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戦略的モラトリアム【大学生活編】(35)

知的障碍者授産施設の実習も今日が最終日。
作業所で話慣れた仲間と慣れた手つきで業務をこなす。

「○○さんは中学校の先生になるの?」

突然の質問に驚いたが、作業員さんがボクに尋ねてきた。

「そうですね。なれたらいいですけど、なかなか難しいと思います」
つぎはぎだらけの答えに、自分でもしどろもどろになりながら、そう言うしかなかった。

「何を教えるの?」

「一応、英語です」

「へぇ、すごいんだね。私はバカだから全然わかんないや」
彼女は無垢に照れ笑いに似た笑顔で自分を見た。

「そんなことありませんよ、自分だってそんなに英語を話せるわけじゃないですからww」
あらあら、本音トークが飛び出した。本当に自然に自分の口が開いたんだ。

これが談笑というものだろうか。気のおけない仲間たちとの語らいの場。

ボクは戸惑いながら「教員になる」という気持ちが揺らぐほど、この居場所が居心地よくて……

いや、そもそも自分の先生になるという目標だって、大学4年間のモラトリアムを精一杯活用した産物であり、邪な気持ちの賜物であったんだけれども。今はそれを考えると、ここにいることすら恥ずかしくなる。外見上は「教員を目指す大学生」を演じきったのだ。

最終日の昼食が終わり、作業所のみんなで若葉のショッピングモールに行った。自分にとってはこれが最後のイベントになることが分かってはいたが、とにかくみんなでお別れ会の食べ物や自分の欲しいものを選んだ。自分は手トートバック一つを買い、みんなの買い物に付き合うことを第一にと心がけた。いろいろな小物を見た後、ショッピングモールを後にし、作業所に戻った。

そして最後に事業所でお別れ会が行われた。
「今日は○○君が最後の日になります。皆さんとも仲良くなれて、名残惜しいとは思いますが、何か最後にメッセージはありますか。」司会の職員の方がマイクで話しかけると、一人の作業員の方が手を挙げた。

「○○さん、ありがとう。自分と話してくれて本当に嬉しかった。」

涙が溢れた。ただただ涙が流れ落ちた。
何気ない言葉のやり取りが、彼らにとってはとても嬉しかったことだと言うのだ。自分は何を意識したわけでもない。自分の将来の話をただしただけ。特に何の感慨もない、日常の行為の一つだった。

情けない。

自分の邪な本音が心の奥深くに隠れ、今自分がここに立っていることすら恥ずかしくなったんだ。

帰りの電車の中。

ボクは考えた。

「本当の幸せって何だろう。」

今、こうやって電車に乗っている自分ですら、奇跡的な幸せの産物なのだろうか。じゃあ、自分の本音って本当に最低なことだということになる。

何度考えても、眩しすぎる彼らの前では自分は惨めになるいっぽうだ。

そう、光に照らされたモグラのようにまたアナグラへと潜っていくのだった。


こうやってボクの知的障害授産施設の実習は終わったのだ。
大きな爪痕を残して。

福島県のどこかに住んでいます。 震災後、幾多の出会いと別れを繰り返しながら何とか生きています。最近、震災直後のことを文字として残しておこうと考えました。あのとき決して報道されることのなかった真実の出来事を。 愛読書《about a boy》