頭いい人のnoteについて
ネットでたまにブログみたいなのを読んでいるという話(noteのこと)を子供にしたりする。そんな話を先日もしていた。
私「頭いい人の文章ってあるでしょ?」
子「うん」
私「文章が頭いいなぁって思うやつね」
子「うん」
私「そういう文章ってさ、寄せられるコメントとかもなんかちょっと難しいわけね」
子「うんうん」
私「でも頭いい人ってコメントの返事も頭いいなぁって思う返事をしてるのよ」
子「うん」
私「私なんてそういうコメントを読んでも意味がよく理解できないときがあって、でも頭いい人だからちゃんと頭いい返事ができるんだなぁと思うんよ」
この辺で子供が笑いだした。
子「ママ、『頭いい』以外のこと、ほとんど何も話してないやん! 笑」
私も笑った。ほんとそうやね。中身のない会話だなぁ。「頭いい」ばっかり言ってる。なんか頭良くないね。
私は難しい文章を書けないけど、もし頭良さげな難しいことを背伸びして書いたとしてもコメント欄でボロが出るんじゃないかとか思ったりする。難しいnoteじゃない普段のnoteでも、自分がもらったコメントに返信するときに、なんかズレてないかな、大丈夫かな、と思うときもたまにある。くださったコメントの意図をちゃんと理解できているのかときどき自信がない。
これは自分から投げかけるコメントも同じくで、書いてしまったあとにすごく動揺してしまう場合もある。読後に「いい文章だったなぁ」と感じたらその気持ちを伝えたくてつい書いてしまうんだけど、的を外したんじゃないかとか中身がなさすぎたんじゃないかとか不安になる。かといって書いた以上、削除するのも削除理由を伝えられないと余計に迷惑になるから消すこともできず。そんなふうになるとしばらくコメントを書くことに慎重になる。
こうなってくると、頭いいとか悪いとかの問題ではなくて、自分の心の問題な気がするね。あれ、ちょっと話がタイトルからズレちゃったかな。
今日もみんな元気でね。
お気持ち嬉しいです。ありがとうございます✨