「一夫多妻制でもいいのに」
ある日うちの妻が突然こう言った。
「一夫多妻制でもいいのにね」と。
突然だったので何のことかよくわからなかった。
すると妻は
「源氏物語みたいに狂おしい気持ちで夫を待つってすごいよね」とつなげた。
何かワイドショーあたりでそんな話題があったんだろうか。
●結婚15年
うちの夫婦は結婚して15年くらい経つのだが、自分で言うのもなんだが比較的平和にやっていると思う。
小さな喧嘩はもちろんあるが、私も折れるところは折れているし、妻も大きな衝突を避けるようにうまく立ち回ってくれる。
お互いをそこそこ尊重できている。
15年も経つとそれくらいの安定した関係が築かれていて、互いに良いあたりでバランスを保てていると思う。
●妻が笑った
妻はそんなに笑うタイプではないが、たまに私が言うちょっとしたダジャレに「ふふ」と笑ってくれる。
今日もふと思いついたダジャレを言った。わざわざお伝えするほどのハイレベルなダジャレではないので書くのは差し控える。
妻は私のなんてことないダジャレに今日も「ふふ」と笑ってくれた。
●1ヶ月後
それから1ヶ月ほど経った。
私が妻の「一夫多妻制でもいいのにね」のセリフをすっかり忘れていたころだ。
妻がいなくなった。
突然のことに頭が真っ白になった。
「探さないでください」という、人がいなくなるときの定番の言葉をメモった紙だけが台所の机の上に置かれていた。
親兄弟や友人に電話をしたが妻は見つからなかった。
誘拐とかそういう話ではなさそうだ。
いつもそこに当たり前のようにいた妻を失い、どうしていいかわからないし、実際、薬はどこだっけ? あのネクタイピンは? みたいな話で混乱する日々になった。
●妻を見たと連絡が入る
そうしてどれだけ経っただろうか。
道を歩くとき、駅のホームで、いつも妻を探しつづけた。
そんなところにいるとは思えない小さな居酒屋でも店に入った瞬間にまず妻の姿を探した。
そして、ある夜、妻の友人から電話が入った。
妻を見たという。
隣町のアパートの一室に入っていったのはおそらく妻だろうと。
私はすぐにそこに向かった。
●アパートに妻はいた
アパートは簡素な2階建の建物だった。
きしむ階段を上がり、おそるおそる201号室のベルを押す。
手がじっとり汗ばんできた。
するとしばらくして鍵を回す音がして、ドアが開いた。
顔を出したのは30代そこそこの男性だった。
部屋を間違えたのかと慌てた私が謝ってドアを閉めようとしたとき、部屋の奥から女性が現れた。
妻だった。
妻は固まって私を凝視した。
●妻だけど妻じゃない
これが私の妻か?
彼女を見たときの違和感は大きかった。
私の知っている妻じゃなかった。
この人は妻ではなく女性だ。
これが答えだろう。
私は妻を女性として見ていなかったんだと瞬間的に感じ、そのあとザーっと妻を妻としてしか扱っていなかったたくさんのシーンが頭の中を流れた。
妻を妻として大事にするだけでいいと私は思っていた。
だがそれは間違いだった。
妻は女でいたかったんだ。
15年間、いつから気づかなくなっていたんだろうか。
どこで彼女は私の前で女性でいることを諦めたんだろうか。
●そうか、そういうことか。
この女性を前に、一言も言葉がでなかった。
彼女もまた何も言わなかった。
沈黙に耐えかねた男性が「何か?」と尋ねたので私は「いえ」とだけ答えてドアを閉めた。
アパートを後にして大きな動揺が押し寄せてきた。
妻を取られたという気持ちと裏切られたという気持ちがごちゃまぜになる。
そして自分のいたらなさで気がおかしくなりそうだ。
混乱したまま歩いていると、後ろから走ってくる足音が聞こえた。
心臓が高鳴る。
妻であってほしい、やっぱり私と戻りたいと謝ってほしい。
一瞬の間に自分に都合のいい想像があふれた。
振り向くと妻だった。
妻は言った。
「ごめんね。あの人、家庭がある人なんだけど、彼のそばにいたいから」
あぁそうか、一夫多妻制か。
妻は女性に戻り、紫の上や空蝉になってしまったんだろうとぼんやり思った。
1620文字
※これは短編小説です。
ほぼ処女作レベルで短編を書いてみました。最後まで読んでくださった方がいらっしゃれば幸いです。というか恥ずかしいです。
その後、小説を書き続けています。よかったら覗いてください。少しはレベルアップしているでしょうか。恥ずかしさはかなり軽減しました。
お気持ち嬉しいです。ありがとうございます✨