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戦略的モラトリアム②

今思えば、なぜ朝に学校に行く気になったのか、今朝の僕自身を恨んだ。その後悔とは対照的なかごの中のご馳走を片っ端から片付けて、家につく頃にはもう僕の燃料は満タンになっていた。
家に着くと祖父母が怪訝そうな表情で僕を見る。
「学校はどうした。」
間髪いれずに答えなければ、祖父母に攻撃の余地を与えるので僕はとっさに答えた。
「早退。」
そう言うと、すぐに自分の部屋へエスケープする。その後どんな小言を言われたのかは分からないが、僕の安住の地へとようやくたどり着いたのである。そんなわけで後はギターでも弾きながら、ゆったりと時を過ごし、考え事などをしながら、自分の現在と将来を対比させ、そして途方にくれるのである。
絶望といったものがどんなに残酷で無残なものであるかは知らないが、僕は毎日のように静かな失望を味わっていた。これからどうなるんだろう。そう考えると、決まって一秒後には現実逃避したくなる。悩みようがないからだ。それは葛藤状態にない問題だ。唯一この問題を解決してくれるのは誰も知らない遠い新天地で今までの人生をリセットすること。もちろん高校も転校する。だけど、すぐに一人暮らしなんて、家族の同意を得られるはずもなく、なんと言っても非現実的である。高校をどうするかがなんといっても大きな現実的問題であることに変わりはない。そして今、僕はそこには行きたくはない気持ちにある。いつまでかは分からないが、きっと、ずっとそういう気持ち変化はないと思う。結局、解決策はなく、僕は静かに自分に失望するのである。もしかするとこれはドン深い絶望だったのかもしれないな。
突然、電話がなったのを耳で確認。祖父母は畑仕事にでも行ったか、電話はなりっぱなしである。仕方がなく、ドアを開け、僕が電話にでると
「○○学校の……」
とっさに無言で電話を切る。無断で帰ったから当然の連絡であるが、自主早退した張本人が電話にでても、意味がない。仮に電話に応対したところで話の展開は先が見えている。うっとうしいほどの質問攻めと僕の将来を心配しているんだという公務員の公共の福祉精神が垣間見える厚かましい、上辺だけの親切心の表明だろう。その教師に対する気持ちがいかにひねくれたものであるかはよく分かっている。しかし、イジメにしたって相談したところで何の解決にもならない。かえって大問題にされ、クラスではやんわりとその問題が話題に出され、それとなく生徒たちも自分がいじめられていると感じていることを察する。そうすれば次からは妙によそよそしくなり、人によってはより露骨にイジメをするようになる。結果的に学校での僕の立場は悪化するだけだ。そう、僕の問題はもっと根本的なところに幾重にも重なり、あったのである。しかし、そのことは誰も理解してくれない。いや、もはや問題解決人のような、よき理解者を期待していなかったのである。だから、学校からの電話がかかってくれば、僕はとっさにその電話を切った。そして、しばらく受話器を上げておき、通話不能の状態にしてから、一〇分後に受話器を戻す。短時間に何度も電話させない苦肉の策だった。

夜になると学校からの電話を家族の誰かが取ったらしく、僕が居間に呼び出される。しかし、当然のことながら拒否。理由は電話を切るのと同じである。仕方なくドア越しに母が問い詰める。
「どうして学校早退したの。」
ちょっとの空白の後、
「具合が悪かったから。」
自分でも嫌になるくらい、とってつけたような言い訳である。でもこの場を切り抜けるには仕方がない。
「誰にも言わないで帰っちゃだめじゃない。それに……!」
ああ、自己防衛の抗体がとうとう作動した。もう母の言葉はどこぞの外国語のように僕には車の騒音と変わらない、何の意味も持たないものになっていた。母が一通りのことを言い、僕の部屋の前からいなくなった。ひと時の静寂、とっさにラジオでもかけ僕の時間が部屋いっぱいに広がった。そうして、僕はちょっとの間、自分について考えた後、一日の反省をして眠りについた。そう、明日はきっとないという子供じみた期待をしながら。

田舎って本当に嫌なところである。いや、ごく一部の人間には健康的で子供を育てるにはこの上ない環境とか感じていることは知っている。しかし、僕にはそんなことはどうでもいい。とにかく人間関係を選べないどうしようもないフラストレーションと世間様という抵抗しようのない曖昧な絶対主義がそこにはあった。
僕のような人間はきっとこの街で窒息するほどの息苦しさを感じるに違いない。モラトリアム人間にはまったく窮屈な街である。僕のような人間が日本中にいることはニュースで知っていた。しかし僕の身近にはいなかった。ただそれだけなのに周りは僕を珍獣として扱う。まったくテレビの中と、こことはつながっているのをちゃんと理解していない頓珍漢な連中で困ったものである。そして学校に行かないという、それだけの理由で僕を見世物にしようとする輩がいて、これまた性質が悪い。そういうやつらは近所にも学校にもいた。僕からすればそんな奴等はただの空気に混じった埃に過ぎなかった。ただ、たまに鼻に入って、アレルギーのくしゃみを引き起こしたり、ちょっとした悪事したりして、気にせずにいられなかった。そのため、僕は外出すると、決まっていつも何らかのイライラをして、周りに注意を払ったり、普通に振舞おうとしたりすることも珍しくはなかったのである。まったく迷惑な話である。

ふと、家族が読み終わった新聞に目をやった。ちょっと社会と隔離しかけている僕にはこの世界で何がおきているかを知るにはいいチャンスだ。おもむろにそれを手に取ると、社会面を開いて、熟読し始めた。するとそこには最近の若者はどうだこうだと年寄り新聞記者のくだが殴り書きしてあるのを見つけた。
モラトリアム……『猶予期間。準備期間。』そのような意味から転じて心理学用語でモラトリアムという言葉ができたらしい。主に青年期に起こるそうだ。僕もその中に分類されるようである。しかし、僕から言わせてもらえばモラトリアム人間なんて平たく言えば、『生きるのが困難な人間。』と定義される。僕は何に対しても準備していないし、そんな予定もない。僕は今を生きていて、これからのことなんて考えていないし、展望もない。かといって、何かを探しているわけでもない。もし僕が明日死んでも、まあ、しょうがないか、で片付けてしまうような薄っぺらな人間である。よく言えば、今を生きているということになるかな?しかし、悪く言えば、先を考えない。要は無計画、無自覚、無責任という悪党まっしぐら路線を快走しているってわけ。君たちがどっちを連想するかってのは様々だけどさ。
あぁ、またこんな考え事に時間を使ってしまった。ふと気づくと時計は四時を指している。僕はいくらかの不安を覚えながらも、何食わぬ顔でぬるい風呂に入り、願望としての永久の眠りにつくのである。ああ、明日は学校に行くのかな。自分に矛盾した疑問をぶつけ、何のことない、平凡な日常が今日も暮れていった。
こんな生活をしばらく続けていったある日のことだ。とうとう決定的な事件が起きた。どうやらこのままいけば卒業できないらしい。さすがの僕も無理やり現実に引き戻された。イジメを理由に何とか自分の立場を教師に話すと、相談室登校を義務づけられた。
相談室に毎日決まった時間に行き、そして、いくらかの時間を過ごせば、出席にするとかしないとか。難しいことはよく分からないが、とにかくそれが留年せずに卒業する唯一の方法らしい。まあ、人に会わずに済むのならと僕もその方法に乗ることにした。
しかし、ちょっとした不安もあった。それは興味本位で相談室を覗きに来る奴等がいないかどうか。まあ、鍵がついていればいいのだが……。一抹の不安を抱えながらも、僕の卒業したいという無意識の強迫観念が体のありとあらゆる部分を突き動かしたのである。

翌日、ちょいと遅めに起き、学校へ行く準備をする。自転車にまたがり、ウォークマンを聞きながら、学校へ向かった。普通なら遅刻だが、他の奴等とできるだけ会いたくないため、わざと遅れて行ったのだ。思惑通り、朝のホームルームの時間が過ぎ、一時間目の授業中である。僕はまず職員室に行き、学校に来たということを伝え、相談室に入った。ふと扉を見ると鍵がついている。しめた!僕はとっさに鍵を掛け、閉まることを確認し、ほっと胸をなで下ろした。ソファに体を預け、ぼんやりと窓からの景色を眺める。ああ、学校がこんなにも安らぐところと感じたことは今まで一度もなかった。

やがて休憩時間になり、なにやら廊下が騒がしい。しばらくして相談室のドアを無理やり開けようとする馬鹿が発生。恐怖におののき、すりガラスを見ると、明らかに学ランを着ている。どこで見かけたか、聞いたのかは知らないが、どうやら興味本位の馬鹿であることに間違いはなさそうだ。しばらくほっておくとあきらめて帰っていった。絶好の話のネタを見られなくて残念だったね、バーカ。

昼休みになるとまたドアを無理やり開ける音。しかし、さっきのとはどうも様子が違う。すりガラスを見ると、スーツを着た男のようである。鍵をそっと開けると作り笑顔の教頭だった。何の用かと思うと、とっさにソファに座れと言う。僕はドアに再び鍵を掛け、ソファに腰を下ろした。そこで、ハッとした。やられた。案の定、教頭の人生談義が始まった。そう、カウンセリングというお説教タイムだ。これでもかってくらいに遠まわしに学校に来るように諭す。その言い方には俺はこの方法で何人もの不登校生徒を救ってきたんだという自信が垣間見えた。無駄、無駄。お前には僕の根本的な問題を掻っ攫うような芸当はできないよ。もう僕はその大人の話に一定の間隔を置きながら頷くという機械的な作業をするしかなかった。
やっと終わったかと思うと、担任、生活指導教諭が続けざまに入ってきて、同じような話をする……。完全にはめられた。僕はこの拷問にいつまで耐えなければならないのだろう。一分が無間地獄のように僕を襲う。もはや、僕に選択の余地はない。今までの僕の不安を吐露するしかない。しかし、その決意は間違っていたことに十分後に気づく。
「将来は自分で決めるものだ。どうなるかなんて先生に聞かれても分からないな。お前はどうしたいんだ。何かやりたいことはないのか、興味があることとか。学校でそれを見つければいいじゃないか。」
ああ、言うんじゃなかった。結局、不登校に結び付けやがる。なんて汚い奴だ。不登校をやめさせて、それでもって生徒の悩みも解決させたつもりだろうが、僕にしたら何の解決にもなってない。むしろ、問題は棚上げにしろといわれたような気がした。そんな結論では僕は納得がいかない。どうしようもないフラストレーションと焦燥感が僕を包み、六時間目の途中に僕はなんとか許可をもらって帰路に着いた。
言うまでもなく、その許可をもらうにもいくらかのドタバタはあったんだけど、そんなこと詳しく言いたくないね。だって、そんなこと大して重要じゃないし、何しろ僕の気分がよくない。ってなわけで、チャリンコでここからさっさと走りさろうっと!

福島県のどこかに住んでいます。 震災後、幾多の出会いと別れを繰り返しながら何とか生きています。最近、震災直後のことを文字として残しておこうと考えました。あのとき決して報道されることのなかった真実の出来事を。 愛読書《about a boy》