやっと選んだ。

片手に乗るくらいのサイズでお値段もかわいい。お返しとかを気遣わせない小さなものだ。キラキラした綺麗なデコレーションがチョコの1つ1つに施されている。シンプルなものを選ぼうと思ったけど、私の恋心をこのキラキラに乗せて密かに届けたい。

レジで会計を済ませ、小さな紙袋に入ったチョコを覗く。幸せな気持ちと不安な気持ちが混じり合いながら、恋心であふれる女の子だらけのお店を後にした。

14日の朝はいつもと違う。ドキドキが止まらない。チョコを渡すってどうしてこんなに特別なんだろう。きっとたくさんの女の子たちが心が張り裂けそうな思いに包まれているんだろうな。バッグに入れたチョコを見るたびにどのタイミングでどうやって渡すのかを必死で考えた。

バレンタインデイ当日に、わざとらしい残業ができるだろうか。私は自分の気持ちを抑えた表情でスムーズにチョコを渡せるだろうか。考えただけで落ち着かなくなる。

それにもし渡せたとしても、このチョコを中山さんが家に持ち帰って奥さんに渡してしまわないかということも気になっている。「これ、会社の子からもらったから食べていいよ」そんなふうに、私の想いの詰まったチョコが奥さんの元に届いてしまわないかが気がかりなんだ。

だからと言って「中山さんが食べてくださいね」と念押しできるわけでもないから、とにかく黙って渡すしかない。つらいけど、もしそうなるとしても諦めるしかない。

夕方5時に仕事が終わる。中山さんは週に2日ほど8時頃まで残業をするんだけどどの曜日かは決まっていない。今日もし残業をせずに他の人たちより先に帰ってしまうなら渡せなくなる。5時前の中山さんの仕事の進捗から目が離せない。

5時のチャイムが鳴り、何人かの人が挨拶をして帰っていった。まだ中山さんに帰る気配はない。熱心に図面を見比べながら鉛筆を走らせている。今、残っているのは白木課長と中山さんと事務の片岡さん。中山さんが他の人より先に席を立たないことを祈りながら時を過ごす。

6時過ぎには片岡さんが帰った。でも課長はまだ何か書類をまとめている。課長、中山さんより先に帰ってくださいと私は心の中で何度もお願いしていた。そうして7時を迎えた頃、課長が中山さんと私に声をかけたんだ。

「もう片付くようなら、この後ちょっと飲みに行かないか?」

バレンタインの日にまさか課長から私が中山さんと一緒に誘われることは想定外だった。でももしかしたらこれはありがたいことなのかもしれない。一緒に出かければ、どこかの瞬間で2人になることがあるかも。会社で突然渡すよりも、自然とチョコを渡せるタイミングがくるんじゃないかと私は期待した。

それなのに中山さんはこう答えた。

「今日は用事があるので、僕は失礼します。すみません」

あぁ、奥さんとだろうか。バレンタインだもの、きっと奥さんなんだろうな。つらいな。チョコを渡す勇気が一気にしぼむ。たとえバレンタインでも告白する勇気はひとかけらもないけれど、ずっと隠し続けている恋心を義理チョコを装って彼に届けるくらいなら神様も許してくれるはずなのに。

課長は「じゃあまたの機会に」と私に告げ、「そろそろあがろうか」と付け足した。

中山さんも帰り支度を始める。

きっと今年のバレンタインも渡せない。去年買ったチョコも渡せず持ち帰って泣きながら食べたんだ。もうすでに泣きたい気分になりながら、私も書類を片付け始めた。私は課長に促され、席を立ちコートを羽織った。中山さんも黒のコートを手に持って立ち上がった。

このまま一緒に会社を出るなんてつらいなと思った私は彼らに挨拶をして化粧室へと向かう。中山さんの「お疲れ様」という声が小さく聞こえた。

化粧室の鏡の中の私はとてもかわいそうに見えた。どうせ届かない恋心を抱えた私が痛々しい。身動きができなくて苦しい。見たこともない奥さんの姿を想像して嫉妬する。

化粧室で気持ちを整えてドアを開け、エレベータに向かうと、自販機のそばでスマホを覗いている中山さんが目に入った。1人でいる。

心臓が高鳴る。

今しかないと思う気持ちと緊張で震える心がごちゃまぜになりながら、動けず彼を見つめた。

中山さんが顔を上げこちらを向いた。目があった。

私は「あ」と思わず声が漏れた。何か話して中山さんを引き止めないとと焦る気持ちが声になったんだ。中山さんが少し不思議な顔をして、私の方に歩いてくる。私は無我夢中でバッグに手を入れあたふたとチョコの入った紙袋を取り出した。

渡すしかない。もう引っ込められないチョコと私の手。

「あの、いつもありがとうございます」

ただそれしか思いつかず、グッと紙袋を中山さんの胸めがけて押し出した。こんな渡し方は想像していたようなスマートなものでもなければ可愛い私でもない。どちらかというと泣きそうな無理した笑顔を作る情けない私だ。

中山さんはちょっと驚きながら「こちらこそ、いつもありがとう」とチョコを受け取ってくれた。

優しい笑顔が私に向けられた。泣きそうに幸せだ。せつないくらいに私は中山さんを愛している。

どこにも向かえないと分かっているけど消せない想いを心に抱きながら、いつもあなただけを見つめている。私はそれ以上何も言えず、黙ってお辞儀をしてその場を離れた。

家に帰ったらきっとまた泣くのは去年と同じだ。チョコは渡せたけど、もうどうしようもない恋心は日々、心を消耗させている。


2589文字

#短編小説 #連載小説 #中山さん #チョコ #バレンタイン #恋心

続きはこちらです。

第1作目はこちらです。ここからずっと2話、3話へと続くようなリンクを貼りました。それぞれ超短編としても楽しんでいただける気もしますが、よかったら「中山さん」と「さやか」の恋を追ってみてください。

『中山さん』シリーズは『まさか書いてしまった小説たち+たまに自己分析』マガジンに掲載しています。トップ画像をすべて同じものにしているので探してもらいやすいと思います。





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