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愛の言葉たち。

昨日の投稿で「うれしい出来事」を書きました。それを書きながら、ふと自分の人生のこれまでを振り返っていました。

その投稿でも少し触れたんですが、あ、こんなふうにね。

男性からそんなストレートに容姿のどこかを褒められることってないですよ。覚えてる限りではもうどれくらいないのか分からない。

この「もうどれくらいないのか分からない」という言葉を書いて、しばらくしてから読み直し、それなりに衝撃的なことだなって気づきました。

結婚してすぐに子供を授かったので、あっという間に母親になりました。結婚するまでの1年くらい前までは彼氏がいました。高校時代からだいたいずっと彼氏がいて、思い返すとどれほどたくさんの愛の言葉を私は浴び続けてきたんだろうと。

好き、愛してる、可愛い、綺麗、どこどこが好き、どこどこが綺麗、こんなとこが愛しい、可愛すぎて離したくない。そんなありとあらゆる愛の言葉を当たり前のようにかけてもらっていました。

付き合ってる恋人たちってそんなもんですよね? 私が特別ではなく、みんなそんなもんだと私は思っています。

私は母親になって20年近いです。ずっとずっと子育てをしてきました。お腹に命を授かったときには「怖い」って思いました。もう逃げられないと思ったんです。赤ちゃんはとてもほしかったのに、いざ身ごもってみると怖いものでした。

そして母親になりました。

子育てはいまはもう子供たちはだいぶ大きいのでそれほど手がかかるということはありません。こうしてnoteを書く暇もたくさんある。

でもこの20年近くは余裕がなかったです。

ワンオペ育児という言葉が広まっていますが、まぁそうでした。夫は今よりは忙しさはマシでしたがそれでも忙しい人でした。子育ても手伝おうとはしてくれましたが向き不向きというものがあって、うまくいかないことも多く、うまくいかないと、かえって私の負担が大きくなるような状況でした。

子供のママっこぶりは二人とも激しかったです。着替えも絵本もお風呂も何もかもママがいいと。そのことに不機嫌になる夫に気を使ったり揉めたりと、本当に大変だった記憶がたくさんあります。

うちはもう長い間、家族で出かけることは旅行以外にはほとんどありません。家族なのに、どうしてだろうって思うけど、いろんな事情が絡まってそういうふうになってしまいました。

私は自分という人間のことを考える余裕があまりなかったです。寂しいという感情は大体いつもつきまとっていたけど、だからどうするとかを考えられる状況ではなかったんです。

仕事を再開して数年経つんですが、この数年前から少しずつ自分も一人の女性だということを意識しはじめました。

また社会に出て、女性として扱われることにそれなりの刺激を受けています。ドアを男性が先に開けてくれる、お店でまず私の注文を聞いてくれる、例えばそんな小さなこともとても新鮮で、特に私に好感を持ってくれてるとかそういうのではなくても見た目が女性の私は女性として接してもらえるんです。こういうのが家庭におさまっていた長い時間にはなかった。

noteを始めて、いろんな世代のたくさんの人とも繋がりました。いま恋をしている人、失恋した人、つらそうな恋をしてる人、家庭を大切にしている人、仕事を頑張っている人、闘病中の人、優しい言葉や苦しい言葉、いろいろな感情に満ちているnoteを通じて、私も多くのことを日々、感じ取っています。

たまに若いときの恋の話を書いているように、あのころの淡い気持ちも思い出して文章に書き留めています。思い出す作業はとても楽しいです。

こういう日々の中、自分を振り返りはじめているのです。

何かとの出会い、誰かとの出会いは、偶然なのか必然なのかは分かりません。でもタイミングが違えばそこにその何かや誰かとの出会いはなかった。私とnoteで繋がってくれた人たちもそうです。

私は友達から教えられてnoteの存在を知ってから、noteを始めるまで1年か2年くらいありました。

特にnoteにデビューする気もなく、noteというサイトだけを知っているまま、その期間を過ごしてきました。でもふとある日、突然にnoteに文章を書いたんです。この瞬間がもし1年早かったら、1年遅かったら、今これを読んでくれているみなさんとの出会いはなかったかもしれない。

お互いそれは言えるのです。

あなたの始めたタイミングと私の始めたタイミングがうまく合ったから、私たちはここで出会ったんです。

つい数日前、私のページにはじめて来てくれてスキとコメントをくださった方がいらっしゃいます。私の小説を気に入ってくれて「明後日にnoteを退会する身」だとおっしゃりながら「これはもう我慢できずにコメントさせて頂きました! もっと早く知りたかったです。」と言ってくださいました。この小説はそのほんの数日前にトップに固定したところでした。

この方は私がnoteを始めてから直接交流してきた人の中で、私が気づく範囲でははじめて本当に辞めてしまわれる方になりました。ページにお邪魔したら歌を歌ってらっしゃる方で、そのお声と曲がとても素敵で驚きました。そこでのコメントのやり取りも読ませてもらうとみなさんと真摯に会話をされているお姿が見られ、もっと早くに出会っていればこの方ともいろんなお話ができたのになって残念に思いました。

それでもこのほんの一瞬、短い2日間という時間に数回の交流を持たせていただき、お辞めになるギリギリに出会うというのも不思議なものだなと感じた出会いでした。そして、いつか世にでるような素晴らしい曲を発信される日を楽しみにしていますね。

noteには才能のあるたくさんの方がいらっしゃいます。すでに世に知られた方も含め、noteの会員登録者数は100万人を超えているようです。そんな中で私たちは繋がって輪になっています。

私はこうしてお付き合いのあるみなさんの文章からたくさんの感情をもらっていることが、自分の人生を考えるきっかけになっています。なんとなくそうなったというよりは、何かの運命の流れでなるべくしてなった今の自分なのでしょう。

ここで出会う多くの人の可能性を見つめながら、私自身の可能性についても考えています。何か違う世界へ踏み出したいと思ったのも、ここでの人々との出会いがきっかけなんだろうと思います。

迷いながら苦しみながらだけど、どうにか動きたいと思っています。動けない可能性のほうが高いけど、今の迷いは今だけのものだから、考えて考えて、自分の求める道を探したいなって。

誰かに愛されたい、誰かを愛したい気持ちって消えてなかったんですね。長い間、求めてきたけどうまくいかなかった。うまくいかなくても、これまでやってきました。今の人生以外の選択肢を考えたことはなかったです。だけどそんな人生への疑問がどんどん芽生えはじめています。

自分の歩みたい道はどっちなのか。

もう24歳だと、老化を不安がる文章を昨日、読みました。「もう」24歳か。うん。みんなそれぞれの年齢でその年齢だからこそ感じる悩みがあるんですね。私は24歳どころではないです。老化なんて現在進行形で切実です。でも私より上の世代の人から見るとまだ若い。

たまにここでも話題にする友人のお姉さまは私より10ほど年上です。「椿はまだ若いよ。いくらでもやり直せるよ」って言ってくれます。どの時点でも先は開けているんです。何も恋愛の話だけではなくて、新しい自分探しみたいな話です。

自分の世界をもっと広げていきたいです。

目に見えるような大きな広がりではなくても、じんわりと少しずつ。

結果的に踏み出した一歩がまた逆戻りになったり、立ち止まることになったりしても構わないです。立ち止まって何も変わらない日常に戻るとしてもそれは考えた上で選んだ1つの新しい道だということです。今はただもう少しもがきたい気持ちが強くて、その気持ちから逃げたくないなって思います。

それでね、できることならまた愛の言葉を誰かからたくさん言ってもらいたい。大好きな人からいっぱい優しくされたいなって、そんなドキドキをいつかまた実現できる日を想像しています。

というわけで、これからまだまだ私の人生は花開くかもです。

長い文章にお付き合いいただきありがとうございました。

本日はポジティブモードのようです。


3397文字

#エッセイ #道 #人生 #やり直し #一歩 #結果 #日常 #子育て #愛 #恋人

彼氏から言われて一番印象に残ってる言葉は「イーッてなる」です。「イーッてなる」の意味わかりますか? なんていうか、もう体の中がムズムズするような、感情が体の中でうごめくような、「あぁもぉ! 可愛いよ! 可愛すぎるよ!! たまんない!!!」みたいな表現です。すっごく私のことを大好きだと思ってくれてるんだと感じた表現だったので、今も忘れられません。

昨日投稿した「うれしい出来事」はこんな出来事でした。一緒に喜んでくれた方、参考になるアドバイスをくださった方、スキをくださった方、温かい目を向けていただいて本当にありがとうございます。書いてよかったなぁ。




お気持ち嬉しいです。ありがとうございます✨